十四 シークエンシング/Sequencing

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十四 シークエンシング/Sequencing

ティー・ブレイクの際、僕のプレイしている格闘ゲームに関して、真一郎が元ネタは解剖学に関するものだということで調べてくれようとした。彼の指の動きを見ながら察することがあったので、僕は僕で、一瞬で調べ物をした。 真一郎「ほら、これ、高さ、左右、前後軸の意味」 僕は真一郎のスマホの画面をのぞき込みながら「ほう」と感心の声を上げた後で、別件を聞いた。 透「キミのパスコードさ、180305だろ?」 真一郎「え? ……うん。     まあ、透ちゃんなら知られても構わないけど、いつから知ってた?」 透「いや、今。手の動きしか見えなかったけど、   今、ググったらあの作家の生年月日がわかったのと、   その手の動きが一致したから確信した」 真一郎「へー、恐れ入りました」(笑) 透「他にも、小野くんは3215789だとかわかるよ」 真一郎「何それ!? そんな複雑な数わかるの?」 透「いや、数字だけ聞くと複雑だけど、書いてみ?   ギリシア文字のシグマだよ」 真一郎「ああ! なるほど。数学得意な彼らしいね!     それも動きだけでわかったの?」 透「うん。あとは、葉山は14753695だね。これも書くとわかるよ」 真一郎「ああ、∞の記号か」 透「村井は自分の誕生日だし、小宮山先輩は5、3、8、0、   ……1、0、5、コミヤマトウゴだった」 真一郎「ちょっと待って、こ(5)、み(3)、や(8)、……」 透「ゼロがマル、”ま”ってことだよ」 真一郎「パスコード、誰一人として機能してないじゃん」(笑) 透「ふつうは大丈夫だろうさ。   俺はほら、前も話したことあるけど、隠し事を暴くのが趣味だからさ」(笑) 真一郎「そんな面白い話を聴かせてもらったのに、僕には出せる話がない」 透「そんなことないよ。例えば、この前、   DNAとRNAの違いを教えてくれたのは興味深かった」 真一郎「あんなのは教科書に書いてある普通の話で、     別に大したものじゃない」 透「でも、俺が面白かったんだからいいじゃん」 自販機から出てきたばかりの冷たい緑茶を飲んで、僕は話を続けた。 透「他にもさ……結構前だったな、駅ビルのあの、   ごたごたした店の食料品の棚だったかな。   お店の棚の商品のロット番号を観察しているうちに、   これは製造日を意味してるんだなとか、工場の場所とかがわかった」 真一郎「何それ?」 透「日にちの動きとともにロット番号が動いていくのに気付いたからさ、   『どうやったら読めるか』考えて、自宅で書き出したら   3パターンに絞れた。で、そのメーカーのお客様センターに電話して   カマかけたら日付が一致したから、間違いないと思うね。   工場とかもそんな風に調べた」 真一郎「どうやったら読めるかって発想に行きつくのが透ちゃんらしいね。     だいたい、すぐに読めるような記号にしないかも     とは思わなかったの?」 透「もちろん、それも考えた。ただね……   お店の人がメーカーに、たとえばクレームを言うわけだよ。   あるいは直接お客がさ、メーカーに問い合わせるわけだよ。   それでロット番号を話すことになるじゃん?   ……そうしたらさ、とっさにそのロット番号が何を意味するか、   分かるシステムになってた方が合理的だと思わないか?」 真一郎「言われてみればごもっともだよ     ……透ちゃん、シャーロック・ホームズ読んだことある?」 透「ない」 真一郎「即答かよ!(笑)     シャーロック・ホームズに『踊る人形』って短編があってさ。     暗号解読する話なんだけど、暗号を解読したホームズがさ、     犯人に向かって     ”人間の作り出した暗号は、人間が解読できると思わないかい?”     って応えるのが好きでね」 透「ふーん。ちなみに、どういう種類の暗号なの?   モールス信号みたいなの?」 真一郎「いや、ネタバレになるけど」 透「どうせ読まないから大丈夫だよ」 真一郎「読んで欲しかったな……     単純にアルファベットを人文字に置き換えるだけのもの」 透「うん。それは難しそうだけれど、そうだな」 もう一度僕は緑茶に口をつけた。 透「ある一定量の文章があれば、   使われそうな文字を一つ一つ代入すれば攻略できそうだな。   英語だろ……?   eが最も多く使われそうだし、   thとかghみたいにセットで並ぶ文字は特徴的だから、   時間さえあれば攻略できる気がする」 真一郎「それだよ! 実際にそうやって解いたんだよ!     ネタバレにすらならないね」 透「ところでさあ。こうやって、秘密を探るとか、   僕らの知識欲ってのは、何か生物学的な理由があるのかねえ?」 真一郎ははっとして、早口でまくし立てた。 真一郎「いや、言いたいところだった。     見るものと見られるものの関係ってやつだ。」 透「ミシェル・フーコーの権力の構造?」 真一郎「あ、ごめん、それはなんとなくしか知らない。     