第12章 お説教

1/1
前へ
/442ページ
次へ

第12章 お説教

 まるで幼い子供のように大粒の涙を流して、えぐえぐとしゃくり上げる陽香。本当に、彼女がここまで泣きじゃくる姿を見るのはいつぶりだろうか――それこそ小学校低学年以来、これが初めての事かも知れない。  綾那は陽香の華奢な背中に両手を回して、出来る限り優しく撫でてやった。しかしその行動がかえって涙腺を刺激するのか、彼女は落ち着くどころか涙声のまま綾那を怒鳴り散らした。声が震えていたり途切れていたりで大変聞き取りづらいが、どうも「よくも自殺しやがったな」とか「あたしらの事はどうだって良いのかよ」とか、そう言った内容のお叱りを受けているような気がする。  悪魔化に関するあれやこれやで憤慨しているとは聞いていたので今更驚かないが、これだけ盛大に泣かれてしまうと、やはり少なくない罪悪感を覚える。  綾那はただ繰り返し陽香の背中を撫でて、まともな言葉にすらなっていない何かを浴びせられる度に「ごめんね」と謝った。  やがて、しばらく経つと落ち着いたのか、目尻を真っ赤に染めた陽香がスンと鼻を鳴らす。彼女は何やら気まずげな表情で綾那を見上げていたかと思えば、次は横に立つ颯月へ視線を投げて(まなじり)を吊り上げた。 「てか、そもそも颯様がアーニャを(たぶら)かしたせいだよなァ!! 諸悪の根源! 悪の手先!! シアの共犯者!!!」 「いきなり激烈にキレ散らかすなよ……特にその、正妃サマに似た顔では」 「おいおい、お前まさか、反論できる立場に居るとでもお思いですかぁ!? こっちに無断でアーニャを道連れにしておいて……そりゃあ、そっちの都合が分からんでもねえよ。悪魔化を了承しなけりゃあ、アーニャは熱出した時とっくに死んでたんだからな。例え()じゃあなくなるにしても、悪魔になっちまうとしても、生きて、こうして触れ合える方が良い――それは、分かる」  途端に意気消沈した陽香は、唇を噛み締めながら綾那の胴にしがみついた。耳を胸元に押し付けているのは、心音を聞くためだろうか。ややあってからほうと安堵の息を吐き出すと、陽香はまた颯月を睨むように見上げた。 「正直言って……例えば、颯様がこの世に存在しなかったとして。アーニャの傍にあたしらしか居なかったとしても、たぶん――いや、確実に同じ末路を辿ってた。どんな形でも家族を延命できる手段があるなら、簡単に諦められないのが人情ってモンだ。まず、シアにアーニャの延命を……セレスティン行きを頼んだ時点で悪魔化が確定してたって言うなら、あたしもアリスも颯様の共犯だしな」 「そうして同調する割に視線と態度が厳しいのは、どう言う事なんだ」 「そりゃあ、共犯だとしてもよ! 例え行きつく結果が同じだったとしても、あたしらになんの説明もなく一人で事を進めたのは、責められるべきだろ!? シアに悪魔化の話を持ち掛けられた時点で相談しろよ、ナギと合流するよりも前の話じゃねえか! それを今の今まで黙ってたなんて、人が悪すぎるぞ!!」 「アンタらに言えば綾にまで伝わるだろう、言える訳がない」 「ソレの何が悪いんだよ!? 曲がりなりにも伴侶にしようって相手なら、普通事前に説明するだろ!」 「……………………それじゃあ、()()()泣き顔は見られなかった」 「……あ?」  プイッと不貞腐れた様子で顔を背ける颯月に、陽香が「何を訳の分かんねー事を言ってんだ?」と首を傾げている。正直この一点に関しては、綾那の意見も「何ムチャクチャな事を言っているんですか?」である。  颯月は、己の死に取り乱して号泣する綾那の姿が見たいがために情報を秘匿していたのだ。綾那はどのような方法で悪魔に成り代わるのか聞かされていなかった。そのお陰で、それはもう全力で号泣してしまったのである。綾那渾身の泣き顔を見た、彼の安らかな死に顔と言ったら――思い出しただけで、みぞおちの辺りがキリキリしてしまう。  綾那はキュッと陽香を抱きすくめてから、小さく咳ばらいをした。 「本当にごめんね……颯月さん、悪魔化してから少しだけ性格に変化があって」 「……変化? いや、ぶっちゃけ元からこんなモンだっただろ」 「え? いや、そんな事は――ない、ような? あれ……でも、言われてみれば確かに、前から過激な一面があったのかも……」 「なんでもかんでも()()のせいにすんなよ。颯様もアーニャも、地の性格が悪魔向きだったからこそシアに見いだされたんだろうが」  じっとりと眇めた猫目に見上げられて、綾那は口ごもった後「す、すみません」と素直に謝罪した。  ぐうの音も出ないとは正にこの事だ。悪魔化すると欲望を抑えられなくなり、思想も言動も欲に沿った過激なものになる――悪魔とはそういう生き物。そんな一種の免罪符にも似た説明を真に受けて、無意識の内に何もかも正当化してしまっていた。  悪魔なのだから性格や言動に問題があって当然、仕方がない――と。 (私は、颯月さんさえ居れば――自分さえ幸せならそれで良いって考え方だからこそ、悪魔に向いているって言われた訳だし)  こうして泣きながら激怒してくれる家族には悪いが、その姿を見ても尚、綾那は己の取った選択を一つも後悔していない。そういった性質は恐らく生来のもので、悪魔化云々は一切関係ないのだ。 「うん、私も颯月さんも自分本位で勝手な行動をしてしまったと思う。その点は反省すべき事……だと、分かってはいるんだけど――」 「――()()は、ないんだよな? 腹立つけど、そこだけは聞いて安心っつーか……まあ、良かったよ。いや、良くねえけど」  陽香は、その複雑な胸中を表すような難しい表情をして頬をかいた。家族が自決したなど、本来簡単に飲み下せる事案ではないだろうに――それでも彼女は、綾那の選択を尊重してくれているのだろう。 (私って本当に、人や環境に恵まれてる)  そうしてひとしきり幸せを噛み締めていると、音のない花火がまた暗い夜空を彩った。その光に一つ瞬いた綾那は、「ええと、それで……」と口ごもりながら視線を泳がせる。 「このお祭り騒ぎについては……その、詳しく聞いても良いのかな……?」  綾那の問いかけを受けた陽香の顔は、怒りのせいかカッと赤らんだ。しかしすぐさまクッと悔し気に歪み、そうかと思えばウッと泣きそうに落ち込んで、唇を戦慄かせながら一人で百面相している。  どうもこれは、単に綾那や颯月に対する意趣返しの婚姻――という訳ではなさそうだ。  やがて、ようやく陽香が口にしたのは「あの詐欺師のせいで、全部メチャクチャだ――シアだよ、詐欺シア!!」という絶叫であった。
/442ページ

最初のコメントを投稿しよう!

73人が本棚に入れています
本棚に追加