第1章 郷愁

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第1章 郷愁

「誠に遺憾である」  あれから一人自室に残された綾那は、独り言にしては大きな声量でそう呟いた。  と言うのも、幸成が持ってきてくれた颯月の貢物に問題があったのだ。  幸成と竜禅が出て行ってから、綾那は床の上に置かれた紙袋へ目を向けた。  袋の表面にはブランド名らしき文字が刻まれていて、その名前は『メゾン・ド・クレース』。  騎士団本部へ辿り着く前に、颯月が立ち寄った服屋の店名と同じだった。  ふと思い返せば、彼は別れ際に「後で着替えを持って行かせる」と言っていたような気がする。  もしかすると、あの時の買い物が――しかしその割には、店から出て来た時に颯月は何も持っていなかったはずなのだが。  となると、こんな時間でも構わずに配達してくれるような店なのだろうか。  もしくは、騎士団長ほどの上客相手なら、多少の無理を通してしまう商魂逞しい店なのかも知れない。  正直言って、「本当に衣食住を保証してくれるんだ、助かる」とありがたく思う気持ちが半分。  残りの半分は「あれ? まさか私の処遇が決まる前から、ここに囲う気満々で服を買っていたの?」と、その用意周到な腹黒さを改めて痛感する――複雑な気持ちだ。  綾那は最初、紙袋をどうするべき悩んだ。  今着ているものしか服がない以上、着替えを貰えたのは助かる。  ただこれに手を出してしまえば、颯月の張った包囲網からいよいよ逃げ出せなくなりそうな気もした。  そうしてしばらく悩んだものの、しかし綾那が出した結論は「もうここまで来ちゃったら、この先何したって一緒だよね」だった。  現時点で既に逃げ出せない状況に追い込まれているのだから、アレコレと難しく考えても仕方がない。  綾那は今ここには居ない颯月に頭の中で礼を告げると、ニッコリ笑顔で紙袋を開封した。  中に入っていたのは、温暖な気候でも過ごしやすそうな、涼しげで手足の動きを妨げない普段着の数々だった。  まるで「表」で綾那が着ていたような、正に好みドンピシャな衣類。この服装であれば、師から与えられたトラウマも頭をもたげないだろう。  颯月自身が選んだのか、店員にこういう系統の服を見繕えと頼んだのかは分からないが――どちらにせよ、これら全てをあの短時間で買い付けてくるとは、大変センスのある事だ。  続けてもうひとつの紙袋を開封すれば、まずワンピース型で柔らかな肌触りの寝間着が出てきた。  シルクに似た感触のソレに頬ずりをして、さて残りは――と紙袋を覗き込んだ瞬間、綾那は固まった。  寝間着の下にあったのは、数セットのブラショーツだった。  レースの刺繍がついたもの、ふわふわのフリルがついたもの、てらてらと上品に輝くシルクっぽいものなど、デザインはそれぞれ違う。  色味は黒か薄紫の2色で、デザイン的にも色的にも奇抜ではないため、抵抗なく着用できるだろう。  (いや、そうじゃない)  正直助かる。本当に一着も着替えがない今、このプレゼントはこれ以上なく助かるのだ。  ただ、さすがに付き合ってもいない男性から――それも、綾那が神と崇める颯月からだけは贈られたくなかった。  そもそも貰ったところで、彼が綾那のスリーサイズを把握しているはずがないのだ。  折角頂いたものに文句を言いたくはないが、ショーツはまだしもブラの方は確実にサイズ違いで返品する事になる。 「誠に遺憾である――」  綾那は、また同じ言葉を噛み締めるように呟いた。  紙袋を開封し終わった綾那は、竜禅から譲り受けた魔石を使ってシャワーを浴びた。  汚れを落とした綺麗な体で、寝間着に腕を通そうと考えたのだ。  そして、ふと「どうせなら、ダメ元で合わせてみようかな? 余程のサイズ違いじゃなければ、しばらく我慢できるし――」と、新品のブラジャーを試着してみたところ、大変な問題が起きた。  アンダーからトップまで一寸の隙間なく、ぴったりと包み込まれたバスト。  だからと言ってキツイ訳でもなく、脇や背中の肉が食い込む様な事も一切ない。  颯月から贈られた下着は、綾那本人が無意識の内に店でフィッテイングしてから買ったものだったか? と勘違いしそうになるほど、サイズぴったりだったのだ。 「どうして? いつの間に――いや、どうやって?」  これが『奇跡』なんて小綺麗な物でない事は、さすがの綾那にも分かる。  颯月は一体いつ、どうやって綾那のスリーサイズを知ったのか。魔法の国だから何でもアリだとでも言うのか。  透視する魔法か、メジャーを使わずとも目視で測量できるような魔法か――とにかく、何かしらの魔法を使われたに違いない。  