第12章 回想6(※綾那視点ではありません) 

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第12章 回想6(※綾那視点ではありません) 

「な――んで、来た? 面会は断ったはずだ、まさか義姉上の身内なら無作法も許されるとでも?」  維月は、あえて厳しい口調で問うた。一体どんな手段を使ってここまで来たのか知らないが、聡い彼女ならばこちらの意図が正しく伝わると思ったのだ。  今は一刻も早くこの場を離れて欲しい。どうか叔父派から酷い口撃を受ける前に、姿を消して欲しかった。  しかし渚は、身を翻すどころか肩を揺らして含み笑いを漏らしている。その上、まるで怯え震える子猫を見つけたと言わんばかりに緩んだ金眼で維月を見つめると、一歩また一歩と距離を縮めてきた。  定例勉強会ではいつも眠たそうな半目に眇めているから、こうして見ると実は目が大きいことに気づく。異大陸の人間特有なのか、義姉の身内はどれもこれも見目が麗しい。  ――麗しいはずなのに、この眼で見られると背筋が寒くなるのはなぜだろうか。  例えば恋するように、訳もなく体温が上昇するとか脈拍が早くなるならまだ健全だ。しかしこれは違う、むしろ肝が冷える。何やら、普通は見えるはずのない臓腑の裏側までじっくりと観察されているような、得体の知れない薄気味の悪さがあった。  思わずじりじりと後ずされば、笑いを堪えきれなくなったらしい渚が噴き出した。一体何がそんなにツボに入ったのか知らないが、高笑いしながら距離を詰めた彼女は、褐色の腕を伸ばして維月の頭をポンポンと叩く。  普段の彼女からは想像もつかない姿だ。維月は不気味さと状況を把握できない混乱とでぴしりと体を固まらせて、そのまま黙り込んでしまった。 「あー……もう、なんですか殿下。悪い虫だなんだと憎まれ口を叩いておきながら、綾のこと大好きすぎません? 義兄と同様、しっかり毒されているみたいですね」  からかうような口調で「普通、当事者でもないのにそこまで怒らないでしょう?」と続く言葉に、維月は数拍したのち今度こそカッと体温が上昇するのを感じた。  何が起きているのか全く分からないが、とりあえず義姉に対する誹謗中傷に激しく反論する様子は全て見られてしまったらしい。それがどうにも気恥ずかしくて、あまりの居心地の悪さに渚の腕を振り払った。  女性相手にこんな真似をしたと正妃が知れば、懇々と説教をされること間違いなしだ。 「う……るさい、そもそも面会を許した覚えはないぞ。会合の邪魔だ、今すぐ帰ってくれ」 「その上、まだなんの関係もない私にまで配慮してくださるとは……あまりお人好しだと心配になりますね」 「は……?」 「でも余計なお世話ですよ、あなたまだ十三の()()なんですから――どうして成人の私が、子供に庇護してもらおうなんて思えるでしょうか? 七年早い、自惚れも甚だしい」 「………………随分、手厳しいことを言う」  ようよう吐き出せた言葉はそれだけだった。渚は、確かに維月の意図を理解していた。しかし、理解した上で逃げる気など一つもないらしい。  先ほど振り払ったばかりの腕がまた伸びてきたかと思えば、今度は長いポニーテールを尻尾のように掴んで引いた。首の辺りからグキリと不穏な音が響いて、強引に下げられた頭が彼女の顔に近づくと、維月の耳元に唇が寄せられる。  その瞬間、彼女が登場して以来ざわついていた会議室から大きなどよめきが上がった。それもそのはずだろう、仮にも王太子の髪を引っ掴むなどあってはならない事だ。 「詳しい話は後でしますから、ひとまず今は『婚約』という同盟を組みませんか? 殿下の願いを一つだけ()()()()叶えて差し上げますから、あなたも私のささやかな願いを一つ聞くんです」  なんでもと言われた維月は、つい反射的に「できるものなら、いっそ叔父派を()()()黙らせてみろ」なんて物騒極まりないことを考えて、すぐさま思考を振り払った。  もちろん、全ては義兄の悪口を二度と聞きたくないからだ。