2本のブルースハープ

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2本のブルースハープ

4人で飲んだ翌日。僕は非番日だった。 家内は台所で朝ごはんを作っている。春緒はまだ起きてこない。 昨夜の居酒屋では、朝倉君に怒鳴られた後、カウパーには説教されたのだ。   * 「俺が小5の時の担任、中年の女だったんですけどね。 クラスでいびられてるやつがいたんだけど、そのいびってる首謀者を、いつも見て見ぬふり。でかいから反抗されるのが怖かったんだろうね。 で。ある日授業中、そのいじめられてるやつ、たまらず大声で、そいつを怒鳴ったんです。 「ふざけんな!うるせえ!いいかげんにしろ!」 でもさ、驚いたことにその担任、怒鳴った方を注意した。 「うるさいです。静かにしなさい」 でも、それは違うじゃねえ。頭来て、俺さ。 「先生。見てましたよね。今の。明らかに、いじめてる方が悪いじゃん」って。 そしたら、「なんですか?道祖神君。見てません」 そんなわけないんだ。 「見てました。先生、嘘ついてる。だめだ、知らんぷりしちゃ」って。 そしたら今度、先生、俺の方に寄って来てさ。 「なんですか?先生に向かって」って。 俺の腕取って、引っ張ろうとするからさ。ばあん、って跳ねのけたんだよ。 そしたら、先生よろけて、金魚の入った水槽に頭ぶつけて、水槽割れて、がっしゃあ。水浸しで頭から血、流してさ。狂ったように泣き始めて、もう大騒動だよ」 大変。 「で、その後、おふくろ呼ばれて、俺と教頭と担任とで話してさ。 ほら。いじめてるやつらの件。なんでこうなったのかって、それはもう不問に付されてて。ひたすら、なんで俺が担任を突き飛ばしたのか、ってそればっかり追及されて。 担任は、いきなりやられた、ってそればっか。また嘘ついてんだ。いや、お前が先に俺の手掴んだんだよね、って。 でも当時は、みんな大人の言うことの方を信じるのね。俺の言葉なんか信じない。 おふくろはおふくろで、ただ謝ってるだけだしさ。 結局、俺が全部悪いってことになった」 酷い話だ。 「その日から。それから、俺は一貫して問題児。 中学行っても情報は伝えられてるみたいでね。なんか周りの先生気味悪い。 結局、あれから小中と、気持ちよく学校に通った記憶はないです。 そんな昔の俺のことを思い出すと、今こうして普通に会社に勤めて、ちゃんとやってんのが夢みたいです。ホント」 そんなことあったのか、カウパー。 「だからさ、南さん」 はい。 「小学校卒業したら、こっちもだんだん分別がついてくるよね。 先生だって神様じゃない。いつも正しい行動してるわけじゃないってね。なにより、人間なんだ。俺たちとおんなじ。弱いやつもいれば、ずるいやつもいる。人間だから。 で。俺たちは、そんなもんだと思って、先生に合わせてこっちもふるまう。 でもさ、できないんだよね、小学生だと、まだ。経験値が違う。判断力がない。先生は絶対の存在だと思わされてる。担任がひでえ野郎でも、はいはい、って従わないといけない。 それが原因で何もわからない小学生の中には、傷を負う人間も沢山いる。悲劇だよ。 でもね。そんな悲劇に出会った人間も大方、克服して、大人になる。 自分の力で克服してるんだ。それは成長するときに、みんながちゃんとやっておかないとならないことですよね」 うん。 「だからさ。南さん。いつまでも引きずってちゃだめなんだよ」 はい。 「野火さんに聞いたけど、娘さん。中学の時、凄いことしたんですって? 冴えない吹部をぶっ壊して、かっこいいジャズバンドにした。 娘さん、その部長だよ。リーダー。娘さんが先頭に立ったんだ。めっちゃくちゃ、かっこいい。 聴きに行かなきゃダメじゃないですか。絶対! 一回も聴いたことがないって、なんだよ!」 だよな。知ってるよ。 そこに、「ちょっとだけ出てきます」と席を外していた朝倉君が戻ってきた。 「よかった。まだ開いてました。楽器屋さん」 「え?楽器屋?」 「はい。これ、どうぞ。プレゼントじゃないです。さっき約束した通り、僕の今日の飲み代は出してください」 「うん。それはいいけど。これ何?」 「持っててください。それ持って、今度、僕たちのライブに来てください。招待します」  * 「お父さん、おはよう。昨日遅かったんだよね。私、先、寝ちゃったよ」 「おはよう。春緒。うん。久々に結構飲んだ」 「あのさ。これ、プレゼント。一緒にやろう」 「何?これ」 「私もちょっと興味あったんだよね。私の分も同じの買った」 「え?」 「ブルースハープっていうんだよ」 「ブルースハープ?」 「そう。穴が10個しかないハーモニカ」 「え?これ」 「なに?」 「何でもない」 「どの穴も、吹き吸い全部音が出るからね。吹きそびれがない」 「へえ」 「これは、Cの音が中心に入ってるから、そうだね。ピアノで白鍵ばっかり叩いてるようなもの」 「ふうん。よくわかんないけど。簡単なのね、他の楽器より」 「うん。私も昨日やってみたけど、なんとなくメロディになったよ」 「そっか。あ。ありがとう」 「帰ったらやろ。一緒に」 「うん。あ」 「なに?」 「あのさ。春緒のバンド、今まで一度も聴きに行かなくて、ごめん」 「恨んでるよ」 「え?」 「あはははは。じゃ、行ってきます!」 「いってらっしゃい」 「そうだ。私の誕生日プレゼント、原付バイクで。中古でいいから。目、つけてんのあるんだ」 「え?」 「それで、チャラにしたげる」 「あ」  * 春緒が登校した後の僕の目の前には、箱から出した2本のブルースハープ。 手のひらに入るぐらいの小さな楽器。 1本は、MAJOR BOYだって。朝倉君にもらった、というか、飲み代と交換になった。 TOMBO? 鉛筆の会社?ハーモニカも作ってるのか。 もう1本は、YAIRI。春緒がくれた。 これは、特に商品名はないな。 僕は、YAIRIをくわえてみた。 ぷう。 ぷう。 あ。ホントだ。吹いても吸っても音が出る。 楽器を鳴らすのなんて、何十年ぶりだろう。 兎に角。 僕の問題は、すぐに克服しなければならないものらしい。 そして、そのための道具を手に入れたのは、確からしい。 でも。 そんなにうまくいくのだろうか。
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