せっかち症候群

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「この人にはこう見られたい」と自己を演じ分ける力。それが俺には欠落していた。表面的ではあるが、誰にでも平等に接することを謳っていた俺。結局のところ、ただのめんどくさがりであったのだ。  同い年で初めて、敵わないかもしれないと感じた存在に遭遇した俺は、反射的に紳士的な態度で接することを選択する。……その結果が先程のブルッブルッに震えた声であった。容易に声を出せなくなっていた。  加えて、彼女の色白で鼻筋の通ったお人形さんみたいな顔は、俺の理想を具現化したものに限りなく近かった。  この状況で、俺が普通に話せるわけがなかったとお判りいただけただろうか。  このとき少しだけ引っ掛かったのは、彼女の息が寸分も乱れていなかったということぐらいだ。  数分が経って、息が整い、心も落ち着き始めた。そこで教授の声が耳に届き始める。 「……方針についてはざっとこんな感じだ。質問はあるか。…ないな。次は自己紹介。一人3分以内。赤井さんから」  教授の話し方は、質問のための挙手をさせる気がないように聞こえた。教授に質問をするときには、早押しクイズのようにある程度予測が必要になるのだということをこのとき学んだ。  教授はさっと横の椅子に座って、我々の性格を見透かすかのような目で一人一人の顔を確認しながら名簿をながめていた。  そんな恐ろしい視線にビビッてしまい、1分以内に自己紹介を終わらせる奴が続出する中、俺は唯一3分全てを使い切った。これができたのは『みんな』にではなく、『彼女』に対して自己紹介をしていたからだ。  自慢っぽくならないよう細心の注意を払った。どうしたら好感を持ってもらえるかだけを考えて話した。  彼女はまたしても気だるげな顔で俺の話を聞いていた。ただ、陸上で全国大会に出場して1位になったことがあるという話と、亡くなった親父の話にはなぜか興味を持ったように見えた。  ゼミの初顔合わせ終了後、彼女とは少しだけ話をして、すぐに別れた。本当はかなり名残惜しかった。大学入学当初から「いきなり女にベタベタする男は気持ち悪い」と散々言っていたのは、紛れもなく俺自身であったのだ。それを思い出してしまい、行動には移せなかった。ちなみにこのタイミングですでに恋に落ちているのだが、自覚はない。
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