六 カウンターセレクション/Counter selection

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六 カウンターセレクション/Counter selection

河原亜弓は、朝の身支度を始めた―― 私達の戦争は洗顔から既に始まっているのだ。プチプラとはいえ、ブラシや手鏡は少しでも使い勝手の良いものを探す。校則に抵触しない程度にクリームを軽く塗る。私はくっきりした二重のツリ目だから、怜悧なイメージになるように盛る。印象を大きく変える髪の毛は、特に気を遣う。コテで髪の毛を巻き、ようやくヘアセットを終えると20分が経った。何本かの髪の毛の巻き具合が目立ったので、少し手直しした。 ――私達は外出前にも時間かけている。男どもに、その時点で勝っているのだ。 ――それでいて試験とか、スポーツとかは同じ土俵で勝負するわけだから、元々フェアではないのだ。生理に、将来の出産、ハンデ戦、上等ではないか。どんな状況であろうと私は負ける気がしない。中学生の時に、よく、試験の勝負をした真一郎め―― 真一郎「河原が勝負するなら点数教えてもいいよ」 亜弓「へえ? お前、負けたらどうする?」 真一郎「今度の生徒会挨拶、みんなが言うように女装してもいいよ」 近くで聞いていた恭子がその話に反応した。 恭子「ざんねーん。萩原、私より5点低いけど、 亜弓ちゃんは私より高いから、勝負ついたね」 真一郎「え……」 亜弓「ばーか。じゃあ、来週は面白いことになるね」 真一郎「な、なんで、ちょっと待てよ!     なんで石垣は河原の点数知ってるんだよ!?」 恭子「あたしは別に普通に教えっこしてただけだし?    亜弓ちゃんに勝つ前に、まずあたしに勝たないとねー」 その日の放課後、生徒会室で副会長である私とあいつだけで、書類のチェックをしていた。他のメンバーは全員サボっている。数字を確認しながら、あいつと雑談した。 亜弓「お前、何で真一郎って名前なの?」 真一郎「僕の父と母が二人ともその仏文作家のファンで、     真一郎って名前を付けられたんだ」 亜弓「じゃあ、もし鴎外のファンだったら……」 真一郎「うーん、さすがにそれは……」 とっとと「鴎外だよ」とか「そんなわけないだろ」と言えばいいのに。なんだ、こいつ。でも潔いとこもあって、あいつはちゃんと例の生徒会挨拶で女装した。書記同士ということで恭子ちゃんの制服を借りて。あいつ一人じゃかわいそうだから、役員全員、クロスドレッシングした。会長と会計は似合ってなかったけれど、書記のあいつは妙に似合っていて、本物の女の子みたいだった。 ふふっと馬鹿馬鹿しくて思い出し笑いしてしまった。 学校に着くと、瑠璃が気持ち、沈んでいるように見えた。 亜弓「おはよう。どうしたの? 大丈夫?」 瑠璃「だいじょうぶだよー」 亜弓「……どうしたの?」 瑠璃「ふふ、大したことじゃないんだけどね」 瑠璃は少し苦笑いしながら、スマホの画面を見せてくれた。昨晩、瑠璃がSNSで誹謗中傷を受けた様子を見て、私は激しい憤りを感じた。 亜弓「こういう卑怯な奴ら、虫唾が走るよ。    最低だね。匿名で、ふざけた奴ら」 瑠璃「いいよ。もう。ブロックしたし」 良く、ない。と言おうとしたところで瑠璃が話をそらした。 瑠璃「それよか、亜弓ちゃん、そのリボン激かわじゃん。どこで買ったの?」 瑠璃は私のスクバのキーホルダーのことを訊いている。 亜弓「ふふーん。これね。昨日、IMで買ったの」 瑠璃「えー! いいなぁ。グリーン以外もあった? ブルーとか……」 私はスクバからネイビーブルーのリボン型キーホルダーを出して、瑠璃に渡した。 瑠璃「え!? え!? どーゆーこと?」 亜弓「来週の瑠璃の誕生日のためにと思ってたんだけど、    気に入るかどうかわからなかったからね。    でも、買っておいてよかったよ。おそろいだね」 瑠璃「ちょ、亜弓ちゃんマジイケメンー!」 亜弓「どうしようか迷ってたから、包装もしてもらってないの。ごめんね」 瑠璃「そんなことないって! ええー! ありがと!」 ――そうだ。私たちはこれで良いのだ。私たちは忙しいのだから、つまらない雑魚に構っている暇はないのだ。蟻に噛みつかれて痛がる巨人などいない。私達には多くの敵がいるが、どうせ全て蟻なのだ。私たちは雑魚どもを蹴散らしながら堂々と歩む。 萩原真一郎は大講堂に入る―― 今日は小論文対策の特別講義だ。前回の結果に関して、先生が何かいろいろと講釈を垂れることになっている。教員は入室するなり不機嫌そうな顔で怒り始めた。 「お前ら優等生にはさぁ、本当、がっかりさせられるよ。 『弱者』がかわいそうなんじゃなくて、『お前らが作る社会』がかわいそうだよ。お前らみたいなのが偉くなるとさぁ、合理的でないものはすべて否定されるんだよ。で、今回のポイントは……」 論文たるものロジカルに、と合理的な思考がポイントになると考えた連中が多かったらしい。教員はその態度がすでにダメだと、声を上げた。 「……倫理的なところに意識を向けるように。あと、無いと思うけれど、 文化人類学に興味が出たら、Traumzeitって本があるから、おすすめ。 大学行ったら読んでみたら? ……今回は模範解答ゼロって言いたいけど、一応、二人、マシなのがいたから、その子たちのをコピーしたから、読んどきな」 ――これは僕の書いた文だ。もう一人は誰だかわからないけれど。 特別講義が終わった後、透とティー・ブレイクにした。 