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子供の頃、私はよく祖母の誕生日に絵を描いて贈った。
多分、小学生の時に私の描いた絵が町の『お絵かきコンクール』で入選した時に、祖母に凄く褒められたから味をしめてそんな事を始めたのかも知れない。
画法や画材など、絵の知識に疎い子供が描く、拙い絵の数々。
パステルと色鉛筆で描いたカエル。
(祖母はカエルが好きで、よくカエルの置物を収集していた。理由は『無事帰る』と言う縁起のいい語呂合わせがあるからだった。)
ペンとアクリル絵の具で描いたフクロウ。
(祖母はフクロウも好きで、そちらのグッズも収集していた。理由は『不苦労』と言う、こちらも縁起のいい語呂合わせがあるからだった。)
祖母はキッパリと物を言う人で、絵の出来が悪かった時は『色をもっと明るくすれば?』とか、感想やアドバイスをくれる時もあった。
そんな祖母から比較的反応が良かった絵が少しだけあった。
コピックマーカーで書いた『蓮池』。
蓮池を青い鳥が羽ばたく絵だった。
色合いが好みだったらしい。
周りの大人達はお年寄りにその様な物を贈るのは、『極楽浄土』つまり『死後の世界』を連想させ、縁起が悪いのでは無いかと心配した。
しかし、祖母は笑顔で言った。
『死んだ後、こんないい所に行けるようにと思って描いてくれただよな。』
と。
それから10数年後。
私はあまり誰かに絵を贈らなくなった。
大人になって、物事が分かるようになったからだ。
周りを見たら上手くも何でも無い、しかも荒さの出ている絵を贈っても、本当は誰もそこまで嬉しく無い。
それよりも、自立して稼いだお金で生活に必要な物をプレゼントする方が、祖母だって嬉しいと。
私も大人で、祖母も体が衰弱する位かなり年を取った。大人になったのなら、大人として出来る事を考えられるようになっていないといけない。そう考えるようになった。
それから数年。
祖母は介護が必要な老衰した。また、くも膜下出血などの脳の病気の影響で、人間として正常な判断が出来なくなっていた。
いつどうなるか分からない状況。
私は祖母に会う為に実家に帰ろうとしていた。
しかし、そんな矢先。
全人類にとって忌まわしきあの事件が起きる。
コロナウイルスによる猛威。コロナ禍の始まり。
私は都心に住み、実家は遠く離れた地方にある。
しかも、コロナ禍は当初の見込みより、収束時期が遠くなるばかり。
祖母や家族に完全に会えなくなった。
それから1年後。
ある時私は夢を見た。
アンコールワットに似た巨大な遺跡とその手前にある蓮池が出て来ていた。
葉と葉の間に見える真っ赤な蓮の花。
祖母はその蓮池の前に立っていた。
杖を突き、自分の足で立ち、眼鏡をかけたふくよかな顔でにっこりと笑っていた。
そしてちゃんと私に話して来てくれた。
現実の祖母は自分の足では歩けず、顔も骸骨のように痩せているはずだった。
だから私は「ああやっぱり夢だったのか」と感じた。
こうなって欲しいと思う程、こう言う夢を見る。納得し、奥歯を噛み締める。
それから数ヶ月。
思えばあの夢が何かの虫の知らせだったのかも知れない。
父親が病院から電話を掛けて来た。
最後は眠るように息を引き取ったと教えられた。
父は言う。
「こんな時だからお前は葬式に来ない方がいい。
他所も、家族葬で済ましてるらしい。
代わりに婆ちゃんの棺桶に入れて欲しいものがあったら、こっちに送りなさい。」
送りたいものは無かった。
してあげたい事はどれも祖母に実際に顔を合わせなければ出来ない事ばかりだった。
死んでしまったら何もしてやれない。何もかもが出来ず、後悔だけが残る。分かっていた。
でも、他者に様々なリスクを与えてまでして実家に帰れば良かったのか?家族は高齢で疾患持ち。しかも、人と関わる仕事もしていたので、万が一を起こせなかった。
それでも悔しさと無力さが残る。
後悔の後、私は子供の時に祖母に絵を贈った事を思い出す。
しかし、私はその考えを否定した。
自分は祖母が喜ぶような内容の絵を描く事を止めてしまった。
今更描いても、納得のいくような物なんて描けない。
しかも、今は夜遅く絵は速達で明日に贈らないと納棺に間に合わない。
それに大の大人になってそんな子供のような事をやるのか?もっと現実を見ろ。
生きている間に、人間として成功した姿や、伴侶を持った姿を見せられなかったくせに。
生きてて、感情が伝え合える状態じゃなければ意味なんてない。死んでしまってからじゃ意味はないのだ。
悩んでいる内に時間は過ぎて行く。
夢の中の蓮池の前に立つ祖母の顔が浮かんだ。
ふと思う。祖母は何故、蓮池とともに私の夢の中へ現れたのか?
頭の中で答えのようなものが弾けた。
私は画材を取り出し夢中で描き始めた。
もうどうにでもなれ。死んでいるのだから思いなんて伝わらない。それでも、出来る事が今これしか無いのなら。
ただそう思って筆を動かした。
描いた絵は、あの夢に出て来た蓮池だった。
日曜日で郵便局が休みの中。雨風に煽られながら、それを実家宛に封筒を用意してポストに投函する。
その帰り道。
死に顔も見れず、亡くなった実感が湧かなくて涙が出なかったはずなのに、その時初めて涙が込み上げて来た。
心の中で「お婆ちゃん」と呟いた。
描いていた時、私はただひたすら願っていた。
死後の世界なんか知らない。あるかどうか分からない。
でも、行ける場所があるのなら。
祖母が綺麗だと感じられる、心が安らぐと思える、そんな場所に辿り着いて欲しい。
自分には描けなかった、その綺麗な場所に。
出棺の日の朝。
天気は晴天。
出勤する私が見た空も、葬儀に参列している家族が見た空も、雲一つ無く青空が何処までも広がっていたと言う。
彼女が旅立った先はどんな場所だったのだろうか。
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