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墓村三夫
いっぱいあった。
いっぱいあったのは覚えている。
音楽の授業では毎回、あった。それも覚えている。
でも、一つ一つこいつとのエピソードを思い出そうとしてもできない。
大分前の話だし、おそらく自分自身が思い出したくないことなのだろう。
墓村三夫。
僕が小学生の頃、6年間、音楽を担当していた教員。
6年間に6回替わった担任の名前はフルネームまで思い出せない先生もいるけれど、こいつだけは今でも覚えている。
なでつけた長い髪も。
その嫌みな口調も。
だらしない唇も。
そして、耳の聞こえない子なんて一人もいない教室で、ことあるごとに披露していた、音階の手話。
「墓村三夫?」
「うん」
「墓村三夫」
「うん。何?朝倉君、知ってるの?」
「いや。はい。あ。いいえ」
「だよね。墓村三夫。こいつだけは絶対忘れない」
「はい」
「あいつ」
「はい。で。南さん、そいつに何、されたんですか?」
初めは、そうだ。「♯」
*
「これは、なんて読みますか?南君」
「あ。はい。えっと」
「なんですか?」
「井戸の井?」
「わはははは」
「、、、」
「皆さん。井戸の井じゃないですよ。これ。シャープって読みます。井戸の井じゃないですから。わはははは。ここは、音楽を勉強する教室ですからね。漢字は、自分たちの教室でね」
こんな言い方はないのだ。確か、小学校の低学年。
そもそも、♯、なんて習ってない。習ってなければ、わからない。
今にして思えば、恥をかかせるつもりで僕にわざと当てたのかもしれない。答えは習い事で楽器をやっている子以外、似たり寄ったりだったろう。
それでも、僕は、クラスの子みんなに笑われた。付和雷同。小学生は単純だ。
そして、墓村は、そんな小学生の習性を知っていたのだ。
*
「ひどい奴ですね」
「まあ。毎時間、僕がネタにされたね、何かしら」
「いじめを先導してるのが先生なんて。そんなことしてたら、今はすぐ」
「うん」
「カスですね」
*
「小太鼓。叩いてみて。南君」
「はい」
「違う違う違う。あっはは。こわれちゃうよ、太鼓。バチの持ち方、反対。上下逆。あっははは。みんな、こうじゃないからね。太い方を持って」
*
「グリップみたいにさ、握るところだと思ったんだよ。バチの先端のたんこぶ」
「ああ。そっか。でも、南さん、初めてだったんですよね」
「うん。叩いたことない」
「なら仕方ない。初めに教えるべきだ。それが教師」
*
どうも音痴らしい僕は、合唱のたび、一人で歌って矯正される時間があったし、一人ずつ先生のピアノに合わせて歌う歌のテストの時は、墓村はずっとにやけていた。
「南君は、いつも楽しませてくれるね」
「え?」
「個性的な歌唱だね。面白かったよ。じゃ、次の人」
「個性的な歌唱」は、それからしばらくクラスの流行り言葉になった。
*
「南さん。それは、もう、犯罪です」
「朝倉君」
「それは、もう、教師じゃありません。墓村」
*
そんな僕は、高学年のある日、歌を歌うのをやめた。
口を閉じたまま音楽の時間を過ごすことに決めたのだ。
「何やってんだ。南!ちゃんとやれ。合唱の時間だぞ!」
「、、、」
「やんないなら教室をでてけ!」
「、、、」
「出てけってんだよ!」
手を引かれ音楽室を引っ張り出された僕は、音楽室の中まで聞こえる声で歌わなければ、中に入れてもらえないことになったのだ。
*
「どうしたんですか?それから。南さん。勿論、歌うわけないですよね」
「うん。黙って外に立ってた。泣きながら。そんなのが、何週間か続いたかな。いや。何か月?」
「はい」
「あるとき、音楽室に入っていいことになった」
「はい」
「でもさ。気持ち悪いんだ。その場所が。音楽室の中。墓村の声も、ピアノも、みんなの歌も、合奏も、全部、気持ち悪い」
「ええ」
「それで、吐いちゃって」
「ああ」
「それからの残りの小学校の音楽の授業は、殆ど、保健室」
「それで、音楽そのものが」
「うん」
「ひでえ。訴えていいやつですよ。それ。僕なら絶対」
「いや。そんなこと思いつきもしなかった。生徒が先生を訴えるなんて、そんな時代でもなかったし」
「でも」
「しょうがない」
「しょうがなくないです!!」
朝倉君の怒号に、周囲の席のお客まで驚いている。
「しょうがなくない」
朝倉君のビールジョッキを持つ手が、がたがた震えていた。
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