透「さっきの特別講義さ、あれ、キミか?」 真一郎「え……」 自分の心の中を晒されたようで恥ずかしいから、ごまかそうとしたが、透にはわかったらしい。 透「今のでわかったぞ。やっぱりキミだな。   人の隠したいことを暴くのは得意なんだよ……   特にキミの場合はな。   しかし、そうか、あの講義はメソッドを鍛えるものでなくて、   コンテンツを鍛えるものか。だとすると、もう受講しなくても良いかな」 真一郎「え、なんで? もったいない」 透「お前、人の感性が1ヶ月や2か月の講義でできあがると思うか?   俺は思わない」 ……詩は経験から産まれるとリルケは言った。同様に感性が経験から作られるものであれば、チャチな特別講義で作ることはできないだろう。でも、ならどうして、あんな特別講義があるのだろう? 先生だってわかっているはずなのに? やる意味がないんじゃないか。 特別講義に納得のいかなかった奴がいるらしくて、僕らを捕まえて語りだした。ミナミは本当に面倒な奴だ。 ミナミ「俺はあいつのが間違ってると思うね。     自分の長所が周囲と比べて優れていることは、     競争を通じて実感できるし育つんだよ。     スポーツでも、勉強でも、弱者ってのはそのうち、     いつか自分の『これなら負けないはず』ってものが崩れていって、     競争なんかできないと諦めた連中なんだよ。働きアリっていうか」 真一郎「嫌な表現だ。僕はそういうのは嫌だ」 僕が気分を悪くしたのに気が付かないのか、それとも、相手に自分のロジックを押し付けるのが快感なのか、ミナミは黙る気配がない。 ミナミ「良い子ちゃんぶらずにさ、実際そうだろう?     社会ってのは一部の連中だけが名前をもらえる。     個性として、認識してもらえるのは一部だよ。     働きアリは代替可能な連中だ。     そいつらは生きていなくてもかまわないんだ     ところでだ、オレ達は最初から名前のある存在なんだ。     リーダーとして合理的に社会を……」 いい加減にそのままスルーしようとした。「おい、無視すんなよ!」とミナミが言いかけたが、誠一があいつを捕まえて黙らせた。 誠一「おい、ミナミ、お前も言いたいことあるだろうけどな、聞いとけ?」 聖人君子の誠一が何を話していたのか、よく聞き取れなかったが、ミナミも誠一に勝てっこないことは分かっていると見えて、すぐおとなしくなった。 透「あいつ、自分は高校受験でもう片が付いたと思ってるんだろうな。   おめでたいな」 真一郎「その方が幸せかもよ?」 透「電車の中で、よその高校を見下した発言されると、   他人のフリしたくなるんだが、同じ制服着てるからな。   恥ずかしい限りだ」 真一郎「なんだ、あいつ自分の成績は大したことないのに、そんなのか?」 透「マジだよ。第三者視点でみられるならウケるぞ。   この前なんかドヤ顔でマクローリン展開とか言ってたけど、   もちろんあいつ、マクローリン展開なんてわかんねーからな」 真一郎「そりゃ、ひどい風評被害だ(笑)     それでも、あいつ8組なんだよな?」 “8組はエリートクラス”という噂があった。なんでも昔、ある上級生が各クラスの平均点を見て、検定をかけた結果、7組と8組は他のクラスより有意に点数が高いという話だった。そこで「7組と8組はドラフトの優先順位が高い」という仮説が出てきたらしい。 透「8組だって、偶然あいつをとらなきゃいけないこともあるだろう。   それに5組のサカキさんみたいに、   サッカー部優先でとることもあるだろうし」 真一郎「ああ、5組にサッカー部多いのってそういうことだったのか」 透「そうだよ。それに……おい、サカキさん、どう思う?」 真一郎「うん? 暑苦しい熱血教師、かな?」 透「それがさ、2年になって担任じゃなくなったとたんだよ。   この前、話しかけたらよそよそしいのなんのって。   ああ、こういうドライな人なんだな、自分の生徒は駒で、   体育祭の結果や、自分の駒の進学先みたいな数値目標しか   興味ないんだなってわかって、全然見方変わったよ」 真一郎「へぇ、そんな人だったか……     でも、言われると納得する部分もあるよ。     須永さんでさえ、生物、     『共通テストの平均点を下げそうなら受けないでくれ。      代わりに単位やるから』     って話してたって言うし。     あ、話し戻して、電車って言えば、一昨日電話した時さ」 透「うん?」 真一郎「服部君から聞いたけど、     透ちゃん、ゲームしながら通話してたんだって?     (服部の声真似)『透ちゃん、なんか対戦中に電話かかってくるし             しかも、それなのに相手ボコボコにしてるし             相手の人かわいそうだった』って」 透「ああ……そうだったよ。   マルチタスクってできれば、できるだけ人生得した気がしないか?」 真一郎「いやー、できる奴は何でもできるのって不公平だね。     透ちゃんもだけど、中学の時の生徒会の副会長が、     本当に何でもできる奴だったよ。俺が電卓使ってるのに、     珠算? なんか指動かしてるだけで何桁でも暗算できたの、     化け物だと思うよ。     英語のペンフレンドもいたみたいだし……」 それに――僕は何一つ勝てる気がしなかった。
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