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第1章 解毒
「マジでさあ、こんな状況じゃなかったら絶対に許してないからな」
「こういう時は、証拠としてビデオを回すのが吉ですよ。陰険な女性が相手なら尚更」
「何もなかった時は、データ消すどころかその道具ごと叩き切るから」
「あぁーっと、それはちょっと困るんですが……でも、はい、肝に銘じておきます」
あれから幸成と綾那は、足早に別館へと向かった。
騎士服でなく昼寝用の私服に帯剣している幸成と、まるで竜禅のようなベネチアンマスクを付けた青髪の綾那。
妙に浮いた存在感の2人組みに、別館に住む使用人達は初め「なんだなんだ」と寄って来た。しかし、帯剣しているのが幸成だと気付くと、「ああ、幼馴染に会いに来られたのか」と散って行く。
道すがら幸成に確認したところ、どうやら絨毯屋の娘は――幸成は彼女の名前を呼ぶのが嫌なのか、それとも名前を知らないのか、頑なに教えてくれない――稚拙に見えたがアレでなかなか悪女らしい。
桃華の私物を壊す、盗む、隠すは当たり前。人気のない場所に呼び出しては暴言、暴力を浴びせる。時にはならず者を雇い、桃華にけしかけて――過去、桃華の飲料に何かしらの薬物を混入した疑いすらあるらしい。
ただしどれも決定的な現場を見た者がおらず、被害者の桃華も毎度無事で済んでいる。目撃者はおらず証拠も不十分、本人は頑なに犯行を否認する。しかも、他でもない桃華が大事にするのを嫌がった。
こういった場合、現行犯でないと罰するのが難しいそうだ。更にタチが悪いのが、なまじ父親の絨毯屋に財力があるせいで、ちょっとした事件であれば簡単に揉み消せてしまうらしい。
なんと被疑者の中には様々な人間を買収して、己が然るべき場所まで引き立てられないよう、手回しをする者も居るそうだ。
そんな悪人が相手であると言うならば、絶対にカメラを回しておいた方がいい。あれば録音機でも良いのだが、あいにくとそんなものは持っていない。
綾那は幸成にお願いして、別館を探し回る間カメラを回す事を承諾してもらった。
いまだにスパイだと怪しんでいる幸成は最初「撮って何する気?」と懐疑的だったが、しかし絨毯屋の娘に思う部分があったのだろう。もしもの時の証拠集めとして、特別に許してくれた。
――ただし、桃華が無事別館で見つかった暁には、罰としてスマートフォンを破壊すると言う条件付きで。
「桃華の部屋は、この角を曲がった先だよ」
早歩きで廊下を進む幸成に、綾那は金木犀の香りを追う事に集中する。
(やっぱり、居ない。この辺りの香りは薄すぎる、まるで残り香みたいな――)
香りを強く感じるのは、王都アイドクレースの街中だ。
どこへ向かっているのかは分からないが、綾那の半径十キロ圏内に居る間は追える。まだ焦る時間ではない。
「ん……?」
廊下の角を曲がったところで、幸成が足を止めた。彼が凝視する方向を見やれば、とある一室の扉が開け放たれている。
「珍しい、不用心だな。桃華のヤツ、なんでドア開けっ放しなんだよ」
「あそこが桃華様のお部屋ですか?」
「ああ、うん……」
聞いた話では、別館の扉にも魔法が掛けられているらしい。
扉は、部屋の使用者が登録した者にしか開けられない。外から無理矢理開けるには、物理だろうが魔法だろうが数時間はかかるという――防犯、盗難防止に秀でた魔法の扉。
そんな扉があるにも関わらず、桃華の私物に好き放題悪戯できる絨毯屋の娘とは、一体何者なんだろうか。しかし、今はそれどころではないので、ひとまず置いておこう。
「おい桃華、何でドア……桃華?」
「これは――」
開いたドアから室内を覗くと、中には誰も居なかった。
桃華の仕事用と思われる机の上にあるお茶のポットからは、まだ僅かに湯気が立ち昇っている。その足元には白いカップが一つ転がっていて、毛足の長い絨毯には大きなシミが。
綾那は息を呑んで、スマートフォンのレンズを室内にぐるりと巡らせた。
状況から察するに、お茶に何か盛られたのだろうか。気を失った所を――どんな手法を使ったのかは分からないが――外から扉を開けられて、誰かに攫われた。そして現在、馬車でどこかへ運ばれている。
