第12章 回想5(※綾那視点ではありません)

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第12章 回想5(※綾那視点ではありません)

 維月としては、正直この会議室から抜け出せるならば理由はなんでも良かった。しかしまさか嘘が誠になるとは――それも、常識人の大叔父が不信感を抱くような時間帯に知人が訪ねて来るとは。  会議机を背に入り口付近で大叔父と対峙すれば、ほんの僅か眉を(ひそ)められる。 「殿下に限ってまさかとは思いますが……何かお悩みでも? 付き合う相手は選ばなければなりませんよ」  嫌味でもなんでもなく純粋に心配しているらしい大叔父の言葉を受け、維月は肩の力を抜いて笑みを漏らした。次期国王として特に目を掛けている又甥(またおい)に、素行不良の友人ができたのではないかと不安にさせてしまっただろうか。  とは言え、維月自身わざわざ夜中に訪れる知人の心当たりなどない。少し前なら義兄とその妻を思い浮かべたが、あいにくと二人は他領へ出ているそうだ。  あと思い浮かぶのは幸成や竜禅などの騎士だが、そもそも素性の知れた相手なら大叔父も身構えないだろう。 「心当たりがないなら、私が代わりに追い返します」 「いや、体裁も何もなく夜中に訪ねて来るくらいだ――よほど急ぎの用があるのでしょう。俺が直接確認しますよ」  どうも新たな面倒事が起きる予感しかないが、今はとにかくこの場を離れる事が第一だ。維月は顔だけで机を振り返ると、叔父派の面々へ「それでは、今日のところはこれで」と一方的に解散を告げた。  しかし、大叔父直々の呼び出しならまだしも、得体の知れないアポなし来訪者が相手では当然決定力に欠ける。しっかりと会話に聞き耳を立てていたのか、維月の背中に待てが掛かった。 「維月、まだ話は終わってないだろう。一族の会合より約束すらない相手を優先するつもりか? 正気の沙汰じゃあない、それでよく次期国王を名乗れるものだ」  叔父が苦言を発すれば、そうだそうだと同調の声が上がる。つい先ほどまで未熟だの子供だのと揶揄していたかと思えば、舌の根の乾かぬ内に王太子として自覚がどうとか、幼さは責任逃れの免罪符にならないとか、真逆の事を言い出す。  自分の発する言葉に責任を持てないのは、そちらも同じだろうに――矛盾した批判ばかりで本当に嫌になる。まるで悪質なクレーマーだ。  いつもは維月に寄り添ってくれる大叔父も、この状況ではさすがに味方しづらいのだろう。いくら叔父派の言動に問題があったとしても、維月まで同じ土俵に上がって無礼な対応を繰り返していては庇えないのだ。 「ああもう、本当に――」  面倒くさい事ばかりだ。維月が気に入らないなら他の誰かが王になれば良い。  今更どうしようもない本音だけは吐き出さずに飲み込んだが、こんな生活が続けばいずれ何もかも漏れ出してしまうだろう。  全て投げ出してしまえればどれほど楽か。しかし責務から逃げ出せば、叔父派に負けたと――義兄に対する侮辱まで正しいと認める事になりそうだから、他でもない義兄が「良い王になれる」と太鼓判を押してくれたから、ギリギリのところでプライドを保っているだけなのに。  維月は一瞬だけ眉根を寄せた後、何も関係ないと言わんばかりに会議室の扉を開け放った。  背中に掛かる制止の声と非難するような視線を無視したまま、緊張した面持ちの近衛騎士を見やる。一体いつから廊下で待機していたのか知らないが、やや青ざめた顔色から察するにあまり良い話ではないのかも知れない。 「……何か、俺に用があるらしいな」  思いのほか不機嫌な声が出てしまい、すぐさま「こういうところが幼いと言われる所以(ゆえん)だ」と反省する。ウッと口ごもる近衛を見て細いため息を吐き出し、肩を竦めた。 「こんな時間に、一体どこの誰が訪ねて来たんだ? 本当に俺の知人だろうな」 「は! あの、団長の奥方のご家族で……「渚と言えば分かる」と」 「……渚が? それは、少し……よくない、今はタイミングが最悪だ。日を改めて訪ねるよう言って、丁重に帰して欲し――いや、しかし」  渚――維月の中では、有益な婚約者候補として最上位に居る女性。  彼女からは学べる事が多いし、話をするのも楽しい。だから定期勉強会以外でも会う事に否やはないが、よりによって親族から追及されている場面に訪ねて来ようとは。  