第12章 回想4(※綾那視点ではありません)

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第12章 回想4(※綾那視点ではありません)

 渚達が王宮の入り口で近衛騎士の帰りを待っているのと同時刻。正に渦中(かちゅう)の人である――というか、今にも大きな渦にさらわれそうになっている――王太子維月は、急すぎるアポ取りの近衛と出会う前から既に辟易(へきえき)していた。 「維月、俺はお前の将来を想って助言してやってるんだ。市井(しせい)に影響力をもつ者と親交を深めるだけで不法なのか? 悪評が気になるなら尚のこと、あの()()()はお前の手元に置いておいた方が良い。もちろん、監視する意味も込めて」  王宮内にいくつかある会議室の一つ。その中央に置かれた長机を維月と複数の男性が囲んでいる。彼と年齢が近く、ほとんど少年と言っても過言ではない者や、二十歳を超えていそうな青年に、国王よりも年嵩(としかさ)に見える者――年齢はバラバラだが、机を囲う誰しもが高級品ばかり身に着けていた。  何せ、今ここに集まっているのは全て王族である。王太子の維月はもちろん、彼らもまた身分に相応しい身なりを求められるのだろう。 「ご心配ありがとうございます。しかし、何度もお断りしたように俺は――」 「まあ聞け。例えば俺の言葉通りにしたとして、お前が得られる利益と損失の比率はどうだ? よく考えろ、清廉潔白なだけで王が務まるものかよ。お前はただでさえ年若く舐められやすいんだ。即位当時、既に羽月さんという完全無欠の妃が隣に居た陛下よりも」 「……僅か十歳で即位した陛下よりも、俺の方がですか?」 「まだ婚約者の一人も居ない()()なんだぞ。一族の皆が諸手を挙げて(まつりごと)を任せると思うか? ……もう少し世渡り上手になってくれないか、心配で仕方がない。硬いばかりの(つるぎ)はかえって折れやすいぞ」  維月は口元に薄い笑みを張り付けて、今にも漏れ出してしまいそうなため息を必死に飲み込んだ。いくら次期国王と言ったって、同じ権力をもつ王族が相手では――特に年上相手では分が悪い。  それも、実父の兄弟から受けるありがた迷惑な説教ともなれば最悪だった。 「幼いお前には上手く理解できんのだろうな……どうせ、絨毯屋と親交を深めたところで得られるのは善意の()()ばかりだと思っているのだろう。あの男は王都に限らずアイドクレース領の町村にまで影響力がある。何せ、絨毯だけでなくカーテンや大物家具も独占販売していたんだ。もし不買の圧力を掛けられれば、新たに商売を始めようとしても店の設備すら整えられん――同じものを他領から取り寄せるには時間も費用も掛かりすぎる。その恐ろしさが分からないのか?」 「叔父上(おじうえ)、陛下は当分俺に冠を譲る気がないようですよ? そういった助言は俺でなく陛下に直接――もしくは、当事者の幸成に懇願してみてはいかがですか。(くだん)の絨毯屋を裁くと決めたのは彼でしょう、部外者の俺が口を挟める事ではないと思います」  維月の指摘に、叔父もまた笑顔のまま口元をひくつかせた。机を囲む『叔父派』としか呼称しようのない若者たちも、途端に剣呑な空気を纏う。  果たして、この無意味な問答を繰り返すのは何度目だろうか。維月にとっては、城下の噂と騎士の報告書でしか知らない『絨毯屋の大倉庫炎上事件』。事の顛末(てんまつ)を要約すると、絨毯屋オーナーの自業自得が招いた王族(幸成)による制裁でしかない。 「幸成は当事者だからこそ感情的になって、まるで大局が見えていない。それにアレは王位継承権を放棄した時期があまりにも早すぎる。法務を学ぶ事さえ子供時代に投げ出した、王族と呼べるかどうかも怪しい立場の男だぞ? 