ある程度予想していた事とは言え、本当に事件に巻き込まれているとは、全くもって笑えない。ちらと隣の幸成を見やれば、彼は唇を戦慄かせている。
「――幸成様」
「嘘だろ? 何で、こんな事が……! 何が起きてる!?」
「詳しい事は私にも分かりません。ただ、先ほど裏通りで見た馬車は、今もアイドクレースを走っていますね。さあ幸成様、念のための証拠です。ただいまの時刻は?」
「そんな事言ってる場合じゃ――ああ、クソ! 16:37だ!」
半ば自棄で吠える幸成に笑みを返して、綾那は室内へ足を踏み入れた。幸成は「オイ、誰か来てくれ!」と廊下に向かって叫んでいる。
(現場保存は、基本中の基本だよね――とりあえず、撮れるものは今の内に全部撮っておこう)
このような状況、恐らく綾那一人であれば激しく取り乱していただろう。しかし幸か不幸か、今は幸成の取り乱しっぷりが激しすぎる。人間、自分より取り乱した者を見ると、不思議と冷静になるものだ。
綾那は仕事机に近付くと、まだ中身の温かいポットを映した。次にその場にしゃがみ込んで、絨毯の上に転がったカップとシミを映す。
彼女の飲み物は普段、誰が用意しているのだろうか? いつも自分で用意しているのか、それとも――。
「キャッ!? な、なんで……誰に聞いて来たんですか? ここで何を!?」
甲高い声がして廊下を見れば、年若い少女が立っていた。幸成の姿は見当たらず、どうやら離れた場所まで人を呼びに行ったらしい。
綾那は、そっとスマートフォンのレンズを少女に向けた。幸成曰く、この世界のカメラとは形が違い過ぎて、「言われないと撮られてるって気付かない」との事らしいので――非常事態につき、申し訳ないが堂々と盗撮させて頂く。
少女は青い顔で震えていたが、しかしややあってから、意を決した様子でズカズカと部屋へ侵入してきた。
「こ、ここは、桃華様の部屋ですよ! もしかして、ど、泥棒ですか!?」
「あなたは?」
「不審な方には答えたくありません! と、とにかく出て行ってください、私、騎士様が来るまでこの場所を守らないといけないんです!」
たどたどしく詰まりながら、それでも意見を主張してくる少女。どこか見覚えのある顔に、綾那は「絨毯屋の娘さんの取り巻きだ」と思い出す。
あの日ガゼボで、桃華を囲んでいた内の一人だ。今日も、黒色のロングワンピースで颯月への好意をアピールしているらしい。
しかしこの場所を守るとは、現場保存について言っているのだろか。一体誰に頼まれたのかは知らないが、手にもつタオルと何も載っていないトレーは明らかに邪魔だ。
(十中八九、ポットに入った何かの証拠隠滅が目的? 実行犯が彼女一人かどうかは置いておいて、犯人は現場に戻るって言うものね)
それにしたって、ここまで分かりやすくて平気なのだろうか――。
じっと無言で少女を観察していると、マスクで表情が隠されているため不気味に映るのか、少女は焦ったように口を開いた。
「あ、その、もしかして、竜禅様のお知り合いですか?」
「知り合い――そうですね、まあ」
「そ、そうだったんですね! あの、実は、桃華様が知らない男の人に連れられて、どこかへ行っちゃったんです! 早く颯様――いえ、颯月様にも知らせに行ってください!」
「え?」
いきなりベラベラと喋り出した少女に、綾那は目を瞬かせた。なぜ「この場所を守る」という話から、桃華が攫われたなんて話になるのだろうか。
まあ、まだ幼いのだから、実際そんな恐ろしい犯行現場を目にすれば、支離滅裂な言動にもなるかも知れないが――。
「すぐ麗さんが騎士様に知らせに行ったから、きっと探し出されると思いますけど……普通じゃありませんでした。犯人はまるで、盗賊みたいな人達で――!」
「ちょ、ちょっと待って、いきなり何を言い出すの? 麗さん……?」
綾那の制止もきかず、少女は興奮した様子で言葉を紡ぐ。
「でも、早く助けてあげないと! 桃華様がもし、あの男の人達に乱暴されたらと思うと――だって、もしそんな事になったら桃華様……颯月様の婚約者から降ろされちゃうじゃないですか?」
(あぁ、今回はそれが目的なんだ――)
深刻そうに俯いた少女の口元がほんの僅かに緩んだのを見て、辟易する。
また金木犀の香りを探るが、一所には留まっていない。あまり楽観視するのはよくないが、こうして移動し続けている間は乱暴される心配もないだろう。問題は、馬車が動きを止めた時だ。