義姉のことに腹を立てたのだって、巡り巡って義兄の心の安寧を守る手段に過ぎないのだから。  しかし、これでよく分った。いとも容易く感情的になり他人を害そうとするなど、確かに維月は王に向いていない。 「そちらの願いを聞く前に頷けるか」 「同盟の締結こそが願いですが? 今この場で彼らに、私を婚約者だと紹介してください。不敬だなんだと話の途中で口を噤むハメにならないよう、あなたの王権で支えるんです――ついでに、明日にでも盛大な婚約式を挙げてもらえればなあとは思っていますが」 「ついでで言って良いスケールではないな……同盟は不成立だ。そもそも、あなたに俺の願いは叶えられん」 「いいえ? お望み通り彼らを殺して差し上げますよ。ただし、今日のところは()()()()ですが」 「……なぜ」  偶然の一致だろうか。維月が激怒する様を見ていたと言うからには、叔父派が放った義姉に対する暴言も当然聞こえただろう。だから「殺す」なんて物騒な単語が飛び出たに違いない。そうでなければ――これでは、まるで人の心を読んでいるようではないか。 「さあ、どうします? 今はそれなりに気分が良いので、特別に素敵な魔法を披露してもいいのですが……殿下にだけは、タダで」 「俺は、この世にタダより怖いものはないと教わってきた」 「……そりゃあそうですよ、これだけの王族を黙らせて差し上げるんですから。身を切らせて骨を断つぐらいの気概は見せてくれません? いずれ暴君になるんでしょう」  維月は決して暴君を目指している訳ではないし、そもそもそれは渚と婚約した先に起こり得る未来の一つに過ぎないのだが――。 「少し……待ってくれ、それに、痛い」  あまり意味はないと分かっていたが、少しでも思考をまとめるために苦し紛れの時間稼ぎが始まった。  まず、まるで手綱のように握りこまれたままの髪の毛を救出しようと、渚の手の甲を指先でつつく。すると、彼女の指はいとも簡単にほどけた――のは良いが、あろうことか次は維月の人差し指を握りこんだ。  まだ正式な婚約関係にない未婚の男女が、みだりに触れ合うのはよくない。そんな倫理に基づいたことを心配するよりも先に、維月は「一刻も早く頷かなければ、折られるかも知れない」と生唾を飲み込んだ。  思春期の少年らしく異性との触れ合いに浮足立つどころか、恐れしか抱けないとは。確かに両親の危惧する通り、維月は異性との接し方に難があるのかも知れない。  あるいは、ただ単に相手が悪いだけなのか。  尚も騒がしい背後に、目の前には金眼を光らせて笑う女性。もはや退路はどこにもない。  どうせ何一つ自分の思い通りにならないのなら、叔父派の言いなりになるよりも渚の得体の知れない策略に乗った方が良い。  ちらと振り返って室内の様子を窺えば、青年らが顔を真っ赤にして不純異性交遊だの破廉恥だのと騒ぎ立てている。  どうも発する言葉を聞くに、彼らの位置からは渚が維月の髪を引っ掴んで暴行したのではなく、まるで熱烈な口付けを贈っているかのように見えたようだ。驚愕のせいか、大叔父は青白い顔で絶句している。  唯一近い位置に立つ叔父には、渚とのやり取りは決して甘いものではないとバレているだろう。しかし、万が一にも話が漏れ聞こえないよう声を潜めて話す様は、それなりの関係性を示しているとも言える。  夜中に王宮の中まで押し入ってきて、近すぎるスキンシップにも一切躊躇わない姿を見せたのだ。正直、婚約者と紹介するだけならば容易い。  問題は、維月ではなく彼女が矢面に立つことで、どれほどの敵意と罵詈雑言を浴びせられるかで――。  その時、握りこまれた指がギチリと軋んだ。先ほどまで緩んでいた金眼は僅かに細められており、まるで無言のまま「余計なお世話だって言ってるでしょう、この聞き分けのないクソガキ」と諫められたようで、維月は眉を顰める。  都合の良い時だけ子供、都合が悪くなれば次期国王。そんなダブルスタンダードに振り回されるのが何よりも苦痛だったが、これほど徹底して子ども扱いされると、それはそれで情けないというか、己の頼りなさが不甲斐ない。  