第1章 ギフトと神子

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第1章 ギフトと神子

 鬱蒼とした森の中、獣の唸り声が低く木霊(こだま)する。  時刻は21時過ぎ。木々の隙間から見える空は黒一色で、星の瞬きも少ない。辺りに街灯は見当たらず、森に届くのは頼りない月明かりだけだ。  綾那(あやな)は、唸り声が聞こえる度に後ろを振り返りつつも、その歩みを止める事なく獣道を進む。夜空の下でも十分に目立つ水色の髪は、『神子(みこ)』の証である。  やがて不気味な森を抜けると、開けた高台へ出た。綾那は空き地の中央に立つと、今しがた己が抜け出たばかりの森を見下ろした。  そうして、腰元のベルトに差した鞘から、二刀一対のジャマダハル――切るよりも突き刺す事に特化した短剣で、握りが特徴的な『H』型をしている。手に持つと拳の先に刀身がくる造りで、拳で殴りつけるように腕を突き出せば、相手を深く刺突できる――を抜いて両手に握り込むと、大きく息を吸い込んでから、細く、長く吐き出した。  耳を澄ませて森の音を拾い集めるが、まだ仲間の気配は遠いようだ。  本日何度目かの作戦行動だから、慣れたもの――とはいえ、今回は()()が戻るまでに時間がかかっている。だから、何かトラブルが起きたのではと心配になって、つい森の中まで様子を見に行ってしまった。しかしあの唸り声を聞く限り、作戦は滞りなく続いているのだろう。  囮役がこの空き地まで()()を引っ張って、綾那が仕留める。この場所こそ、綾那の決められた待機場所なのである。  ふと顔を上げた時、森が随分騒がしくなった事に気付いた。茂みを揺らす音、枝の折れる音――獣の唸り声と、荒い息遣い。 (帰ってきた)  じっと森を見ていると、小柄な人影が音もなく飛び出してきた。ひとまず囮役が無事帰還した事に安堵して、綾那は小さく息を漏らす。 「――アーニャ! 待たせた!」 「おかえり、陽香(ようか)!」  森から飛び出してきた小柄な女性――陽香は、彼女だけが使うあだ名で綾那を呼んだ。  飛び出てきた勢いのまま、まるで綾那を盾にするようにしてその背後へ回り込む。そこでようやく体ごと森を振り返ると、自分の後に続く獲物の登場を待ち構えた。  彼女の髪は、綾那とは対照的で燃えるような赤色だ。肩にかかる長さのそれは毛先が外にハネていて、見る者に活発な印象を抱かせる。  陽香は、見た目の印象を裏切る事なく――森から響いてくる唸り声など、一切気に留めずに――至極楽しげな笑みを浮かべた。  薄暗い夜空の下でも爛々(らんらん)と輝くエメラルド色の猫目は、真ん丸で好奇心に満ちている。その無邪気な表情も相まって、彼女は実年齢よりもかなり幼く見られる事が多い。 「遅かったから、心配したんだよ」  綾那は言いながら、両手に握ったジャマダハルを胸の前で構える。その言葉に白い歯を見せて笑った陽香は、明るい調子で「ごめん、ごめん」と謝罪した。  その直後、枝の折れる音と共にけたたましい唸り声を上げて、大きな熊のような獣――『魔獣(まじゅう)』が茂みから飛び出した。 「グルルルアアァアァ!!」  魔獣はかなり興奮した様子だった。体を覆う真っ黒な体毛を逆立たせて、剥き出しの牙からは絶えず唾液を垂らしている。血走った目でぎょろぎょろと辺りを見回して、森の中を必死に追いかけ続けた獲物(陽香)の姿を認めると、一際大きな雄叫びを上げて脇目も振らずに駆けてくる。  その様子に鼻を鳴らすと、陽香は片手を腰に当ててふんぞり返った。 「よおし、行っけぇ()()()()()! あのクマちゃんに、ゴリラの流儀ってヤツを教えてやりな!」 「任せ――だっ、誰がゴリラなの!?」  陽香から受けた不名誉極まりない呼び名にしっかりと反応しつつ、綾那もまた魔獣に向かって駆け出した。