まだ彼女と会って間もないが、どうも一線を引くどころか分厚い壁越しに維月と接しているらしい事はよく分かる。かなり遠慮している様子も見てとれたので、まさかこんな時間にアポなしでやって来るとは全く予想できなかった。  しかし、予想だにしなかったからこそ不安を覚える。あの聡い彼女が非常識な来訪をするしかなかった理由とは――よもや義兄夫妻に何かあったのではないか。  すぐにでも会って確認したい気持ちに駆られたが、今はあんな、全身で異大陸出身ですと表しているような女性が婚約者候補だと知られたらまずい。  何よりも血統を重んじる王族にとって、異大陸のよそ者を妃にするなど容易く受け入れられる事ではない。 「王太子ともあろうものが、こんな時間に逢引きかよ……?」  近衛が女性らしき名前を告げた事で、新たな玩具を見つけたとでも思ったのだろう。開け放たれたままの扉の向こうから大きな呟きが聞こえて、維月は唇を引き結んだ。 「まさか、道ならぬ相手とでも恋に落ちたのか? 夜分にコソコソと隠れて会おうなど――まともな相手ではないらしいな」 「……殿下、心苦しいですが彼らの言い分はもっともかと。正統な婚約者として傍に置く相手ならば、もう少し常識を身に着けて頂かなくては……これではさすがに風紀が乱れますよ」  心強い味方であったはずの大叔父までもが忠言を口にしたため、維月は近衛に「やはり会えない、丁重に帰してくれ」と告げた。  いずれ彼女を王太子妃の座に据えるとしても、それは完全に外堀を埋めてからの話だ。そうでなければ、維月だけではなく渚まで叔父派に攻撃されてしまう。  まずは、火の粉から守るための盾を用意して――せめてそれくらいの誠意を見せなければ、自身の野望を叶えるだけでなく維月にも利益を生もうとしてくれている彼女に、申し訳が立たない。 「後日俺の方から騎士を通じて連絡すると伝えて……用件だけでも紙に書いて渡してくれないか訊ねて欲しい」  会わないと決めたものの、やはり彼女が無茶をした理由が気になった。すぐにでもスケジュールを調整して会わなければ――最短で時間を作るにはどうすべきか。  近衛の背を見送りながらそんな事を考えていると、不意に肩を叩かれてハッとする。振り返れば笑顔の叔父が居て、「まだ話せるな?」と胃の痛くなる事を言った。  面会を断ったからには――大叔父にまで素行不良の疑念を抱かせてしまったからには、頷くしかない。いつの間にか会議机まで移動して、このまま会合に参加する気でいる大叔父の存在を有難いと思って耐えるしかないだろう。  彼さえ居れば、曲がりなりにも元王族の義兄に対する侮辱は弱まるはずだから。 「品行方正な正妃様に育てられて、どうしてこうなるんだか……付き合う相手が悪いせいか? 特に()()()が分も弁えず出しゃばり始めてから、王宮どころか王都全体の空気が悪くなったよな」  叔父に肩を抱かれて会議室まで連れ戻される最中、一人の青年が口にした言葉で維月は足を止めた。つられるように足を止めた叔父は、さも深刻だと言わんばかりに大きなため息を吐いた。 「浅ましくも陛下と正妃様に取り入り、巷ではそれなりに存在を認められているらしいが……アレは王都の歴史と文化を壊しかねない危険思想の持ち主だ。知性の欠片も感じられない顔など、あの()()を彷彿とさせて吐き気がする」 「ええ、全くです。あの肢体も、こう……はち切れんばかりで品がないというか、目のやり場に困るというか。ま、まるで商売女ですよ。街を歩いていいはずがない」 「確かにあれは、もう少し布を増やせんのかと問い正しくたくなる……いや、見た目の話などどうでも良いんだ! とにかく、あの女と関係を持つようになってから()が調子づくようになったでしょう? 以前は勘当された者らしく、静かに暮らしていたものを――それが今では我が物顔で王宮にまで足を踏み入れる。本当に余計な事をしてくれた……王宮に住む子供の教育にも悪いし、害悪極まりないです」  大叔父が来たせいか、机を囲む男たちは途端に維月や颯月を揶揄する事に興味を失ったらしい。その代わりに、渚の話から飛び火してある一人の女性を貶し始めた。  叔父派が彼女の存在に腹を据えかねている事は知っていたが、こうもハッキリと暴言を吐く様を見たのは初めてだ。  義兄は栄えある騎士団長という肩書を手に入れても驕る事なく、あくまでも勘当された身であるからと、一歩も二歩も引いた立ち位置で王族と接していた。  