亡き王女のためのパヴァーヌ

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亡き王女のためのパヴァーヌ

一つ目のバンドが終わって「3-4」のライブはしっとり始まった。 ピアノの花輪君が、メロディを奏で始める。 素朴で落ち着いた旋律は、でもこれ、「東村山音頭」だ。4丁目だ。 それに合わせて、3人が順に演奏に入っていく。 まるちゃんのベース、浜地君のカホン、朝倉君のギター。 「ジャズに編曲したんだ。すごい、朝倉君たち」 野火さんが隣でささやく。 一度メロディを演奏し終えると、二回し目は、大分原曲から離れた旋律を花輪君は弾いている。 ピアノを見ながら、ベースギターを奏でるまるちゃん。 朝倉君のギターはかすかに柱時計が時を刻むみたいな。 浜地君のカホンは、リズムを取るというより、3人を煽っている。 別の立場から、4人がその場で一つの曲を完成させようとしている心地よさ。 これがジャズか。  * 2時間前。 リハーサルを終えた「3-4」の4人と僕たちは、一度店を出て、近くの喫茶店で待機した。 「居酒屋で南さんに小学校時代の音楽の授業の話、聞きましたよね、こないだ。それを帰って、まるちゃんにしたんですよ。そしたら」 「あたしゃ、もう腹立って腹立って、一睡もできなかったよ。南さん、あれはないよ。あんなのないだよ」 「あはは。ありがとう。そういってもらえて、なんか」 「音楽は、人の心を癒すためにあるものじゃないですか。それをこんな。あたしゃ絶対許せないよ」 まるちゃんのこのちょっとおばあちゃんっぽい話し方は何だろう。 やっぱ、なんらかのキャラが入ってる? 「まるちゃんは、音楽療法士なんですよ」 ここでもなぜかホッピーを焼酎なしで飲んでいる浜地君が、横から話す。 「あはは。いつもは音楽を使って、気持ちの不安定な方たちの心のケアをさせてもらってます。ケアできてるかな。まだまだ自信はないんだけど。毎日勉強だあね。 だからねえ。だから。今回みたいなケース、ほんっと、むかつくんです。ぷんぷん、だよ。 ちょっと音楽ができるからってなにさ、その先生。小学生の子供相手にいい気になって。音楽は、人を傷つける武器じゃない。音楽は、人の心を閉ざさせるためのモノじゃない。 今日は、私たち、音楽に関わるものとして、できるだけのことはさせていただくつもりですから」   * 「3-4」のライブ。 2曲目も3曲目も、僕の知っている曲だ。 ホントに、僕が出したリストの中の曲だけにしてくれたんだ。 まずは、「老人と子供のポルカ」。 「やめてけれやめてけれ、やめてけーれけーれ、けぱけぱ♪」 朝倉君とまるちゃんが二人で歌っている。 僕が子供の頃は、左卜全と、ちいさな女の子たちだった。あはは、楽しい。 そして、「帰ってきたヨッパライ」。 「おらーはしんじまっただああ♪」 今度は、アコーディオンの花輪君と、ギターを持った浜地君が歌。 曲によって、どんどん楽器が替わる。歌い手が替わる。へえ。面白いバンドだな。  * 本番待ちの喫茶店。 「バンド名の「3-4」って言うのは?どういう意味?」 野火さんが、さっきから静かに話を聞いている花輪君に話しかけた。 「ああ。これは。ええと。口にすると、あまりにも」 「あ!花輪君!俺はすぐ分かったよ。すぐピンときた」 「さすが、カウパーさん」 「え?カウパー、何々?教えて」 「いや。野火さん、口にすると、あまりにも。多分、スリーフォーって読むんじゃないんです」 「そうなの?朝倉君」 「あはは。です。いずれわかると思います。そんなに気にしないでください」 僕もわからない。なんだろう。 「それじゃ、そろそろ。僕たちは、先に会場入ってます。 1バンド目終わったら、電話入れますんで、来てください。 僕たちのライブは大丈夫。全部、南さんが小さな頃に口ずさんだやつですから」 「ありがとうね。みんな」 「人助けじゃないですよ。僕たちだって、十二分に楽しむつもりですから。 それじゃ、南さん。打ち合わせ通り「はじめ人間ギャートルズ」からラストまでの3曲、舞台に上がってて下さい。よろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 こうして僕は一旦、一人喫茶店に残されたのだ。 「3-4」の前のバンドは、ボサノバという音楽を演奏するらしい。 未知の音楽を鑑賞することになるので、朝倉君たちが気を使ってくれたのだ。 でも。 朝倉君や野火さんたちがいなくなった後の、閑散とした喫茶店のボックス席に一人。 僕は、店内のBGMにかかっているクラシックらしいピアノ曲に、さっきから目を閉じて耳を傾けている。 鑑賞している。 いい曲だな。心が、動く。 音楽に感情が動いたのはいつぶりだろう。 傷ましいけれどきれいな過去を追憶しているような。 甘味な何かを失ったような。 僕の頭の中はピアノの音色ばかりに満たされた。 僕は、感動しているんだ。 「お水、どうぞ」 目を開けると、ジーパンにエプロンを巻いた若いウェイトレスが、目の前でにっこり笑っていた。 「あ。お願いします。あ。あの。すいません。ええと」 「はい?」 「この、これ。今、かかってるこの曲。名前、わかりますか?」 「あ。ああ。これは。パヴァーヌですね」 「パヴァーヌ」 「はい。「亡き王女のためのパヴァーヌ」。ラヴェルの曲です。いい曲ですよね」 「詳しいんですね」 栗毛色のボブの髪を揺らして、彼女は、「いえ」と手を振った。 「この曲、好きなんです。あの。これから、ライブされるんですか?」 「え?」 「すいません。聞こえちゃった」 「あはは。はい。初めて舞台に立ちます。でも、まったくそんなことしたことなくて」 「あの。聴きに行っていいですか?角のビルの地下ですよね」 「はい。でも」 「もう、私上がりなんで」 「ええと」 「みんな楽しそうな人たちでした」 「あ。はい。じゃ、ぜひ」 僕は、レシートを持って立ち上がった。 「えっと。2バンド目です。今から1時間ぐらい経ったら始まります。お待ちしてます」 「はい。楽しみにしてます」 僕は、対バンの音を早く聴きたかったのだ。 僕はその時、確かに音楽に飢えていた。
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