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第1章 花の騎士
和巳が運んでくれた朝食プレートは、幸いな事に「表」で食べ慣れた食材と味付けばかりであった。
バターの香りがする焼き立てのロールパンに、ポテトとチーズが入った大きなオムレツ。
トマトとスモークチキンをたっぷり使ったレタスのサラダに、まるでステーキのような、こんがりと焼かれたブロックのベーコン。そして濃厚なコーンポタージュ。
綾那は、食文化に違いはないらしいと安堵した。ただ一つ懸念があるとすれば、朝から大変に食事量が多いという事だ。
さすが、体が資本の騎士団員のために用意された朝食メニューである。こんなにも分厚いベーコンをブロックのまま食べる機会は、なかなかないだろう。
「口に合いましたか?」
「はい、とても美味しかったです」
和巳に問われた綾那は、大きく頷いて――そして、少し悩んだ。
(本当に美味しいんだけど、これだけのカロリー……負荷高めの筋トレして、すぐに消費しなきゃ。というか多分、この調子じゃあ昼も夜も多いよね? い、言えば量を減らしてもらえるのかな……?)
ただでさえ太りやすく、しかも現状行動範囲を制限されているため、外で走り込みもできない。
果たして綾那は、自室で行う筋トレのみで体形を維持できるのだろうか。
人に頂いたものを残す訳にはいかないからと、綺麗に平らげてしまった。
綾那は空になった食器類をじっと見下ろしては、マスクの下で目を眇める。
(これは、毎晩寝る前に動けなくなるまで「怪力」のレベル5を使うしかない……?)
ギフト「怪力」は、使う力のレベルが高ければ高いほど体力を消耗する。
最大レベルの5まで行くと、使用後に過呼吸になるほど過酷な能力だ。しかも体力の消耗に比例して、カロリーの消費量も跳ね上がる。
ほとんど裏技に近いチートなダイエット法だが、背に腹は代えられない。
「さて、そろそろ皆が来る時間ですね。片付けてきますので、待っていてください。話しついでに少し外を歩きましょうか、いい腹ごなしにもなりますから」
「何から何まですみません……」
両手に一つずつプレートを持った和巳は、また奥の厨房へ向かって歩いて行った。
(それにしても和巳様――颯月様達と比べたら体が細いから、てっきり食も細いのかと思ったけど……色々と大盛りにしてた。あれでも、私のメニューは少なめによそってくれていたのかも)
頭脳派の参謀と言われていたが、やはり和巳も騎士なのだ。
日常的にあれだけ食べても体が細いとは、普段どれほど過酷な鍛錬をしているのだろうか。、職務自体も相当キツイものに違いない。
「お待たせしました、行きましょうか」
「はい」
食器を片付け終えた和巳に促されて、綾那は朝食会場を後にした。
◆
和巳に連れられて来たのは、騎士団本部の裏庭だった。少し離れた位置には、昨夜通って来た『裏門』と呼ぶにはやたらと豪奢な門も見える。
改めて見ると、本当に広大な敷地だ。元々は全て王族の私有地だったと言うが、肝心の王族が住まう屋敷はどの辺りにあるのだろうか。
そして、騎士団員が自由に移動できるのは、どこからどこまでなのだろうか。
「この辺りにはあまり、女性の目を楽しませるようなものがなくて――気分転換になればと思ったのですが」
どこか申し訳なさそうに笑う和巳に、綾那は首を横に振った。
「いえ、この建物を見ているだけでも、まるでお城の見学に来たみたいで面白いですよ。それに――」
綾那はその場にしゃがみ込むと、足元に群生している黄色い花を指差した。
青々としたツタをびっしりと地面に這わせて、葉はクローバーに似たハート形。
ツタに紛れて点々と咲いた黄色い小花が、葉の緑と鮮やかなコントラストを成している。
名前までは分からないが、「表」の道端にもこんな花が咲いているのを見た覚えがあった。
「花がたくさん咲いていますから、十分です」
「花――花、ですか」
「あれ……違うんですか?」
「いえ、カタバミという花です。このサイズの花弁では、葉の方が目立って雑草と捉えられがちですけれど」
「カタバミ! 聞いた事があります。へえ……これがカタバミだったんだ」
「……花に興味が?」
和巳に問われて、綾那は曖昧に笑った。
別に詳しい訳ではないのだが、四重奏の動画づくりの一環で、ガーデニングをやった事がある。
その時に何種類か花を育てた経験があって――まあ、その後「次は家庭菜園がいい」と言い出したメンバーが居たため、花壇は野菜畑になってしまったのだが。
「昔、ちょっとだけ育てた事がありますよ。花と、野菜」
「野菜も?」
「ええ。野菜の実を付ける前に、綺麗な花を咲かせるのが楽しいですし……何より、後で美味しく食べられるでしょう?」
「なるほど、それは……そうか、野菜を育ててみるのも面白そうですね」
