18人が本棚に入れています
本棚に追加
大晦日
大晦日。
呑箱局では、一年で一番忙しいのが年末年始。そして今日が忙しさの一番のピーク。
賀正堅紙。
呑箱局の定番商品。お正月の挨拶の堅紙。
これだけで呑箱局の年間の売り上げの数パーセントを占めるのだという。
年末に各家庭から差し出された賀正堅紙は、年内に区分され、配達順に組み立てられ、元旦の午前、一気に全局員で配達にかけられる。
僕たちの班は、この一週間で組み上げた賀正堅紙をゴムで結わえ、バイクに乗せて、正月配達の準備を整えた。ひとまず、ここまでの作業を終えて、午後8時。
僕は野火さんと食堂で短い休憩を取っている。
「しかし、あれだね。みんなが一年で一番のんびり暮らしてる年末年始に一番忙しいとは」
「ですね。因果な仕事です。この仕事就く前は、大晦日も正月もそれっぽく過ごしてた。大掃除するでしょ。今は家内に任せちゃってますけど。そんで、ずっとテレビ観て、ごーん、そのうち除夜の鐘が聞こえる。その後で、初詣に出かけることもあったな」
「だよな。そうやって過ごすよね」
「ええ。今は家帰って、お蕎麦食べたらそのままぐう、です」
「疲れちゃってる。翌日はいつもより出勤が早い」
「そうそう。早く寝ないと」
「歳もあるけどね」
「早く休まないと、翌日に響く」
「だね」
「ちょっと悲しいです」
「俺はこの仕事に就く前は正月、実家行ってた。それで、飲んで食べて」
「はい。一日飲んでる」
「だね。なんか普通の正月の過ごし方忘れちゃったよ」
「ははは。でも、野火さん、それも今年が最後ですね」
「うん。そう思うと少し寂しい」
野火さんは、呑箱局を退職することに決めたのだった。
就農に備えて、春からは農業研修に専念するらしい。
「まだ先のことだと思ってたから、びっくりしました」
「うん。随分考えたんだけどね。勤めながら休みの日だけやってても、体はどんどん衰えていく」
「そうですね」
「機械の操作なんかも覚えないといけないしね、今じゃなきゃ覚えられないかもしれない。早く始めた方がいいに決まってる。そう考えるといてもたってもいられなくなって」
「はい」
「俺はさ、今、一番やりたいことをやってるのかってね」
「そうですね」
「人生短いもん。まあ、自己都合退職だから退職金は満額もらえないけどね。お金より、時間が大切」
「奥さんは?なんて?」
「うん。農家になったら一緒にやってくれるってさ。応援してくれてる。駄目でも、貯金も少しある」
「息子さんは?ドラマーの」
「ああ。あいつは、高校出たらそのままプロでやってくんだと」
「そりゃまた」
そっか。
野火さんとは、入局以来20年の付き合いになる。
寂しくなるな。
ずっと同じ船に乗っていた仲間が一人下船する感じ。
「しかし、減ったね。賀正堅紙」
「ですね。僕が入った年に、取扱物数が最高になったんです。でも、それ以降減る一方で」
「ネットがね」
「ええ。みんなメールでやり取りするし、個人情報の取り扱いも」
「そうそう。厳しくなった。俺が子供の頃なんか、クラスの名簿見ながら友達に堅紙出したけど」
「今、ないですね、クラス名簿。同じクラスでも、みんなどこに住んでるのかわからないらしいです」
「ははは。昔がよかったなんて安易には言えないけど。懐かしいのは確かだね、あの頃」
「気楽でしたよ」
「で、今は個人情報に敏感なおかげで、物量は減った。仕事もやりづらい」
僕は、入局したばかりの頃の年末年始の職場を思い出した。
「高校生の女の子のバイトがわんさといて。活気がありました」
「あ。そんで、高校生と付き合っちゃう職員な。そのまま結婚した奴もいた」
「いましたねえ」
「でも、疲れたね」
「うん。バイトの世話で疲れ切りましたね」
「そうそう。毎日ぐったり」
「今は、そこまでじゃない。バイトもいない」
「うん。今年も賀正堅紙の時期だ、大変だ、と思って構えていると、そうでもない。それが毎年」
「毎年堅紙の取扱い量が何パーセントかづつ落ちてるから、今年はそうでもない、が20年続いてる」
「うん」
そして、その流れは、おそらく僕が退職するまで続くんだ。
「呑箱局辞めても、地球神楽には参加するからね。誘ってね」
「勿論」
「バンドがあってよかったよ」
「ですね」
「さて、そろそろ」
「あ。もう15分経った」
「ぴ、して帰ろう」
「はい。あ。よいお年を」
「よいお年を。半日後にはまた合うけど」
最初のコメントを投稿しよう!