十一 挿話(イントロン/Intron)

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十一 挿話(イントロン/Intron)

上條透は、高校の学習室で勉強している―― 学習室で課題に取り組んでいたら、右隣の島の市川から藁(わら)半紙が回ってきた。ちなみに、普段は左隣に真一郎がいるのだが、今日は混んでいて、僕の前の島、斜め前の席に座っている。市川から渡された紙を見てみると、いろいろな筆跡で ”スタニスワフ→フワーリズミー→ミンネザング→グノーシス主義→” と脈絡なく書かれていた。上の方に注意書きで 『※濁点、破裂音は無視しても良いしそのままにしてもよい』 とルールが書かれている。 ――文系科目の単語でしりとりして遊んでるのか と気付いた。中には ”メッテルニヒ→ひたぶるに耳傾けよ/空みつ大和言葉に/こもらへる箜篌(くご)の音ぞある→ルートヴィヒ2世(ヒでどうぞ)” というように、遊び心のあるやつらもいた。詩を書いた奴は『芥川』と書きそえている。ふと、その中に見慣れた筆跡を見つけた。 “セーレン・キェルケゴール” ――真一郎だ 僕はその紙を持って斜め前に陣取っている真一郎に向かっていった。 透(小声)「おい」(苦笑) 真一郎は僕の手にしている紙に気が付くと、いたずらが見つかった子供のように首をすくめて、うん?と返事をした。 透(小声)「何やってるんだ、お前は!」(苦笑) 真一郎(小声)「世界史とか、倫理の勉強的な?」(JKイントネーション) 透(小声)「いや、いいけどさぁ」 僕は合図をして、真一郎を学習室の外へ呼び出した。学習室の他の連中は、木製デスクのパーティションでさえぎられ、誰の顔も見えない。灰色の廊下へ出ると自販機へ向かって、二人とも紅茶を買った。 透「別にいいんだけどさ。面白いし。   しかし、あれ、誰からスタートしたんだろうな?」 真一郎「服部君が混ざってるのは知ってるけど、     知らない筆跡ばかりだし、わからない」 透「芥川の詩を書いたの、キミの字じゃないよな?   キミじゃないのは少し意外だな。誰なんだろうな?」 真一郎「秋山君だと思う。たぶん」 透「ああ、彼か……」 冷房の効いていた室外にいたときは少し寒いくらいだったから、温かい紅茶にしたが、いざ飲み始めると体が熱くなってきた。 透「冷たいのにすりゃよかった」 真一郎「俺も」 透「はぁー。僕も物理学用語オンリーで回してみようかな?」 真一郎「あ、俺参加するよ」 透「くっくっく、なんか、みんな、こういうの好きだよな」 真一郎「たまに知らない単語があって、調べたりするけど、     好きな分野に関しては誰もがマニアックな知識持ってるんだなって     思うよ」 透「国語の得意な奴らで小説の中身しりとりとかできそうだな」 真一郎「いや、実はそれ、やったことがあるんだけど」 透「やったんかよ!?」 真一郎「うん。俺の『石炭をば早や積み果てつ』に対して、     秋山君しか続き書かなくて、     『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり』     って返されたから、     僕が『李徴は博学才穎、若くして名を虎榜に連ね』って返したら、     『出だしはロウサイの李徴だからNG』ってなって、     他に思いつかなくてそのまま終わった」 透「ありそうなもんだがな……」 真一郎「他にも『島田は吝嗇な男であった』って思いついたけど、     『島田は』が余分だったからダメだったし……     『あ』『か』『ふ』『め』『わ』     あたりはたくさん思いつくんだけど」 透「『わ』?」 真一郎「『私が』で始まる作品多いからね。『あなた』も。     『明治』とか『文』、『彼女』なんかも使われやすい」 透「秋山君は自分では答えられたのか?」 真一郎「いや、彼も思いつかなくて引き分け扱い、というか、     企画が没になった」(笑) 透「それにしても……キミが本をたくさん読んでるのはもちろん、   わかるんだが、いったい、いつ、どうやってそれだけ読んだんだ?   この高校で読書する時間なんてなさそうだけど」 真一郎「ほとんどは中学生までの頃に読んだね。     確かに、高校入ってからは両手でかぞえられるくらいしか     読んでないかも」 透「中学生?」 真一郎「小学校、中学校の図書室にある本は、     卒業までに全部読むものなんだと勘違いして、     全部読んできた」 透「おいおいおい……え?   小学生や中学生で、キミの言うような本って理解できるもんかな?」 