俺たちとは価値観が違って当然だな」 「確かに、王族と騎士ではモノの見方が違います」 「やはり維月もそう思うだろう? ……まあ、傍に居て規範を示すのが()()()()()()()()()()だけではな。知性など身につかなくて当然――」 「それはそれとして、騎士は法律に従い犯罪者を捕縛する存在ですよ。幸成が法務に明るくないという主張はまるで理解できません」  叔父の言葉を遮るばかりか、維月は淡々と線を引いた。そうして一向に迎合する姿勢を見せない彼に、会議室の空気がまた一段と悪くなる。  これだから、叔父派と会合を開くのは嫌なのだ。悪事に手を染めるよう勧められて貴重な時間を無駄にするだけでなく、敬愛する義兄の聞きたくもない批判まで耳に流し込まれるハメになるから。  そもそも特定の商会を贔屓にするどころか癒着する気のない維月には、終始全くと言って良いほど心惹かれぬ話である。叔父はただどんな手を使っても『駒』を取り戻したいだけで、あわよくば幼い王太子を傀儡にできれば万々歳。  それだけ――と断じるにはあまりにも粘着質で執拗な嫌がらせを受けているような気もするが、目に見えぬ人の心など分かるはずもなく、どうしようもない。  次期国王たる維月が叔父の話に乗れば最後、不正の一端を担った者として一生弱みを握られてしまうだろう。  あの絨毯屋について良い噂は聞いた事がない。例え犯罪染みた事に手を出そうとも、財力一つで縄から逃れてしまう悪徳商人。そんな悪評が出回っていても公然と縄を抜け、王都を我が物顔で闊歩する面の皮の厚さには理由があるに違いない。  背後に強力なパトロンが居るのだ。例えば役職もちの上級騎士。例えば収容所の管理官。例えば王族――それも、最高権力者の王もしくはそれに近しい立場の者であれば言う事なしである。 「お前も事件の調書には目を通したのか? 俺は絨毯屋と旧知の中だ、あの男があれほど稚拙な……それでいてタチの悪い事件を起こすとは思えん。何か行き違いがあるはずなのに、陛下はまるで耳を貸さないと来た」 「調書に疑いを抱くほどの違和感が見当たらないだけでは? それに、確か収容された被疑者本人も罪を正しく認めていますよね。独占事業で得た財産も全て放棄するとサインしていたはず……つまり、叔父上の言う『影響力』は既に失われています」 「あんなもの、頭に血の上った幸成が脅して書かせた偽の供述に決まっている。不正があったと分かれば刑罰の撤回も難しくないだろう」 「それほど頑なに被疑者の潔白を信じるからには、きっと決定的な証拠があるのでしょうね。それを陛下に伝えれば済む話ではありませんか? ()()()俺に言っても仕方ないですよ、なんの権限もありませんし」  ――なんて、今更手も足も出せない状況だからこそ、こうして維月を頼っているのは丸分かりなのだが。  叔父は唇を強く嚙み締めた後、やや歪んだ無理やりの笑みを張り付けた。 「とにかく、社会勉強も兼ねて一度収容所へ行ってみないか? お前だって彼から直接話を聞けば違和感を抱くさ」 「直接話を聞いてどうしろと? まさか彼を収容所から不正に助け出して、被るはずの罪を全て取り消せ――なんて言いませんよね」 「そうは言っていない、どうして俺がお前にそんな命令を下せると思う? ただお前の目と耳で真相を確かめて欲しいだけなんだ。違和感が見つからなければその時は仕方ない、俺は陛下の言う通り人を見る目がなかったという事だろう」  一向に引き下がらないだけでなく確定的な証言さえしてくれない叔父に、維月は危うく舌打ちしそうになる。いっその事、癒着と汚職について堂々と吐いてくれればどれだけ楽か。  私は絨毯屋から度々金を貰っています。善意の献金などではなく裏金です。