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戻って来る人形 -2つの人形-
小さい頃の話も混ざってるから、色々とあやふやなんだけど……結局どういう事なのか、未だによく分からない出来事があるから、記憶の整理も兼ねて書いてみようと思う。
もし、「それって、こうなんじゃない?」とか、何か気づいた事があったら、指摘してほしい。
私は子供の頃、【ミカちゃん】というお気に入りの人形を持っていた。
実際の商品名は思い出せないけど、【ミカちゃん】って呼んでたことは覚えてる。
リカちゃん人形みたいに片手で持てるサイズじゃなくて、ミルク飲み人形みたいな、子供が両腕で抱っこするくらいの割と大きいサイズの人形だった。
私は、両親の仕事の関係で知り合いの家に預けられる事も多かったから、ずっと一緒に居てくれる【ミカちゃん】は私にとって心強い友達であり、家族みたいな存在だった。
ところが、その【ミカちゃん】とは不意に別れる事になる。
8歳の頃、肺炎にかかった私は持病の喘息を併発してしまい、長めの入院をする事になった。
そして、当時の私は知らなかったけれど、丁度その入院期間と重なるタイミングで引っ越しが決まっていたらしく、退院すると、家の場所が変わっていた。
まあ、引っ越しといっても、元いたアパートの近くに新しいマンションが出来るからそこに移る、というだけで、学校も変わらないし、新居から見える景色も、以前と大差なかったんだけど……退院した日の夕方、新しい子供部屋に連れて行かれた私は【ミカちゃん】が居ないことに気がついた。
「ママ、ミカちゃんは?」
部屋はまだ片付けが済んでいなくて、荷解きされてない箱もあったから、きっとどこかに居るんだと思い、聞いてみる。
「ミカちゃんは、もういらないでしょ。だって、Cちゃんはお姉さんだもんね?」
そう言った母は、どことなく、私を叱るときのような顔をした。
私はそれ以上、何かを言ってはいけない気がして、【ミカちゃん】のことは口にしなくなった。
代わりにその日から、【ミカちゃん】の他に持っていた「アカネちゃん」を一層可愛がるようになった。
「アカネちゃん」というのは、親戚のおばさんが誕生日のお祝いにくれたフランス人形で、【ミカちゃん】とは顔つきも肌の質感も全然違う人形だった。
それまでは、「アカネちゃん」は綺麗なお洋服を着せて飾る用、【ミカちゃん】は一緒に遊んで、お出かけにも連れて行く用、と分けていたけれど、【ミカちゃん】が居なくなってからは、「アカネちゃん」が両方を兼ねるようになった。
体調不良による早退や欠席で、無人の家で過ごす日が多い私には、まだまだお人形が必要だった。
それから数年後。
中学生になった私は、さすがに以前と同じようにお人形で遊ぶことはなくなったけど、たまに着替えさせたり、髪を梳かしたりはしていた。
学校や友達付き合いなどで忙しくなると、そういった手入れも忘れがちになったけど、「アカネちゃん」の目を見ると、ただ撫でるだけでもいいから何かしら一度は手で触れなきゃいけない気がしたし、気にし過ぎていたせいか、「アカネちゃん」と目が合ったのに何の手入れも出来なかった日には、夢に出てくることもあったから。
そんなある日、友達と遊ぶため自転車置き場に向かった私は、突然目に入ってきた光景に驚いて、立ち尽くしてしまった。
自転車のカゴに、【ミカちゃん】が居た。
自分が持っていたときより汚れた気もするけど、間違いなく私の【ミカちゃん】だってことは、なんとなく分かった。
驚き過ぎて、何が何だか事態を呑み込めないまま、私は【ミカちゃん】を手に取るとすぐ家に引き返した。
家では、母親が洗濯物をたたんでいた。
「お母さん! これ……ミカちゃんだよね?」
私が【ミカちゃん】を見せると、母親はすごく驚いた顔をした。
「……どうしたの、それ?」
「わかんない、自転車のカゴに入ってたの。これ……私のミカちゃんだよね?」
「……さあ……。……どうだろうね」
何とも言えない表情で首を傾げた母親は、少し素っ気なく、「それで、その人形どうする?」と聞いてきた。
私は改めて【ミカちゃん】を眺める。
懐かしさと、不本意ながら手放すことになった【ミカちゃん】が戻ってきた嬉しさは、確かにある。もともと気に入っていたから、愛着だってある。
だけど、ほんの少し気味の悪さを感じるのも確かだった。
【ミカちゃん】はどうして私の自転車のカゴに居たんだろう?
