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「今から行っていい?」
「いいよ」
楓が海外に旅立つ前日、私はご飯でも作ってあげようとエコバッグを提げ、グラサンとキャップをして歩いていた。ポケットには合鍵。2か月間会えなくなるけど、彼は頑張ってくるから信じて待っていよう、そう決めていた。
空は薄暗くなっていて、街灯がぼんやりと灯っている。
エレベーターを下りて、彼の部屋へ向かうとポケットから合鍵を出す。その時、中から声が聞こえてきた。
「おい、どけよ!」
「何焦ってんの?」
楓の声と、もう1人は……
ドアに手を伸ばすと鍵が開いていた。私はゆっくりとドアを開ける。
目の前の光景を見て、持っていたエコバッグを落としてしまった。叫ぶ事すら出来なかった。
「弥生!ち、違うんだ!」
フローリングに座り込んでいる楓の上には、女の人が跨っている。その女の人の胸元は肌けていて下着が見えていた。ブラウンの髪は艶やかに輝いていて、その顔は色白で美しく、妖艶だった。私なんかとは比べものにならないぐらい整っていて綺麗だ。
「誰?あんた?」
その女が楓に跨ったまま、私を睨みつける。
あぁ、やっぱり……私なんか釣り合うわけがなかった。
私は何も言わず、その場から逃げ出した。
知らない内に外は雨が降り出していた。濡れても何も感じない。どこを歩いていて、どこに向かっているのかも分からない。頬は涙粒か雨粒かも分からないぐらい濡れていた。
あの光景が頭を占領している。
信じたくない。
でも、あの状況。
楓の上に胸をあらわにした女の人が跨っていた。2人はそういう関係なのだ。
信じたくないけど、あれが真実だ。
やっぱり、彼は私だけの楓では無かった。
どうして今まで気が付かなかったんだろう。
彼は大人気アイドルで期待の新人俳優で、恋人にしたいランキング1位で。どう考えても、一般人の私なんかと釣り合わない。上手くいくわけがないんだって。
彼が「好き」って言ってくれる度に舞い上がって、信じようなんて思っていた私は本当にバカだ。彼は優しくて、ずっと「別れよう」って言えなかったんだね、きっと……。
体と心は凍る様に冷えきっていて、知らない内に自分のアパートへと戻って来ていた。体温が奪われて足先まで冷えていたからお風呂に入りたい。私を温めてくれる人はもう居ない。スマホを机に置くと、楓からのLINEと着信が来ているのに気付く。それを見る事なく、私はシャワーを浴びに浴室に向かった。
楓は明日海外に旅立つ。別れるにはちょうど良かった。2か月もあればきっと忘れられると思う。涙が白い枕にシミを作ったが、気にする事なく瞼を閉じて布団を被った。
コツン
コツン
ん?
窓に何かが当たる音。
コツン!
コツン!
小石?誰かが窓に向かって投げてる?
「弥生!弥生!」
その声に目が覚める。布団を勢いよく剥いで、明るくなった外を見つめた。眩しい日差しが目を焼く。窓の外には知っている男の人がこっちに向けて何かを叫んでいる。
私は窓を開けた。
「弥生!」
「楓?」
そこにはスーツケースを右手に持った楓の姿があった。
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