第12章 怒り心頭

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第12章 怒り心頭

 あまりに複雑な表情をするものだから判断するのが難しかったが、結局のところ陽香は怒り心頭の様子だった。今この場には居ないルシフェリアに対して思いつく限りの罵詈雑言を吐き出しつつ、彼女に腕を引かれて連れられたのは騎士団本部の中だ。そうして案内された応接室の扉を開けると、綾那は思わず息を呑んだ。  部屋の中央を陣取る大きな机。そこに隣り合って座っているのは、まさしく渦中の人――酷く項垂れた様子の渚と維月だった。来訪者を確認するために顔を上げる事さえ億劫なのか、身じろぎ一つしない二人の格好は面白いくらい純白に染まっている。  年齢に反して完成された体躯の維月が着ているのはタキシードスーツ。ジャケットの素材によるものか、まるでパールのような光沢を放つ様は神々しい。  実年齢たったの十三歳とは言え、王族に相応しい威厳ある姿だと思う――あんなにも項垂れていなければ。  渚が身に纏うのは、極めて装飾の少ないドレスだ。座っているから裾のラインまでは分からないものの、維月が正礼装をしている辺りフルレングスのイブニングドレスだろう。袖がないので長い腕が露出しているし、胸元の深いカットも目を惹く。あれは結婚式の後、お披露目パレードのために着替えたドレスなのだろうか。  健康的に焼けた肌も、鍛えられて引き締まった体も、白いドレスに映えていて美しいと思う――あんなにも苛立った様子で、震えるため息を吐いていなければ。 (あー……せっかくならウェディングドレス姿が見たかったのに、もう着替えちゃったんだ)  それどころではないと思いつつも、綾那はついそんな感想を抱いてしまった。家族の結婚式を(ライヴ)で見られなかっただけでなく、人生で一番と言っても過言ではない晴れ姿すら目にできないとは、寂しいものである。  そもそも渚のドレス姿なんて早々見られるものでもないから、これはこれで『いいものを見せて頂いた感』があって良いのだが――。 (こうして二人の姿を見ても、まだ実感が沸かないんだよね)  見れば互いの薬指には指輪が嵌められていて、どうも街で耳にした噂通り本当に婚約――どころか婚姻したらしい。維月はともかく渚の方は政略結婚に意欲的だったので、こちらがほんの少し目を離している隙に『渚、綾那と合法的に義家族計画!』に着手していたとしても不思議はない。  この国の法律についても随分物申していたし、王家の権力を上手く利用して、世界革命を起こしたがっていたのもまた事実だ。  だから全く、不思議はないのだが――しかし、目的を達成した割にこの陰鬱な雰囲気はなんなのだろうか。維月が項垂れているだけでなく、彼を巻き込んだであろう渚まで苛立っているのは腑に落ちない。普通婚姻と言えば慶事で、もっと幸せに満ち溢れたもののはずなのに。  依然として全く読めない状況に、綾那はなんと声を掛けたものかと考えあぐねた。すると、綾那よりも先に隣に立つ颯月が口火を切った。 「維月――」  義弟の名を呼びかける声はそれほど大きくなかったものの、やけに静まり返った応接室にはよく響いた。瞬間、弾かれるようにパッと顔を上げた維月は、義兄を見るなりじわりと目元を潤ませる。  恐らくは彼も、颯月が悪魔化するまでに経た過程を知っているのだろう。 「あ、義兄上……!? 本当に義兄上なのですか? 俺の事が分かりますか?」  ガタンと椅子を倒して立ち上がった維月は、そのままの勢いで颯月に飛びついた。そうして肩や腕を触りながら無事を確かめる様子から、彼の義兄に対する親愛の情は失われていないのだと安堵する。例え――何か、やむを得ない理由があったのかも知れないが――義兄を蔑ろにしたまま結婚していたとしても。  しかし、涙ながらに義兄の無事を確認する維月の肩越しに、これでもかと唇を噛み締めている渚に気付いてしまうと、綾那は口の端を引きつらせた。つい先ほどまで項垂れていたはずなのに、彼女は今殺気溢れる表情で颯月を睨みつけている。視線だけで人が殺せそうとは、正にこういう状況の事を言うのだろう。  彼自身ただならぬ殺気を感じたのか、颯月はまるで反射のように綾那の腕を掴み引き寄せた。 「――ちょっと()()()()()、綾に気安く触らないでもらえますか? 既に勘当されていたとしても、あなただって王族なんでしょう。もっと慎みをもつべきですね」 「おい、待て。こっちはまだ色々と呑み込めていないんだから、いきなりトップスピードでありとあらゆる敵意をぶつけてこないでくれ」  渚の声色は低く、何か強い感情を抑えているかのように酷く震えている。いくら鈍い綾那でも、彼女がこれでもかと怒っている事は理解できた。  突然の『お義兄サマ』呼びや強すぎる目力に、颯月がやんわりと宥めたが――しかし渚は落ち着きを取り戻すどころか、二つの握り拳をダァン!! と机に叩きつけた。 「呑み込めてないのはこっちも同じなんですよ!! どう取り繕ったって、悪いのはそっちサイドでしょう!?」 「分かった、分かってる、全面的に俺が悪い」 「分かってない!! 綾を道連れに無茶な事して! 例え人間でなくなっても、こうして蘇ったからまだ良かったものの――もっと最悪の事態だってあり得たでしょう? まあ、あなたは綾と無理心中エンドになっても大満足だったでしょうけどね!!」  眦を吊り上げて激昂する渚に、颯月は馬鹿正直に「異論はない」と答えた。見た目だけはどこまでも冷静で堂々としているものの、しかし片手に綾那、反対側に維月の肩を抱いている辺り相当なストレスを受けて弱っているようだ。 「おい、ナギ……ぶちギレたくなる気持ちもよく分かるけどよ、とりあえずこの事態の説明からしてやってくんねえかな? 颯様に対する報復は、また皆で考えようや」 「本人が居る前で不穏な事を言うな」  このままでは埒が明かないと判断したのか、扉の影から陽香がひょっこりと顔を覗かせる。彼女もまだふくれっ面だったが、ここまでの道中に散々暴言を吐いていたお陰で、いくらか冷静さを取り戻せたようだ。  その陽香の提言に、渚はハッとする。 「そうですよ――なんで私がこんな袋小路に追いやられないといけないんですか? 私はただ、お義兄サマの愛する殿下の大事な婚約式をこっそり勝手に執り行ってしまえば、後で最高に凹むだろうな……と思っただけなのに!!」 「や、やっぱり渚の発案なんだ……」 「遅かれ早かれ殿下と事務的な仮婚約はするつもりだったし、将来的に反故にしようと思えばできる婚約なら、結んだところで私にデメリットないからね。殿下には、婚約中に国の法律を弄り倒させるつもりだったし……だから婚約関連の法律だって好きにできたはずなの」  渚の身も蓋もない告白に、綾那は苦笑しながら颯月を盗み見た。彼は複雑な表情のまま維月を見下ろしていて、確かにこれ以上ないくらい凹んでいる。そう、渚の目論見通り凹んでいるのだが――婚約(それ)が、どうして一足飛びに婚姻まで進んでしまったのか? それが問題だった。
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