せっかち症候群

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 絶え間ない俺のラブコールが軽く受け流されること、早1か月。大学構内にある図書館で彼女を見かけたことがあった。嬉しさのあまり声を掛けようとするが、それを俺はすんでのところで自制した。理由はいくつかある。  彼女の気品ある姿に、目を奪われた。窓から差し込む春の陽光に照らされた彼女は、さも自分が発光体であるかのように輝いていた。  半月前、ある噂を耳にしていた。彼女は本を読むときにだけ脚を組み、眼鏡をかけるというものだった。その話が嘘ではなかったのだということを実感する時間と、たまたまその場に居合わせられたことに感謝する時間が必要だった。  俺が軽々しく話しかけてしまったら、その完璧な状態が崩れてしまうかもしれないと思った。美術館で展示されている作品に、ある程度の距離をもって鑑賞するのと同じ感覚。そうしないと作品に傷がついてしまうかもしれないから。  だから俺は30分以上もの間、静かにその作品を眺め続けたというわけだ。何度も横を通り過ぎた図書司書の、変質者を見つけたときのような視線を完全に無視しながら。  その長くて綺麗な脚と知性的に見える眼鏡だけでも十分なのだが、俺は太陽光を妖しく反射する眼鏡の奥、その眼の動きに一番惹かれたのだった。  斜め読み。これは速読法における、読み方を工夫したものだ。本の1ページ、または見開き1ページを右上から左下の方に目を這わせて読み進めていくというやり方。細部が分からずとも、概要を掴むことができるようになれば凡人には十分すぎる能力である。これを極めれば、どれだけ難解な書物でも、他人の数倍、数十倍の速度で読み切ることができるようになる。  彼女はそれとは違った。しっかり一文一文を大切に読んでいた。上から下へ。左に少しずれて、また上から下へ。要するに普通なのだ。問題はその速度。眼球の動きが常軌を逸していた。  効果音をつけるとしたら「シャカシャカシャカシャカシャカシャカ」といった感じ。まるで壊れて動き続けるパチンコのスロットのようだった。  これは彼女を否定しようとして言っているわけではない。その眼の動きは、俺にとって『美』そのもの。  さらにさらに加えて、その指。斜め読みをする俺以上の速度を保ちながらページをめくる、細くて長い指。眼の動きと指の動きが呼応し合い、お互いを高め合っていくような錯覚。それを引き起こしかねないほどの魅力が、そこには存在した。  雑にまとめると、エロスを感じた。
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