「和巳様は花がお好きなんですか?」
和巳は、綾那の言葉に目を丸くした。
そしてすぐさまパッと目を反らすと、どこか気まずげな表情を浮かべる。
「…………そのせいでよく、女性のようだと揶揄されるんですよ」
「あ……そ、それは」
花が好きと言うだけではなく、和巳の中性的な容姿が拍車をかけているような気がする。
ただ、彼の反応を見るに相当気にしているようだ。無遠慮にそんな事を口にすれば、きっと不快な思いをさせてしまうだろう。
綾那だって――もう慣れたとは言え――「怪力」を発動させるたびに『ゴリラ』と揶揄されるのは、なかなか辛いものがある。
望まぬ揶揄をされる憂鬱さ、和巳の気持ちはよく分かるのだ。
「えっと……和巳様、お花のいい香りがするから、言われるんですかね? こう……桜みたいな?」
せめて外見には触れないように、どうにかしてフォローしようと必死だ。
――いや、果たしてこれがフォローになっているのかどうかは謎だが。
和巳は「おや」と僅かに片眉を上げると、綾那の顔をまじまじと見た。
「随分と鼻が利きますね? これが何の香りかなんて……今は桜の季節ではありませんから、尚更」
言いながら彼が懐から取り出したのは、小指サイズの小さな巾着袋だ。
途端に桜の香りが強くなって、綾那は頬を緩ませた。
「わあ、いい香り。匂い袋ですか?」
「ええ、中に桜の花弁でつくったポプリが入っています」
「ポプリですか! ……つくるの、楽しそうですね」
「――まあ……、…………そう、ですね」
今まで、散々揶揄されてきたらしい花の事だ。
やはり素直に認めるには抵抗があるのか、和巳は複雑そうな表情のまま巾着袋を懐にしまった。
(もし次があるなら、皆とポプリをつくる動画を撮るのもいいな)
綾那は漠然とそんな事を考えた後、ふと世間話をしに来た訳ではないのだと思い直した。
「和巳様、お話の続きですが――」
「綾那さんが他領のスパイだと疑われている理由――でしたね。その説明をするにはまず、この国が抱える問題について話さねばなりません」
「はい、お願いします」
「リベリアスには、五つの領それぞれに騎士団があります。騎士の職務は領地を巡回して、領民に危険が及びそうなものを排除する事。滅多に姿を現さない悪魔との戦闘記録はありませんが、眷属や魔物は別です。年々増加傾向にあるため、こちらから積極的に討伐する必要があります」
ここまでは既に颯月から聞いた話だ。綾那は無言で頷いて、続きを促した。
「領内全てが守るべき範囲なので、どうしても人手が必要になります。アイドクレースで言えば、本部はここ王都に置いていますが――街は王都だけではありません。他にも人が暮らす集落が多数あって、交代で巡回する必要がある。一所に腰を落ち着かせて働く事は難しく、しかも戦闘行為がある以上、騎士には危険がつきものです」
「……大変なお仕事ですね」
王都に住居を構えていても、別の町村へ頻繁に出張しなければならない。
しかも眷属。あんな恐ろしい地球外生命体との戦いばかりでは、心も体も休まる時がないだろう。
(皆さん朝早くから訓練していたみたいだけど、拘束時間はどのくらいなんだろう? 就寝時を除いて個人の時間がないとか? だって、トップの颯月様ですら真夜中に森の見回りしてるぐらいだよ……? もしかすると騎士団って、とんでもなくブラックな職場なのかも知れない)
綾那は一抹の不安を覚えた。
何せ今彼女は、そんなブラックな騎士団の『広報係』としてスカウトされているのだから。
「確かに大変ではありますが、これでも花形職業だったんですよ。領民の安全を守るという、名誉ある仕事ですし……街の子供だって、一度はこの揃いの騎士服を着る事に憧れます」
「……過去形なんです?」
「ええ、残念ながら。実は五つの騎士団全てに共通する問題があるのですが、中でもアイドクレースは群を抜いています」
「問題、ですか」
「それは――」
深刻な表情になった和巳を見て、綾那はごくりと喉を鳴らした。
皆の憧れだった花形職業。その人気が陰るほどの問題とは、一体なんなのか。
やや背筋を正して話の続きを待てば、和巳はため息交じりに口を開いた。
「――死ぬほど、婚期を逃すんです」
「……婚期を?」
「ええ」
「…………死ぬほど?」
「死ぬほど」
「………………なるほど?」
笑えば良いのか、それとも深刻に受け取れば良いのか判断できない。綾那はマスクの下で、逡巡するように目を泳がせた。
スパイ疑惑の解けない女相手だから、煙に巻かれているのだろうか――とも考えたが、和巳の表情を見る限り至って真剣だ。
どうやら騎士団の抱える問題とは、本気で「死ぬほど婚期を逃す事」らしい。
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