その見返りに数々の犯罪を見逃してきました。甥っ子も一緒に楽しみませんか、と。  実父と義兄それぞれから受けた助言により、維月もまた幼少期から常に録音機の魔具を持ち歩いている。何か犯罪に加担したという決定的な発言もしくは、絨毯屋との間に金銭の享受があったと裏付ける証拠さえ入手できれば、例え王族でも逃れられないのに。  叔父が失脚してくれれば叔父派もまとめて大人しくなるし、今後維月が貴重な時間を無駄にする事も、義兄の悪口を聞かされる事もなくなる。要らぬストレスから解放されて、一族の膿も出せて良いこと尽くしだ。  しかし、自称法務に強い王族とやらがそんなヘマをするはずもない。犯罪を示唆したと呼べる程の証言とはどのレベルか、どの程度の書類が公になれば身を滅ぼすか。ギリギリのラインを知っているからこそ言い逃れが上手いし、確たる証拠もなく糾弾すればこちらが返り討ちに遭う。  どうせ録音機を携えているのはお互い様だろうから。 「何度もありがたい助言を頂いて申し訳ありませんが、収容所へ行くつもりはありません。そもそも事件の発生事由が気に入りませんから、俺があの犯罪者に目を掛ける事はないです」  事件発生時は愛憎渦巻くスキャンダルとか、ある意味奇跡とも呼べる勘違いが重なった結果の不運な事故とか、面白おかしい見出しの記事が街に溢れていたものだ。  実際のところは、義兄の颯月――彼が預かる仮初の婚約者を巡る騒動に過ぎない。義兄に懸想した身の程知らずの馬鹿女とその親が企てた計略だ。勝手な勘違いで狙われた桃華も、不運な人違いで誘拐されたらしいどこぞの女性も不憫でならない。  それに何より許せないのは、取るに足らない理由で義兄の手を煩わせた事だ。愚行としか言いようのない計略を嬉々として実行した絨毯屋と手を組むなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。 「維月、お前『悪魔憑き』が絡むと途端に頭が悪くなるよな? 過度な贔屓は不正も同然だ。この国の将来が不安だよ、王太子がそんな調子じゃあ」 「叔父上がこれほど親身になってくれているのに、その恩を仇で返す無礼極まり態度――似ないで良いところが似たもんだな」  今まで黙り込んでいた青年たちが、待ってましたと言わんばかりに口を開く。名前こそ明言しないものの、彼らが誰を侮辱しているかは明らかだった。  叔父に呼び出される度に今日こそは尻尾を掴むと意気込んだ。しかしいつも失敗に終わり、ただ苛立ちを募らせるだけ。  もうこの辺りで膿の一掃など諦めた方が良いのだろうか。今は舐められていても、いずれ維月が国王に即位すれば立場は逆転するのだから――そうして無視に徹しようと努めても、叔父派はいつも絶妙な挑発行為を繰り返す。  維月が決して無視できない、ある意味弱点と言っても差し支えない話題を出してくるのだ。  しかし、ここで反応すれば相手の思う壺だ。会合の最中(さなか)維月が乱心したから話が中断した、また後日仕切り直そうなんて事になっては面倒くさい。  それが分かっていても、無反応で居れば調子づいて義兄の悪口を吐き続ける親族につい舌打ちしてしまう。チッと乾いた音を聞くなり、まるで鬼の首を取ったように「品性が足りない」「あんな無頼漢を慕うから悪影響が」と悪口が過熱しても、反発せずにはいられないのだ。  王位継承権を手放すのが早いと学がない? では今この場に集まる者の中に、たった十歳で勘当されると同時に学びの機会すら失った義兄よりも賢い者が居るのだろうか。  法務を司る王族だからと宮でふんぞり返っている者と年中無休で現場に出る騎士団長、果たしてどちらがより国に貢献しているのだろうか。  