しかし、両者の対格差は一目瞭然である。  168センチと日本人女性にしては長身だが、あくまでも女性らしい体躯の綾那。対する魔獣は体長2メートルを優に超えていて、500キロはありそうな大型の熊だ。普通に考えれば、正面からぶつかったところで綾那に勝ち目はないだろう。  魔獣は人の胴ほどある太い腕を持ち上げると、綾那に向かって容赦なく振り下ろした。しかし綾那は一切動じる事なく、至って冷静である。右手に握ったジャマダハルひとつで魔獣の腕、その先にある鋭い爪をいとも簡単に弾いて、かち上げた。 「グルァア!?」  勢いよく弾かれた腕に引きずられるように、魔獣は大きく態勢を崩した。すっかり無防備になったその胸元目掛けて、綾那は左手に握るジャマダハルを思いきり突き刺した。  刀身はずぶりと深く突き刺さり、腕を真一文字に振り抜くと――熊の体は、なんの抵抗もなく切り裂かれてしまう。  苦悶の表情を浮かべた魔獣は、その体躯を黒い霧に変えて空気に溶けていった。やがてそれが完全に霧散すると、こぶし大の黒い宝石のようなもの――魔獣の『核』がころりと地面に落ちた。 「さっすが、ゴリ――いや、アーニャ! やっぱ「怪力(ストレングス)」のギフトは安定感が違うなあ」 「またゴリラって言った……」 「あー? 聞き間違いじゃねえの?」  目を眇めた綾那に対し、陽香はニマニマと楽しそうに笑っている。  ギフトとは、神より授けられる特殊能力のことだ。  ある者は鋼のように屈強な体を、またある者は、コンピューターにも劣らぬ演算処理能力を。生まれ持って授かるギフトを取捨選択する事はできないが、この恩恵は地球上に暮らす生命全てに――人間だけでなく、動植物にも――等しく降り注ぐ。  ギフトがなんらかの原因で暴走した結果、凶暴化した動植物を総じて魔獣と呼ぶのだ。  魔獣は人間や野生動物を見るや否や襲いかかる。自衛する手段をもたぬ者や野生の生態系を守るには、討伐するしかない。だから目撃情報が寄せられた際には、戦闘能力を有する者へ向けて国から駆除依頼が発出されるのだ。  そして退治された魔獣は霧散すると、その後『核』へと姿を変える。核を役所の魔獣課へ納めれば、高額な報酬と引き換え可能だ。しかも納めたら納めた分だけ、税金の徴収額が控除されるという嬉しいオマケ付き。  先ほど綾那がいとも簡単に魔獣を切り伏せた力も、ギフトによるものだ。ギフト「怪力(ストレングス)」――文字通り、その見た目に似合わぬ膂力(りょりょく)を振るう事ができる能力である。  ――ちなみにこれは余談だが、このギフトが原因で陽香から度々「ゴリラ」と揶揄(やゆ)されるのが、綾那の最近の悩みである。 「なんだよ、そんなに睨むなよぉ。折角の美人が台無しだぞ?」 「誰のせいだと思って――はあ、まあ、良いけど」  綾那はため息を吐いて、両手のジャマダハルを鞘に納めた。そうして――戦闘の邪魔になるため、あらかじめ茂みに投げ込んでいた――鞄を拾い上げて肩にかけると、核を手に取ってしまい込む。  鞄の中には、同じような色形の核が全部で七つほど入っている。 「どうかな、まだ居そう?」  綾那が問いかければ、陽香は黙って森を見下ろした。それからしばし沈黙が続いたが、やがて陽香は小さく頭を横に振ると、両手を後頭部で組んで大きな欠伸をする。 「いや~もう森は静かなもんだし、妙な動きも()()()()し……もう終わりで良いんじゃねえの。今日は帰るか?」  小首を傾げる陽香に、綾那は頷き返した。  ◆ 「そういえば明日は授賞式だし、もう少し早めに切り上げた方が良かったかもね」 「授賞?」  帰り道にふと零せば、陽香は不思議そうに首を傾げた。そして、ややあってから思い出しように「ああ」と手を打つ。 「そうだった……『()()』、明日だっけか」 「相変わらず美味しそうな略し方するよね。