それどころか、己が幸せに暮らす様を王族へ見せる事すら憚れると言わんばかりの、卑屈とも捉えられかねない程静かな暮らしぶりだった。  しかし、彼にとって唯一無二の天使とやらを捕獲した後は、まるで人が変わったように笑顔を見せる事が増えて――それは、颯月を忌み嫌う者からすれば一つも面白くない変化である。  死ぬまで下を向いて生きろ、苦しみ続けろと思っていた男の変化を、この者たちは受け入れられなかったのだろう。  義兄を幸せにするためだけに生きる彼女の存在に、決して少なくない感謝をしている維月とは違って。  維月は、肩に回された叔父の腕を振り払った。それから自らの足で会議室に舞い戻ると、開け放たれた扉もそのままに怒りで震える声を絞り出した。  いっそ怒鳴り散らして、維月の声が王宮全体へ響き渡れば良いのだ。そうすれば、彼女を義娘と呼んで可愛がる両親の耳にも入るだろうから。 「お前ら今、誰の誹謗中傷をしている? 気でも(たが)えたか」 「年上の従兄弟に対してなんて言いようだ!? わざわざ言うまでもないだろう、生涯悪魔憑きとして呪われているような男と結婚した、あの気狂いだよ!」  義兄と違って元王族でなければ、この大陸に身寄りもない弱者。そんな相手ならばいくら罵倒しても良いと思ったのだろうか。それはとんでもない思い違いだ。この世で一番触れてはならない、義兄の逆鱗だと言うのに。  そんな事を思い苛立っていると、維月の周りでバチリと大きな静電気が弾けた。幸いたった一度で終わったが、突然の事に目を丸めたのは維月だけではない。 「殿下……! まさか今、魔力の制御を失ったのですか!?」 「いや、そんな大層なものでは……酷く苛立っている事は確かですが」 「信じられません……今までこんな事は起きなかったのに。やはり、周囲の悪影響が――?」 「は……確かに、()()()影響は大きいですね。俺に模範を示すのがこんなヤツらでは」  すっかり動転した様子の大叔父をなだめながら毒を吐けば、すぐさま反論が返ってくる。 「か、感情的になって魔力を暴発させるなどあり得ん、やはりお前は王に相応しくない!」 「そうだ、何をそんなにムキになる事がある? 維月とはなんの関係もな――ああ、もしかしてお前も誑かされたクチか? 懇意にしているという話なら耳にした事がある。アレと穴兄弟(きょうだい)になりたいからと、筆おろしでも頼んだのかよ?」 「……良いか、馬鹿にも分かるよう言ってやる。お前らが面と向かって義兄上を侮辱しても五体満足で生きていられるのは、元親族との関係改善も自分の評価を覆す事も……あの人はとっくの昔に何もかも諦めているからだ。一つも期待してないから怒りすら覚えない。所詮は広い懐で許されているだけの分際で、義姉上まで貶すとは――果たして調子づいているのはどちらだ? 義兄上の耳に入ってみろ、今度ばかりはその身をもって悪魔憑きの恐ろしさを知る事になるだろうな。俺は、王宮を血で染める義兄上の姿など見たくない」  低く震える声で真正面から脅された叔父派の男たちは、分かりやすく口を噤んだ。堂々と脅迫した音声を誰かに録音されていようが、今この場でとった態度が問題になろうが関係ない。  言われっ放しは腹が立つし、家族に対する侮辱の言葉を聞くのも耐えられない。のちのち義兄夫婦と胸を張って再会するためにも、黙っている訳にはいかなかった。 「しかし維月、お前まであの女を傍に置くのは辞めた方が良い。分も弁えず王宮へ侵入して来たら追い返すべきだ。アレのせいで羽月さんが精神的苦痛を(こうむ)ると分からないのか」 「……今度は一体何を言い出すんです? またしても俺の将来を想うからこそ――なんて言われても、何一つ響きませんよ」  青年らを黙らせてもまだ口を開く叔父に、維月は思い切り眉を潜めた。  どうせ亡くなった側妃と笑い顔が似ているとかなんとか、既に耳タコな話に違いない。故人を引き合いに出してまで彼女を貶めたいのかと思えば、酷く呆れてしまう。  いっそ、王族の自分が直々に殴ってしまおうか――義姉に頼むよりもよほど罪が軽く済みそうだ。  そうして握った拳に力を籠めれば、背後の廊下から「ふっ」と小さな笑い声が聞こえた。この状況で笑いが出るなど、まともではない。眉を潜めたまま振り返ると、維月はポカンと口を開けた。  なぜなら、そこには緑色の髪をした女が立っていたからだ。
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