必死に記憶を手繰り寄せた結果、どうにも怪しいのはこの『メゾン・ド・クレース』の店先で颯月が唱えた、魔法のようなものだった。 「確か、アナライズって言ってた」  アナライズ。直訳すれば『分析』だ。  ただ、颯月はあの時ただ一言そう呟いただけで、詠唱らしきものをしていなかった。  しかも綾那自身の体が光るとか何かの音が鳴るとか、そういったエフェクトもなかった。  だから完全に油断していたのだ。  もしやあの魔法らしきもの、渚のギフト「鑑定(ジャッジメント)」の魔法バージョンなのではないだろうか。  一瞬で綾那のスリーサイズを含めたデータが数値化されて、颯月に視覚情報として表示されたのではないか。  思えばあの時、颯月の様子は少々おかしかった。  見た目以上に豊かなスリーサイズを知り、綾那に向かって「着痩せする」と言ったのだろう。  綾那は、恥ずかしいやら、思いがけずジャストサイズの下着を入手できて嬉しいやら、すっかり感情の置き場が分からなくなって、「ふぐぅ……!」と情けない声を上げながらベッドに飛び込んだ。 (もう! 誰彼構わずセクハラはダメだって言ったのに! いや、あの忠告をした時には、既にスリーサイズがバレてたんだ! 颯月様とはしばらく顔を合わせずに済むとは言え、次に会う時、一体どんな顔をすれば良いの……!)  しばしベッドの上で身悶えていたが、嫌な記憶は別の事をして忘れてしまおう精神なのか、それともただの現実逃避なのか。  ふと、今のうちに己の荷物の整理をしておこうと思い至ると、おもむろに体を起こした。  ベッド近くに投げ出していた鞄を手繰り寄せ、中身を取り出して絨毯の上に並べていく。 (確かキューさんのお陰で、全部濡れる前の状態に巻き戻されているんだよね)  こちらへ来る前「表」で狩りとった魔獣の核は、キューに二つ渡したので残り五つ。  綾那もろとも深海に沈んだ時も辛うじて使えていたスマートフォンは、電源は問題なく入るが電波も何も届いていない。  ここが奈落の底だから、「表」の機械であるスマホでは時を刻めないのか何なのか。  相変わらず「00:00」という時計の表示が点滅している。  屋外でも使用できるソーラー充電器やモバイルバッテリー、いつも動画撮影に使っていたカメラなども、全てキューのお陰で故障せずに済んだ。  問題は、奈落の底に浮かぶ魔法の光源でも充電ができるのかどうかだ。  こればかりは、夜が明けてから実際に試してみるしかないだろう。  胸部コルセット型をした簡易防弾チョッキは、守備範囲が胸部のみなので、着用時の安全性は心許(こころもと)ない。  これは、銃器を扱う陽香と共に魔獣狩りをする際に、欠かせないものだ。  いや、本来欠かしてはいけないものなのだが、実際に綾那が着用する事は少なかった。  過去、陽香が味方を誤射した事などなくてイマイチ危機感を抱けないのが、一番の原因だ。  しかも着用時には、コルセットをきつく締めるため「男装でもするのか?」というレベルで胸が潰れてしまう。  あまりに苦しいので、アレコレと理由をつけては着用を避けていたものだ。  絞め紐が背中側にあって一人では着用できないというのも、装着を敬遠する理由の一つである。  あとは、メイク直し用に持ち歩いていた化粧道具入りのポーチ。  外出する際に神子(みこ)では悪目立ちするからと、変装用に携行していた黒髪のフルウィッグ、そして黒色のカラーコンタクトだ。  神子は、「表」の世界総人口約80億人に対しておよそ15億人と、全体の2割にも満たない。  だからこそ、その恵まれ過ぎた2割の人間は、そうでない人間の悪意に晒されやすい。  神子だって好きで神子に生まれた訳ではないため、妬みだの逆恨みだのされても困るのだが――国の法整備が進んだ今でも、ただ街歩きしているだけの神子に襲い掛かるような人間がごく稀に現れるのだ。  綾那としては、そんなごく稀に現れる神子暴行犯に運悪く狙われるなんていう、最低最悪の宝くじには絶対に当選したくない。  ターゲットにならないためならば、喜んで変装もする。  今日奈落の底で出会った人間を見る限り、瞳の色は様々だが髪色については黒や茶が多かった。  ギフトがなくて神子も生まれない世界であれば、能力や容姿に恵まれているなんて、そんな言いがかりを付けられることもないだろう。  ただやはり外を歩くには、綾那の髪色は目立つかも知れない。 (ウィッグの使い道は、ここでもあるかも? コンタクトは……あんまりないかも知れないけど、一応持ち歩こうかな)  綾那の目は桃色だ。