「あなたは、桃華様と一緒にこの部屋に居たんですか?」
「え?」
「一緒に居て、目の前で攫われるところ見たんですか?」
「ち、違いますよ! 桃華様が廊下で男達に抱えられているところを、偶然見かけたんです! 私達は怖くて、隠れてその様子を見ていました。それで男達が居なくなった後、麗さんはすぐに騎士団本部へ――」
「そのタオルとトレーは? まさか、片付けようなんて思っていませんよね? 犯人に繋がる証拠かも知れないのに」
「え……あ、う、いや……そこまで、考えが至らなくて――ただ私達は、部屋が荒れてて桃華様が可哀想って、そればっかりで……余計な事して、ごめんなさぁい」
話している内に段々と冷静さを取り戻してきたのか、少女は途端にモノを知らないバカになった。元は茶器を片付ける気満々だったものの、目撃者が居るからには強行できない。証拠隠滅よりも己の保身に走ったのだろう。
綾那は、メソつく少女を見てため息を吐いた。
「人が攫われたっていう時にやる事が、それ……?」
「だ、だって! 私には何の力もないし、騎士様は麗さんが呼びに行ったんだから、良いじゃないですか! 絨毯、シミになっちゃうと思って……! 私が桃華様のためにやれる事なんて、これくらいしか――」
恐らく麗というのは、リーダー格の――絨毯屋の娘の事だろう。
今回もガゼボの時と同様、三人で桃華に何かをしたようだ。この少女一人だけ追い込んだところで、肝心の絨毯屋の娘にトカゲの尻尾切りをされては困る。
彼女らは犯行現場を偶然見たのではなく、最初から最後まで見届けたに違いない。
颯月の大事な婚約者が誘拐されたというのに、辺りが静かすぎる。彼女らの試算では、茶器や絨毯のシミを隠し終わった頃に騎士が到着する手筈だったのだろう。それが、思いのほか綾那と幸成の到着が早かったというだけ。
(三人まとめて一掃できれば、桃ちゃんの生活も少しは楽になるんじゃない? 口裏合わせなんてする暇も与えないように、できれば早急に話を――)
「お姉さん」
ふと廊下を見やれば、いつの間にか幸成が戻って来たらしい。やや強張った表情の彼の隣には、もう一人の取り巻きの少女が青い顔をして立っている。一人姿が見当たらないと思っていたが、どうやらこの部屋へ辿り着く前に幸成に捕まっていたようだ。
彼女もまた手にタオルを握り締めているのが、少しだけ笑える。
彼女は机の上のポットに気付くと、「どうしてまだ片付けてないの」と言いたげに室内の少女を見た。その問い詰めるような瞳に、無言で首を横に振る室内の少女。
二人は顔を見合わせると、気まずげな表情を浮かべた。
「お姉さん、本当にまだ追えるの」
「え? あ、はい」
「さっき、この子から聞いた。賊が入り込んで、桃華を……ごめんお姉さん、虫のいい事を言っている自覚はある! でも――」
彼が言い終わる前に、いきなり桃華の仕事机が発光した。いや、正確には机の上に浮き出た陣が光ったのだ。
「何だ!?」
幸成は腰元に差した剣の柄に手を掛けると、室内に押し入ってくる。
綾那は机の真横に立っていたため――配信者としてのサガなのか、光に驚きつつもその場から一歩も動かず――スマートフォンのレンズを机に向けた。そして、あまりに見覚えのあり過ぎるその陣に、目を見開く。
(待って、これ――嘘でしょう?)
机の上、いや件のポットの真下で光る陣。
「表」では、割とありふれた光景だ。そしてそれは、四重奏を奈落の底へ落とすのに使われたらしい手法。その光る陣は、間違いなく「転移」のギフトによってつくられた転移陣だった。
(な、なんで奈落の底に「転移」もちが居るの!? いや、そんな事より、今ポットを奪われるのはよくない気がする!)
綾那は咄嗟にポットを掴み上げると、胸に抱いた。そうして少しでも転移陣から離れたくて数歩下がれば、フッと光が掻き消える。しばしそのまま様子を見ていたが、その後同じ陣が現れる事はなかった。
「お姉さん平気!? 今のは?」
「分かりません――いや、分かるんですけど……色々と、分かりません」
「はあ?」
思い切り怪訝な顔をする幸成に、申し訳なくなる。しかし今は彼に構っている暇はない。
(どうして「転移」――どうして、ギフトが?)