自分で戻ってきた――なんて、おとぎ話みたいなことを信じられるほど、もう子供でもない。
けど、誰かの仕業だっていうなら、一体誰が、どこで見つけて、どうやって私のものだと判断して、どうして私の自転車に置いていったんだろう?
一番筋が通りそうな仮説としては、母親が【ミカちゃん】を誰かに譲り、その誰かが返却しに来た――というものだけど、当時すでに使い込んで傷んでいた人形を誰かに譲るのも考えにくいし、仮にそうだったとしても、何年も経った今、あんな風に自転車のカゴに入れていく、なんて手段で返却するのは変な気がした。
どうする? と聞かれたものの答えが出せない私を見て、母親は「もう使わないでしょ?」と念を押すように聞き、「ママが捨てておくから、でかけてきなさい。友達と約束してるんでしょ」と会話を切り上げた。
私は、どこか納得いかない気持ちもあったけど、でも、母親の言うことも尤もに思えて、結局は気味の悪さが後を押し、母親に【ミカちゃん】を渡して家を出た。
それからまた数年が経って、一人暮らしを始めるために荷造りしていたときの事。
持っていくもの、捨てるもの、と荷物を整理しながら、ふと【ミカちゃん】の事を思い出した私は、手伝ってくれている母に、「ミカちゃんが戻ってきたの、不思議だったよね」と言ってみた。
あれ以降、なんとなく禁句みたいになってたけど、いよいよ家を出るタイミングになって今なら口にしても良いんじゃないか、と思えたからだ。
母親は「そうだね」と頷き、やっぱり表情を硬くしたけど、でも、その日は、話はそれで終わらなかった。
どうやら人形にまつわる不思議は、【ミカちゃん】が戻ってきた事だけじゃないらしい。
というのも、母親いわく、私が小さい頃からどこに行くにも連れていたのは「アカネちゃん」だったという。
だから、あんなに【ミカちゃん】にこだわる私の事がずっと不思議だった、と。
そう聞いてもにわかには信じられなくて、アルバムを引っ張り出してみたところ、たしかに、旅先や知人宅で撮った写真に「アカネちゃん」が居ることはあっても、【ミカちゃん】が居たことはなかった。
普段じっくりとアルバムを眺める機会も中々ないけれど、それにしても、今までこの事実に気づかなかったのも不思議だ。
それに、よくよく考えてみれば、「アカネちゃん」をもらった日のことは、もらった場所やシチュエーションまでしっかり覚えてるのに対して、【ミカちゃん】は誰がくれたのだったか、いつ、何のタイミングでもらったのか、何もわからない。
母親に聞いてみても、「アカネちゃん」については何かと思い出話をするのに、【ミカちゃん】の事になると「どうだったかね」と返ってくるだけだった。
小さい頃の記憶って曖昧だから、私がいろいろ勘違いしてるのかな、とは思うんだけどね。
「アカネちゃん」と【ミカちゃん】の記憶があやふやなのはさておき、一度【ミカちゃん】が戻ってきたのは事実だから、せめてあの出来事には納得のいく説明がつかないものかと未だに考える事がある。
ちなみに、一人暮らしになって十年近く経った今も、「アカネちゃん」は私の部屋にいて、昔からの愛着と、【ミカちゃん】には感じたことのない漠然とした怖さを感じながら、ときどき、手入れをしている。
<終>
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