第1章 リベリアスの王

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第1章 リベリアスの王

 綾那が奈落の底に落とされてから、初めて迎えた朝。  夜の間は月の役割を担っていた魔法の光源も、今は太陽のように光り輝いている。  窓辺にソーラー充電器を置いてみたところ、どうやら魔法の光源でも問題なく動くらしい。  このまま一日放っておけば、また使えるようになるだろう。 (目元を隠すマスクがあって良かった)  昨夜ほとんど眠れなかったせいで、綾那の顔色はお世辞にも良いとは言えない。  予想通り目は赤く腫れているし、目の下にも薄っすらと影ができている。  綾那は颯月から貰った服に着替えると、いつ誰が訪ねてきても良いように身支度を整えた。 「6時……どうしようかな」  ベッド横の壁には時計が掛かっているのだが、昨日は余裕がなかったせいか全く気付けなかった。  1から12までの数字が並んだそれは、「表」のものと全く同じで――まあ、キューの言葉を借りるならば、同じ地球なのだから当然だろう。  さて、これからどうしたものか。  このまま自室に引きこもっていても、事態は好転しない。しかし、誰かの付き添いなしに外へ出られるはずもない。  ここまでの道筋なんて記憶している暇がなかったし、この宿舎のどこにどんな設備があるのか、そもそも把握していない。  しかも綾那は、スパイ疑惑を掛けられていて保護観察扱いだ。  そんな状態で勝手に出歩く訳にもいかないし、ただ誰かが訪ねてくるのを待つしかない。  綾那は窓辺に立って、ぼんやりと外を眺めた。僅かに開けた窓の隙間から入ってくる風は生暖かい。  この部屋は二階にあるため、騎士団敷地内の様子がよく見える。  青々と茂った生け垣は背が高く、迷路みたいだ。そして迷路を超えた先に、高い鉄柵に囲まれたグラウンドらしきもの。  どうもこの辺り全体が鉄柵で区切られているようだ。こんなものに囲まれていると、まるで街と隔離されているように錯覚してしまう。  刑務所とまでは言わないが、なんとも言えない閉塞感を覚えるのだ。  まだ朝早い時間帯なのに、グラウンドには騎士服の人間が大勢集まっている。  もしかするとアレは、騎士の訓練場なのかも知れない。 (颯月さん――様、も居るのかな。昨日かなり遅くまで話し合いをしていたみたいだから、居ないか)  黒髪だらけの中では、金メッシュ混じりの颯月はさぞかし目立つだろう。  そう思うものの、綾那の部屋から訓練場までそれなりに距離があるため、誰が誰だか見分けがつかない。  そうしてぼんやりと訓練場を眺めていたら、扉をノックする音が聞こえて目を瞬かせる。  綾那は慌てて窓を閉めると、「はい」と返事した。  現状、綾那以外にこの扉を開けられる者は居ない。小走りで扉まで駆け寄ると、客を迎えるためにそっと開けた。  廊下に立っていたのは、本日も中性的な美貌の持ち主――和巳(かずみ)である。 「綾那さん、おはようございます」 「おはようございます、和巳様」  昨夜、竜禅を連れ戻しに来た幸成との会話から察するに、恐らく和巳も遅くまで話し合いをしていたはずだ。  それにも関わらず、彼の顔には疲労の色が見えない。  年中温暖なアイドクレース領の人間らしく、健康的に焼けた肌。  柔らかそうな茶髪は低い位置で一つ結びにされていて、片側の肩へ流している。  切れ長で涼し気な青い瞳、その右目の下には泣きボクロがあり、瞳を縁取る睫毛は上下ともに長い。  初夏に咲くはずがないのに、彼からはなぜか桜に似た華やかな香りがする。 (騎士と言うより……なんか、「表」ならモデルが似合いそう。性別不詳なジェンダーレスキャラで)  颯月相手には、随分と柔和な表情を見せていたが――やはり、まだ信頼関係を築けていない綾那が相手では表情が乏しく、声色も硬い。  今後彼の態度が軟化するか否かは、綾那の頑張り次第だろう。 「早速ですが、朝食会場へ案内しましょう。苦手なものはありますか?」 「あ、いいえ! ありがとうございます、よろしくお願いします」  綾那は深々と頭を下げてから、和巳の後を追いかけた。  正直、まだこの世界の食文化が分からないため、苦手も好物も何も分からないのだ。  そもそも好き嫌いを言える立場でもないので、出されたものはなんでも食べるつもりでいる。 「昨夜は休めましたか?」  無言は気まずいと思ったのか、和巳が話題を振ってくれたものの――しかし綾那は即答できなかった。  本音を言えば、ほとんど休めていない。ただ、それをバカ正直に言うのもどうなのだろうか。  この質問は、ただ単に場を繋ぐための社交辞令みたいなものだろう。  それなら綾那も同じように返すべきだ。やや間を空けてから「はい」と答えたが、和巳は正面を向いたまま小さく苦笑を漏らした。 「いえ、そうですね。質問が良くありませんでした……このような状況下へ置かれて、まともに休めるはずもないのに」 「あ、いや、す、すみません。まだ色々と、慣れなくて」 「気になる事があれば道すがらお答えしますよ。内容にもよりますが」 「ありがとうございます。じゃあ、えっと――」  キューや颯月から話を聞いたものの、まだこの世界について把握できていない。  分からない事だらけで、まず何から訊ねれば良いのか悩んでしまう。  