ふと思い返せば、アリスは家ごと渚を「転移」させられたのちに、犯人らしき者も全員姿を消したと言っていた。もしかすると、犯人グループも一緒に奈落の底へ転移しているのだろうか。
(そうだとして、なんで今ここで出てくるの? どこに居る……?)
綾那はポットを抱いたまま、少女らを見やった。しかし二人は転移陣の光に驚いたのか、手を取って身を寄せ合い、顔を青くしているだけだ。
二人はこの国の人間なのか、それとも「表」の人間なのか。どうやって判別すれば良いのか分からない。
試しに「魔法を使って見せてくれ」と言えば済む気はするものの、しかし魔石や魔力ゼロ体質が存在する以上、あまりアテにはならないだろう。
――気になる。気になって仕方がないが、考えても分からない事を考えるのは、時間の無駄だ。
綾那は気を取り直して、ぶんぶんと頭を振った。とにかく、これ以上ポットに何かされては敵わない。まずは中身を確認しなければ。
「ご、ごめんなさい、ちょっと私も、混乱しています。犯人は、どうしてもこのポットを回収したいようですね」
綾那が持ち上げたポットを見て、幸成は頷いた。
「そりゃあそうだろう、中身は明らかに――オイ、待て!?」
幸成の制止も虚しく、綾那は行儀悪くも、ポットの注ぎ口から直接ごくりとお茶を飲んだ。
その瞬間、体内に異物が入り込んだ違和感を覚える。しかしそれは一瞬の事で、あっという間に消えてなくなった。
(――あぁ、睡眠薬。溶けている量は常識の範囲内だし、危ない物じゃなくて良かった)
綾那の三つ目のギフト「解毒」。
体内に入った生理学的、医学的に有害な毒物を検出して、速やかに打ち消す力だ。このギフトは常時発動型で、保有者にはあらゆる毒・薬物が効かない。体内に入った異物がなんであろうと、まるで神の啓示のように「これはあの薬だ。これはあの毒だ」と理解する。
下剤、睡眠薬、媚薬、麻薬、自白剤などはもちろん、アルコールも分解されてしまうので酒精に酔う事もない。自然界に存在する動植物の毒についても、瞬時に解毒してしまう。
基本的には便利で有用なギフトである。
「どうも、中に睡眠薬が混ぜられていたみたいですね」
結果を呟けば、幸成が綾那の両肩をガッと掴んだ。そしてそのまま焦った表情で顔を覗き込んでくる。
「す、睡眠薬って、何が――なんで? てかお姉さん、何ともないの!?」
「あっ私、薬が効かない体質なので平気ですよ」
「ますます訳が分からないんだけど……ホントなんなの? 何を考えてんだよ、マジでいい加減にしてくれって――」
「お、驚かせてごめんなさい。犯人に証拠隠滅される前に、調べちゃおうと思って……あの、まだ中身が残っていますから、どなたか客観的にコレを証明できる方はいらっしゃいませんか? 魔法で毒物が分かるとか、鑑定できるとか、そういう」
げんなりと脱力した幸成にポットを見せれば、大きなため息が返される。
「見てもらうつもりで、とっくに人を呼びに行かせてるよ。それなのに、なんでそんな無茶苦茶するかな……たぶんもう、着くから」
「え? あ、そ、そうなんですね? ごめんなさい、私ったら余計な事を」
疲れ切った表情で話す幸成に、苦笑した綾那の背後――部屋の入口から、不意に「きゃあ!」と甲高い悲鳴が上がった。恐らく、顔を青くしていた少女二人の口から出たものだろう。全く、今度は一体何が起きたのか。
綾那は少女らを見やると、「あ」と声を漏らした。
「ああ――綾。やっと会えた」
部屋に入って来たのは、長身の美丈夫――もとい、宇宙一格好いい綾那の唯一絶対神、颯月であった。
およそ三週間ぶりの生颯月。こんな緊迫した状況だというのに、紫色の左目を緩ませて名前を呼ばれると、ぶわりと体温が上昇してしまう。
(や、やはり神! 神だったのだ……神でしかない!!)
そんな場合ではないと思いつつも、綾那は颯月の顔から目が離せなくなってしまう。表情が隠れている事をこれ幸いと、マスクの下でうっとりと目を細めるのだった。
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