けど、生物学的には力関係ができるよ。     生物の応用問題でさ、     『利他行動』を合理的に解釈する問題があったのね。     それで、そこでは囚人のジレンマってモデルで説明してたんだけど、     互いに競争でつぶし合うよりも、すみ分けとか協力をした方が、     双方Win-Winになるケースがあるんだって。     場合によっては片方だけが協力しようとして、     片方は相手を全力でつぶそうとした結果、     一方的なWin-Loseになる場合もある。     で、そうすると仲間とは言え、     相手の行動を予測するってのは生物にとって     とても重要なんだなって思った」 透「ってことは、空気読める奴の方が遺伝学的には優秀ってこと?」 真一郎「うーん。そうなるなあ」 透「俺は空気読むの苦手なんだよな……」 真一郎「俺よりは読めてると思うよ」 透「そうか……?   まあ、時と場合によってはそういうこともあるかもしれないが……」 真一郎「あ、カラオケの時とか、透ちゃんめっちゃ選曲気を遣ってたじゃん」 僕は一瞬慄然とした冷たさを感じた。こいつは、無邪気さの中に時々、遠距離狙撃のスナイパーのような殺意じみた千里眼で人を射抜くことがある。 透「俺が気を遣ってるって、わかるもんかな?」 真一郎「うん」 しかし話はそのまま生物学の方向へ脱線した。 真一郎「須永さんがさあ、     『ホールデンっておっさんが、集団遺伝的な計算をして、      俺は2人の姉弟と8人のいとこのためなら死んでも大丈夫だ!      って言いだして、その理屈は……という計算で……』     だけどさあ。遺伝学的には正しくても、     俺の直感はそれを受け入れないっていうか」 透「ふーん。俺は……どうかな? 確かに、理屈は分かるんだがー、   って感じはする。でも同時に、自分と引き換えにってのもわかるなあ」 透「最近、全校朝礼であったさあ、一年生の」 真一郎「……あの、病気で亡くなった子のこと?」 透「うん。死ぬ直前まで、生きている間に解ける最後の問題って   言ってたやつ。で、朝礼の後で、   なんかその必死さを馬鹿にしてたやつらいたじゃん」 死の直前に受験勉強をしていたというのは、僕にはとても不思議なことに思われたが、かといってその覚悟ある行為を嘲笑の種にするというのは信じがたい、受け入れがたい侮辱に思えた。 真一郎「俺はそういうやつら、嫌いだよ。     俺は死の直前まで受験勉強したいと思うかは、微妙だけど。     人の、命を懸けた覚悟をそんな風に笑うのは嫌いだよ」 透「うん。同感だ」 しばしの沈黙。 透「さて、戻るか」 僕らはティー・ブレイクを終えると、学習室に戻った。 弓道場にて、伊澄たちは道着に着替えながら雑談していた―― 絵里「いずみん! いずみん! ハギワラさんって詩人なんだって!」 伊澄「え、知ってる」(笑) 由紀「ちょ!? そこ笑うとこなの?」 伊澄「だって……ふふ、萩原さん、アンダーシャツが藤色」 絵里「何それ!?    何が面白いんだかわかんなすぎていずみんが面白いんだけど!?」 由紀「笑いのツボ、そこ!?    ってゆーか、話飛び過ぎてるし!    あ、あたし片山先輩と村井さんが心配! あの二人大丈夫かなあ!」 伊澄「由紀の方が話飛んでるし! あ、誰かスマホ鳴ってる?」 由紀「あたしじゃないよ」 絵里「え!? あたし違うし」 伊澄「あ、あたしだ」 由紀「ちょっと! いずみーん!」 萩原さんが詩人だとは聞いたことがある。試しに何か知ってる詩を教えてくれと言ったら『僕という人間は虚偽(いつわり)だ、真実を告げる虚偽(いつわり)だ』というコクトーの詩を教えてくれた。でも、コクトーは実を言うとそこまで好きじゃなくて、リルケが1番好きだとも言っていた。リルケの何が1番好きか聞いたら、恥ずかしいから今は教えられないと言っていた。 ――とは言え、ヒントなど必要ないのだ、あたしたちには。 あたしたち女の眼は節穴ではないのだから。その詩集が目の前に与えられたとしたら、あたしは教わらずしてその詩を探しだすことができるだろう。あたしたちは何でもわかってしまうのだから。まるでカロッサの描けなかった花をヒントに本物の花を探しだし描いた美術教師のように。教わる必要などないのだ。既に知っているのだから。リルケが仏陀を描写したように、あたしたちは既に知っているのだ。 今僕の目の前には生物の課題プリントがあり、そこには説明するのも恐ろしい動物実験があり、――それはもしかしたら、他の生物学の問題集にも収録されていると思う――電気刺激と解剖学に関するもので、この類の問題を見ると、僕はやはりヒトの意識とは神経細胞と電気刺激、化学物質の伝達が正体であって、魂というのはないのだという、改めて確信を得た。 ティー・ブレイクの際に、遺伝学の話を透とした。人は機械的に動き、反応として動き、争うことは自然となる。 でも僕はやっぱり人と人が争うのを見ることは嫌い。世界が平和であって欲しい。でき得ることならば――誕生日プレゼントをくれるなら世界平和が欲しい。全ての人類に。
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