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家宅侵入
「やってらんねえ!っざけんな!知らねえよ、んなの!」
朝、職場に入るなり、同じ班のカウパーの怒鳴り声が響いている。
うるさいなあ。
いつも声がでかいが、今日は、特別だ。
同じ班の野火さんが、そんなカウパーをなだめているらしい。
七草呑箱局機動部第3班。
区分用の机がパーテーション代わりになって、2班、4班の作業エリアと区切られている僕たちの班。
野火伸助さんは、僕の一年先輩。
通称カウパーは、僕の二年後の入局。本当の名前は、道祖神薫。
「野火さん、どうしたんですか?」
「いやほら。東1-51-6の佐藤さん、知ってる?」
「あ。はいはい。もしかして、呑箱の裏から手紙入れた?」
「そう」
「知らなかったの?苦情になるの」
「うん。知らなかったって。班ミーティングで周知したのにね。多分、聞いてなかったんだよ、カウパー。だから作業してないで、ちゃんと聞いておけっていつも」
東1-51-6の佐藤さんの家。
壁に埋め込まれているタイプの呑箱。
僕たちは、呑箱に手紙を入れる際、大きくて入らないときは、呑箱の裏に回ってそこから入れることも多い。ところが、佐藤さんは、それがいたく気に入らないらしいのだ。
こないだは、家宅侵入だ、警察だ、と騒がれ、班長が伺って2時間、謝り続けたらしい。
「旦那?奥さん?」
「奥さん。あそこ、奥さんがうるさいんだ」
「でもさ。あの家、門扉があるわけでもないし、段差があるってんでもない」
「そうなんだよ。結局、タイルが貼ってある線の向こうとこっちって、区別するのね。線の向こうに入ると家宅侵入だって。子供の陣取りゲームじゃないんだから」
カウパーは、あっちの方で、なおも呑長に食らいついている。
呑長というのは、機動部を実質的に差配する役職。
因みに、機動部の一番上の役職は、最高呑長という。
「そうかと思うと、北3-5-5の高橋さん」
「え?何?知らない。何?南さん」
「あそこは、裏から入れないと文句が来ますよ」
「え?そうなの?」
「そ。朝倉君がね、表から入んないから、裏に回って。で、それでもちょっとはみ出ちゃうんで、不在通知切ったんです」
朝倉君というのは、この班の呑メイト。朝倉友蔵君。
僕たちの会社は、アルバイトのことを、通常、呑メイトと呼んでいるのだ。
俗称ではない。非正規社員の立派な正式名称、呑メイト。すげえセンス。
「へえ。で、苦情になった?」
「はい。朝倉君が再配達に行ったら、高橋さん、ねえ、なんで不在通知書いたの?連絡するのも面倒なのよ。呑箱に入るでしょ、このぐらい、って、嚢状をぐちゃぐちゃに折り曲げて、自分ちの呑箱に押し込んで」
「それをやっていいならやるよな、初めから。誰も再配達なんか行きたくないんだ」
「気を使って怒られるんだから」
「やってらんない」
呑箱の裏から手紙を入れるな、という家もあれば、嚢状を破壊してでも裏から入れろという家もある。
従わないと、どっちも苦情だ。
本来、そんないちいちの家の事情に対応できるわけがない。
僕たちは、謝ってばっかりだ。
僕だって、やってらんない。
「あ。僕はね。ホントに表から入れたんなら証拠を見せろって言われましたよ。家宅侵入申告の佐藤さんに」
その朝倉君が話に入ってきた。
朝倉君は、爽やかな長身の30歳代のベテラン呑メイト。
「え?なになに?」
「また裏から入れられました、何度言ったらわかるんですか。家宅侵入です、犯罪ですって、苦情の電話来て。でも僕、あそこうるさいの知ってるから、ちゃんと表から入れたんですよ」
「へえ。物はなに?」
「なんか、なんだあれ。豆みたいなもの。袋に入ってて。豆が袋の中でかたよって入ってるから、確かに厚くてそのままじゃ、呑箱に入らない」
「うん」
「で、こうね、ぺたーんと、ひらったくならしたんです。そうしたら、するっとうまく入った」
「さすが。で、何?佐藤さんの前でそれやったの?」
「はい。こうやって入れたんですよって。佐藤さん、嚢状の封開けないで、そのまま持ってたんで」
「そしたら?」
「そう、入るんだ、へえ、って一言。それで家に入っちゃった」
「ひでえ。ふざけんな」
「わざわざ呼ばれて、行ったわけだよね」
「はい。定時で帰れそうだったけど、残業になりました」
「俺たちのこと人と思ってないんじゃねえ?普通一言あるよな。謝らねえのか。ばばあ」
「あ。野火さん。ばばあなんていっちゃ」
「いや。そんなことないよ。南さん。ここがまさしく使う所」
「僕もそう思います。今、言わなきゃこの言葉の存在意義がない。言葉に失礼。くそばばあ」
「あ。くそ、までついた」
あれ。8時の始業ベル1分前だ。
班長の高井さんと副班長の安井君が、来てない。
遅刻?まさか揃って。
と、思ったら、二人、ばったばった走ってきた。
社員証を機械に、ぴ。
「あはは。あはは。間に合った。よかった!」
「班長、どうしたんですか?」
「キリンだよう。キリン」
僕よりちょっと年長のこの班長はいつもへらと笑っている。
事が、おおごとなのかなんなのかよくわからない。
「ああ」
「道塞いで、木の葉っぱ食べててさ。どかないんだよ。大渋滞。バイク進めない。あっはは」
「僕は、抜け道行きましたよ」
でかい副班長が横からにゅっと口を挟んだ。こっちは、僕より大分若い。
「安井君、桜の木?やっぱ」
「そう。ほら、今、さくらんぼが成ってるから、おいしいんですよ」
「ジェットシンですか?」
「はい。でも二頭いました。馬之助もいた」
「また。あの二頭」
「ははは。ま。キリンには悪気はありません」
「呑気でいいな。野良キリン」
「ははは」
「僕たちみたいに、苦情も言われないし」
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