維月は短く嘆息すると、まるで普段の渚のようにジト目になって渋々頷いた。  ふっと鼻を鳴らす音が聞こえて、それから思いのほか甘い声色で「いい子ですね」と囁かれると、途端にみぞおちの辺りが重くなる。  実母の正妃でさえ、維月に対して息子と言うよりも次期国王として接する。だからこそ、今まで女性にこれほど露骨な子ども扱いなどされた経験がないのだ。何やら維月は今日、とんでもない敗北の味を知ったような気がする。  一人屈辱に震える彼をよそに、渚は掴む指を一本から四本に増やして顔の高さに掲げた。そのまま――維月が義兄顔負けの図体をしているお陰で――室内の者から見えずにいた自身の姿を晒そうと、王太子の(たっと)い体を肘で横に押しやる。本当に無茶苦茶だ。  初めて渚を見る者の視線の動き方は大体決まっている。まず神子ならではのド派手な緑頭に目が行って、次に金眼。それからやっと整った容貌を意識して、褐色の肌とプロアスリートのように引き締まった肢体に気付き――大多数が「心身ともに強そうで全く可愛げのない、妙に高圧的な女」と目を眇める。  渚を見て寂しがりで可愛いなんて言ってのけるのは、綾那くらいのものだ。  会議室に集まる面々も例に漏れず、分かりやすく顔を顰めた。むしろ血統にうるさい王族だからこそ、神子の存在に慣れた表の人間よりも反応が顕著だ。  維月の危惧した通り「王太子の懸想する相手が、よりによって異大陸の女?」と敵愾心に満ちた目をしている。  唯一気になる反応を示したのは、今の今まで青白い顔で絶句していた大叔父だ。彼は渚の姿を見るなり、過去維月が聞いたことのない甲高い奇声を発して席から飛び上がった。それからしばし硬直していたかと思えば、覚束ない足運びで右往左往し始めて心配になる。  やはり、常識人の彼に異大陸出身の王太子妃候補を見せるのは時期尚早であったに違いない。  四本の指を握りこまれて身動きが取れぬまま室内をぼんやり見渡していると、隣から「どうも、殿下の婚約者です」という自己紹介が飛び出して、叔父派が色めき立った。  アイドクレースの王族は、建国以来数千年に渡って貴い血を繋いできた。王の伴侶に異大陸の血が混じることを嫌うどころか、同じ国に暮らす国民が相手でも厳しく精査されてきたのだ。  維月もそれくらいの常識は学んできただろうに、伝統ある通例を無視してなんたる勝手な行いか――言葉などなくたって、肌に突き刺さらんばかりの冷たい空気だけで叔父派の思いが伝わってくる。 「お前……お前の義姉は最悪だ、派手な姿を見るに関係者だな? 王家の伝統が――常識すら通用しないところまで()()に似ている。二代続けてよそ者の悪女に振り回されるなど、あってはならない事だぞ。それも、異大陸出身の妃候補なんて……今すぐ考え直さないか」  大叔父の様子もすっかりおかしいし、もはや体裁も何も考えられなくなったのだろうか。維月と渚から数歩しか離れていないところに立つ叔父は、眦を釣り上げて分かりやすく怒りの形相をしている。  強い視線の先には渚。出来ることなら盾になってやりたいし、正妃が見れば「何をしているのよ、紳士なら女性を守りなさい」と苦言を呈するだろうが、仮に維月が彼女の前に立って守ろうものなら、また髪を引っ掴まれるか背中に肘鉄が入るかの二択だろう。今は大人しく見守るしかない。  義姉曰く、渚は異大陸で才女と名高かったらしい。口喧嘩も滅法強いと聞いてはいるが――法を司る王族の叔父とて、詰めの甘いところがあるものの決して馬鹿ではない。  果たして渚は、どんな方法で彼を()()()()処するというのか。  維月の心配をよそに、渚はチラと流し目で叔父を見ると、ほんの僅か眉根を寄せて「だいぶ(こじ)らせてて()()()――」と呟いた。  単なる悪態とも、旗色が悪いゆえの弱音とも取れる「キツイ」という曖昧なボヤキに、維月はますます心配を募らせるのであった。
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