アリスが聞いたら「可愛くない略し方はやめてよ」って怒りそう」 「可愛いもクソもないよなあ? スターオブスター、略したら酢豚じゃんよ」  日本で有名な動画投稿サイト、『スターダムチューブ』――通称スタチュー。  過去現在含めて、芸能事務所に所属していない一般人であれば誰でも利用する事ができる、素人限定の動画投稿サイトだ。    多くのファンを獲得して知名度を上げれば、ゆくゆくは芸能界入りするのも――文字通り、スターダムへのし上がる事も夢ではない。サイトの歴史は十年とまだ短いが、のちのスターを無名時代からいち早く発掘、応援できる場所として、年代を問わず多くのユーザーを集めている。  このスタチューでは、配信者がどれだけ多くのファン――有り体に言えば『()()』を獲得できたか競うため、年に一度ネット投票が行われる。見事ランキング一位に輝いた者は、星の中の星『スターオブスター』として表彰されるのだ。  ただ一度選ばれるだけでも大変名誉な事だが、実は三年連続で選ばれた者は殿堂入りするらしい――と噂されているものの、過去その座についた者は居ない。  正に明日がその、スターオブスターの結果発表と授賞式が行われる日なのだ。  綾那と陽香は、『四重奏(カルテット)』という、幼馴染四人組みで活動しているスタチューバーである。青髪の綾那、赤髪の陽香、緑髪の(なぎさ)、金髪のアリス――メンバー全員が()()の配信者グループだ。  神から授かるギフトは、一人につきひとつ。しかし中には、複数のギフトを授かる者が居る。そうした者は神より特別愛情をかけられているとして、神の子供――通称「神子(みこ)」と呼ばれる。  神子は複数のギフトに恵まれるだけでなく、そのほとんどが自然界ではあり得ない色の髪や瞳をもち、極めて容姿端麗な者が多い。例に漏れずド派手な綾那と陽香もまた、神子なのだ。 『四重奏』は、神子ばかりが集まった少々チートなグループである。  四人揃って神子の名に違わぬ容貌をしているため、当然ながらファンも多い。しかも、その優れた容姿に似合わない珍妙で軽快な言動のギャップがウケて、気付けばスタチューのトップランカーとして名を連ねている。  実はこの四重奏。既に去年、一昨年と二年連続でスターオブスターに輝いているのだ。明日の授賞式では、スタチューの歴史上初の殿堂入りが見られるのではないか――と、連日世間を賑わせている。 「――ん? なんだ、アリスから電話だ」  振動するスマートフォンをズボンのポケットから取り出すと、その画面に映し出されたメンバーの名前に、陽香は首を傾げた。 「夜更かしは肌に悪いから、魔獣狩りは嫌~なんて言った癖に……まだ起きてんのかよ。さてはサボリか?」 「うーん、どうしたんだろうね?」  陽香は歩みを止めないまま、通話ボタンをタッチした。綾那にも聞こえるようにとの配慮か、スピーカーフォン設定にするのも忘れずに。  そして、「あー? なによー?」とぞんざいな言葉遣いで応対する。 『――陽香!? 今どこよ! 綾那は!?』  スマートフォンから響く切羽詰まった声色に、綾那と陽香は足を止めて顔を見合わせた。 「なに? 今帰ってるとこだよ、たぶんあと十分もかかんない。アーニャも一緒だけど――」 『は、早く帰ってきて! 渚が――渚が、家ごと消えちゃったの!!』 「……は?」 「アリス、どういう事? 何があったのか、一から説明して」 『見た方が早いし、そもそも口頭で説明できないの! ああもう、とにかく早く帰ってきて、お願い!』  ぷつりと途切れた通話に、綾那と陽香は再び顔を見合わせる。そして頷くと、どちらからともなく駆け出した。
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