綾那は小さく唸った後に、口を開いた。 「まず、この国と――あと、領間の関係性について教えて欲しいです。もしかして、他領と戦争が起きる事もありますか?」 「せ、戦争ですか?」  和巳は、目を丸めて綾那を振り返った。  スパイ疑惑を掛けられている状況で、戦争なんて言葉は口にしない方が良かっただろうか。  そう後悔したが、どうしても確認しておきたかったのだ。  キュー曰く、四重奏(カルテット)のメンバーは東と南の方角へ散り散りになっているらしい。  だと言うのに、昨夜幸成は「東がきな臭いから、何が起きてもおかしくない」と言っていた。  五つの領を行き来するのは基本自由と説明を受けたものの、領間の仲が悪く、頻繁に争いが起きるようでは困るのだ。  ただでさえ悪魔とか眷属とかいう、危険な存在が多いのに――アイドクレース騎士団に保護されている綾那はともかく――メンバーの身の安全が心配で仕方ない。  だから、どうか平和な国であって欲しい。  祈るような気持ちで和巳を見つめると、彼は気を取り直すように咳払いをした。 「失礼。ええと、戦争とは、人間同士の争いの事を言っていますか?」 「はい、そうです」 「そうですか……なるほど、本当に異なる大陸から来られたのですね。史実によると、リベリアス内で人間同士の戦争が起きたのは、およそ300年前が最後です」  和巳の言葉に、綾那は安堵のため息を吐き出した。 「人類共通の敵と言える悪魔と、眷属の存在がある以上……恐らく、今後も人間同士で争う余裕はないでしょう」 「という事は300年前、悪魔は存在しなかったのですか?」 「記録上はそうなります。悪魔がいつどこで、どう生まれたのか――実は、初めから存在していたものが人前に出なかっただけなのかは、いまだ解明されていません」 「そう、なんですね」  どうやら悪魔と言うのは、ただ人を脅かすだけの存在ではないらしい。  悪魔が脅威であればあるほど、人間同士の結束が強まる――『必要悪』というヤツだろうか。 「領間の交流は頻繁に行われていて、交易も盛んです。リベリアスは五つの領から成る国で、王族が住むのはここアイドクレース。王は国の法律を管理する権限を持つものの、決して絶対的な権力がある訳ではありません。まあ、もし仮に国民から一方的に搾取するような(おぞ)ましい法律を打ち立てられた場合は、絶望的ですがね」 「そんな事が起こり得るんですか?」 「なくはない、とだけ」  それは、ほとんど絶対的な権力を持つ者だと言えるのではないか?  綾那はなんとも言えない表情になって、口を噤んだ。 「王の後継者は、太古より続く血統を繋いだ王族の中から選ばれます。現国王は第125代目で――正統な後継はお一人のみ。王には生涯で一度だけ、法律を制定または既存の法律を改定する権利があります。どのような内容でも、関係なく」 「生涯で一度だけ、どんな法律でも……?」 「ええ。ただ、現国王は既に権利を喪失しています。ですから、今すぐに悍ましい法律が制定されることはありません。次期国王であらせられる王太子殿下も、颯月様が全幅の信頼を寄せる御方なので安心です」 「はあ……なんと言いますか、凄い国なんですね」  とりあえずは、人間同士の戦争がない。  国王は単なる『象徴』ではなく権力者で間違いないが、当面の間――それこそ数十年単位は、脅威にならない。  これだけ分かっただけでも、安心感が段違いだ。  しかしそうなると、綾那には腑に落ちない事があった。 「領間の仲が良いなら、私はどうして他領のスパイだと疑われているのでしょうか……?」  首を傾げた綾那に、和巳は難しい表情になる。 「そうですね……続きは、食事を終えてからにしましょうか」  目的の朝食会場へ着いたらしく、先頭に立つ和巳が両開きの大きな扉を開いた。  彼は、扉を押さえたまま綾那が入室するのを待っている。その気遣いがありがたくも申し訳なくて、綾那は早足で中へ入った。  広い室内には、横に長い食卓机がいくつも並べられている。  最奥には厨房があって、中では何人ものシェフが忙しなく動き回っているようだ。  厨房と食事処を区切るように、料理の受け取り口――そして返却口らしきカウンターもある。  今のところは働くシェフのみで、食卓机に座る者は一人も居ない。  訓練場に集まっていた騎士は、朝の訓練が終わり次第一斉に雪崩れ込んでくるのだろうか。  きっと厨房は今、その準備で忙しいのだろう。 「綾那さん」  和巳は入り口に近い席の椅子を一脚引いて、着席を促した。  綾那が――受け慣れないエスコートに――ぎこちない動きで椅子の前に立つと、丁寧な手つきで椅子を戻して座らせてくれる。 「食事を取ってきますから、こちらでお待ちください」 「え? そんな、悪いです。私も――」 「いいえ。疑いが解けるまで、ここで暮らす者との接触は最小限に――ですから、お気になさらず」 「あぁ~……えっと、じゃあ、はい。お願いします」  暗に「シェフに姿を見せるな、そして設備を見ようとするな、スパイ」と釘を刺された気がして、綾那は大人しく椅子に座り直した。  そうして一人で厨房へ向かう和巳の背を見ながら、そっと息を吐いた。
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