真一郎「まさか。人生経験が足りてない分、     読書だって深く読めてないと思うよ。     極論、字面を追って言葉を覚えただけじゃないかな?     大学行ったら、ゆっくり名作を読み返したいね。     ライナー・マリア・リルケ曰く、詩は経験であって、     感性であるのならば生まれたときからたくさん持っているはず。     だからね」 ティー・ブレイクを終えると、僕らは学習室へ戻った。 弓道場にて、真一郎は矢狩りを終えたところ―― この時期に弓道着は少し暑い。早めに扇風機のある的前に戻りたい、と煩悩にまみれたことを考えていた。矢を拭き、泥を落としている時、伊澄ちゃんが話しかけてきた。 伊澄「先輩、食べられないものってあるんですか?」 真一郎「頭のあるものが食べられないね……エビとか、魚とか、」 伊澄「かわいそうになっちゃうんですか?」 真一郎「いや、そういうわけじゃなくて、     『あ、今、頭食べてる』って意識してから、     なんとなく食べられなくなった」 伊澄「えー、なんかわかります。    目玉とか、脳とかイメージしちゃうってことですよね」 真一郎「グロい表現を使ってよければ、そうだね」(笑) 踊り食いなどもってのほかだ。 伊澄「先輩、チョコレートはミルクとホワイト、どっちがお好きですか?」 真一郎「うん……そうだね。……実はビターかな」 伊澄「え!? 甘いもの大好きじゃなかったんですか?」 よくそんな前に話したことを覚えているなと苦笑いした。 真一郎「甘いのもちろん好きだよ。けど、ビターチョコも好きなんだよね」 話をしながら、適当に矢を拭いていたため、何本か土をぬぐい切れていなかった。運悪く、主将の矢に少し土が残っていて、後でこっそりお説教をされた。 月曜日 通学中、もう少しで高校というところで、数学の宇都宮先生につかまった。何を言っているのかわからなかったので、自転車を降りて近づいていくと 「おい、詩人、イヤホンはダメ」と言って、彼は手で×を示した。 僕は気持ち頭を下げて挨拶して、イヤホンを外した。 宇都宮「通学中はな、危ないからダメ。たとえ勉強だとしてもな」 真一郎「……」(無言で頭を下げた) 再度自転車をこぎ始めたが、中断された洋楽の歌詞が頭に響き続ける。 “人生は短いんだ。ケンカしてる場合じゃないのさ” その短い人生の中で、僕はあと何回この曲を再生するんだろう。100回? 200回? 無限というわけにはいかないから、999回か9999回かわからないけれど、いつかは最後の1回が訪れるのだ。 ――最後の1回 例の医者、高山先生は雑談の中で若いころの悩みを話してくれた。 先生「自分の人生が限りあるものと思ったとき、僕は焦った。    でも、何をするのが無駄のない人生なのか、    有意義な人生なのか分からなかった。    そんな中、自分と似た境遇の人間を知ると言うことは慰めになった。    孤独は各個人のものだけれど、    孤独の概念は僕個人のものではないのだと思えて、嬉しかった」 そんなものだろうか。 ――もしかしたら、曲の好みが変わって、今朝が偶然最後の1回になったかもしれない。 そんなものだろうか。 ――何千年もあったとしても、そんなものかもしれない。 『マルテの手記』の一節を思い浮かべたところで、高校に到着した。 数学演習が始まる直前、設楽たちが何かのいかがわしいブツのやりとりをしていた。ちょうど宇都宮先生が教室に入ってきた。 宇都宮「おい、設楽、何だそれは!?」 設楽は不審なケースをそそくさと隠すと「弁当箱です!」と叫んだ。 宇都宮「学校に変なもんもってくるなよ?」 明らかに弁当箱じゃないとわかっているようだったが、先生は特にそれ以上追求しなかった。理由はいろいろ考えられる。 1. 問題視した時に、校則の見直しとか面倒な事案が発生するかもしれない。 2. 設楽はそれなりに成績が良い。いずれ自分以上の権力を持って対峙する可能性がある。 3. 実は先生はなんとも思っていなかったが、一応立場上、何かを言わざるを得なかった。 どれも正解のような気がする。 ――校則か 校則と言えば、うちの高校には昔、奇妙な校則があったらしい。 『隣接する鉄道の線路に侵入しないこと』 これだけが唯一の校則だった時代があったとか。先生方は――この高校の先生方の多くは、この高校の出身だ――そんな昔話をしていた。どうやら通学時のショートカットに都合が良かったらしい。今ではもちろん、そんな校則は無いし、生徒手帳には普通の高校らしい校則が書かれている。
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