本人にはなんの咎もないのに、愚かな嫉妬が原因で眷属に呪われてしまった義兄の何がそんなに気に入らないのか。 「――義兄上に対する妬み嫉みの言葉は聞くに堪えん。そもそもの議題から逸れたし夜も更けたし、これ以上は全くの無意味だ。いい加減解放してくれませんか? 俺は子供なので眠いんですよ、もう」  作り笑いを張り付けていた表情はすっかり冷えて、背筋の真っすぐに伸びた座り姿勢も態度悪く崩れ、机に片肘までついた。ここまで場が荒れては仕方ない。どうせ後日仕切り直しは避けられないのだから、これ以上は懇切丁寧に猫を被り続ける必要もない。  今日こそはと思いながらも、どうせまた失敗するとも思っていた。ゆえに会合が始まる前、ひっそりと大叔父――維月にとっては亡き祖父の兄弟に当たる人だ――にヘルプを出しておいた。  具体的に言うと、もし自分が三時間経っても解放されなければ会議室を訪れて、それらしい理由と共に連れ出してくれと。そろそろ約束の時間なので、あとは適当に噛みついていれば良いだろう。  自身が置かれる環境の改善をとっくに諦め切っている義兄、もしくは他人の誤解をとく事をしようともしない父に似てしまったのだろうか。労力の少ない道を選び、損をしてでも諦める事ばかり覚えてしまう。こういう部分こそ正に似なくていいところだった。  義兄の批判と維月へ対する苦言の嵐に青筋を立てながら、維月はふと「いつか本当に殴ってもらおうか」なんて事を考えた。  あのゆるふわ()()()()。普段は打算も何もない幸せな頭をしているくせに、維月や颯月を悪く言う親族が居れば正妃の威を借りてでも物理的に殴ってやる――なんて、随分と狡猾な事を言っていた。  そんな様子を目にできれば気分爽快だろう。しかし、あの幸せな夫婦を王宮の面倒事に巻き込んで良いはずもなかった。  やはり今は耐えるしかない。一刻も早く国王に認められて、王位を継承して――したところで、本当に立場は変わるのだろうか。  国王になっても舐められっ放しだったら。いつまでも悪口を叩かれて、義兄の批判をされて、無意味な会合を開かれたら。  先を見据えすぎると途端に足が竦む事がある。苦難の終わりが見えない上、あまりの孤独感に嫌気がさすのだ。  父が即位の条件に婚約者を挙げた理由がよく分る。国王になれば甘えも失敗も許されない。誰か一人でも良いから絶対的な味方が――何があっても裏切らない人間が必要だ。  そうでなければ、玉座に座り続ける精神力などあっという間に失ってしまうだろうから。 「――殿下、お話し中のところ申し訳ない」  ドアを数回ノックされたかと思えば、ついに大叔父の声が掛けられた。すぐさま入室の許可を出すと、維月が待ち侘びた助っ人の苦笑いする姿がある。  王族あるあると言っても過言ではないが、誰も彼もが血を繋ぐ事を最優先事項として生きるため大叔父と言えども若々しい。五十は超えているものの、それで既に曾孫が居るくらいだ。  大叔父は普段父の右腕として献身的なサポートに徹しているので、宰相的な立ち位置とも言えるだろうか。年齢も上だし、今この場に居る誰よりも立場が強い。  だからこそ、会合の途中で乱入しようと王太子をかっ攫おうと誰も何も言えないのだ。  これでようやく解放される――そんな思いでもって席を立てば、大叔父はどこか話しづらそうに声を潜めた。 「一体いつ、こんな時間に接見を要求してくる非常識な人間と知り合ったのですか?」 「……え?」  大叔父に頼んだのは、偽の用事で会議室から連れ出す事であったはず。しかし今、至極心配そうな顔で「今そこに近衛が居て」と維月を窺う姿は、とても演技をしているように見えなかった。
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