「表」では目立つが、しかし颯月は紫、幸成は金、和巳は青と――この世界の人間は、瞳の色が派手だった。  仮にこちらの人間が全員黒目だったとしても、竜禅と同じく目元を隠したマスクを付けて歩くよう言われた時点で、何の心配もないだろう。  一度空っぽにした鞄の中に、ウィッグとコンタクトを詰め直した。そして、一緒に化粧ポーチも詰める。 「あとは……核?」  次にキューと会うのは、恐らくメンバーの誰かと再会する時だろう。  その際に渡すお礼として、やはり魔獣の核は持ち歩くに限る。  少々嵩張(かさば)るが重さはほとんどないので、持ち歩いていてもそう邪魔にはならないだろう。  防弾チョッキに関しては、陽香が傍に居ない今、持ち運んでいても仕方がないとは思うものの――今までも着用しないくせに持ち歩いていた物なので、いきなり鞄の中から消えるのは不安だ。  使う予定はないが、お守り代わりにはなるだろうと鞄に詰めた。  モバイルバッテリーやソーラー充電器に関しては、まず明日の朝に動作確認をしてから持ち歩くかどうか決めればいいだろう。  鞄には入れずに、ひとまずベッドのサイドテーブルに置いておく。  これで残ったのは、スマートフォンとカメラだ。 (カメラ……動画が撮りたくなった時は、スマホで良いか。撮影許可ってやっぱり、団長の颯月様に貰う事になるのかな?)  綾那は「そもそも撮影許可が下りるのか、この世界に『動画』の概念があるのかも怪しいけど」と呟きながら、カメラの電源を入れた。  このカメラで撮影する動画は、勿論スターチューブに流すためのものだ。  いつでもカメラを持ち歩き、決してネタを撮り漏らさない事。  撮影した動画のデータはすぐ編集用のパソコンに転送して、カメラの容量を常に空けておく事。  これは、リーダーの陽香が口うるさく言っていた、四重奏(カルテット)の鉄の掟のようなものだ。  カメラの液晶画面をタッチすれば、まだパソコンに転送する前の、四重奏が映る動画データのファイルがいくつか残っていることに気付く。 「これ、没データだったっけ? 転送し忘れているだけかな……陽香にバレたら、「なんですぐ転送しないんだ」って怒られるヤツだ」  言いながら液晶をタッチして、試しに一つ再生してみる。  小さな画面に映し出されたのは、綾那を含める四重奏のメンバー全員の姿だった。 『はいどうもー! 四重奏の陽香とー?』 『アリスとー!』 『渚とー』 『綾那です。今日は何するの?』 『ハーイ、今日は何するかってーと、この四人で、いっちょ料理対決してみっかと!』 『え、そうなの? 陽香アンタそれ一番不利じゃない、とち狂ったの? ああそれとも、一番美味しくないものを作った人が勝ちって事?』 『おうおう、アリスお前何言ってんの? 先に言っとくけど、ギフト使うのは禁止だからな』 『はあ!? 家庭科の授業以来、一回も包丁握ってないのよ、私!』 『綾。綾と私は勝ち確の企画みたいだから、今の内にえげつない罰ゲーム考えとこ?』 『いや、待て待て違う、個人戦だと勝負にならんだろ! チーム戦だチーム戦!』 『じゃあ私、綾とっぴー』 『アーニャとナギが組んだら、チーム戦にする意味がねえのよな~! 企画倒れも(はなは)だしい~!』  いつも通りの、騒がしい掛け合いを続ける四重奏。  明るい陽香と華のあるアリス、マイペースな渚。そして、まるで三人を見守る保護者のような立ち位置の綾那。  画面の中の四人は、何もかもがいつも通りだ。  最後に全員が揃ったのは、「表」の夕方頃――今が夜中の二時、三時頃だと仮定すると、半日ほど前になるのだろうか?  綾那はカメラの液晶画面を見つめては、時よりふふふと小さく笑い声を漏らした。  編集前のデータなので所々荒く拙い部分はあるが、十分に楽しめる内容だ。没ではなく送信し忘れのデータなのだろう。  しばらくそうして眺めていたが、しかし不意に液晶にぽたりと水滴が落ちて来たため、目を瞬かせる。  ぽたりぽたりと、次々に落ちて来る水滴。  綾那は堪え切れなくなったように、「あぁ」と酷く震えた声を漏らした。 「会いたいなあ……」  カメラをサイドテーブルの上に置いて、ベッドの上で膝を抱えた。 (動画なんて見るんじゃなかった。このまま二度と皆に会えなかったらどうしよう)  無理矢理に抑え込んでいた不安や寂しさが、堰を切ったように溢れ出して止まらない。  この調子では、目がパンパンに腫れ上がるだろう。竜禅にマスクを貰って助かった。  綾那は漠然とそんな事を考えながら広いベッドに横たわると、いまだ涙の溢れる瞳をギュッと強く閉じた。
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