家宅侵入

1/1
前へ
/100ページ
次へ

家宅侵入

「やってらんねえ!っざけんな!知らねえよ、んなの!」 朝、職場に入るなり、同じ班のカウパーの怒鳴り声が響いている。 うるさいなあ。 いつも声がでかいが、今日は、特別だ。 同じ班の野火さんが、そんなカウパーをなだめているらしい。 七草呑箱局機動部第3班。 区分用の机がパーテーション代わりになって、2班、4班の作業エリアと区切られている僕たちの班。 野火伸助さんは、僕の一年先輩。 通称カウパーは、僕の二年後の入局。本当の名前は、道祖神薫。 「野火さん、どうしたんですか?」 「いやほら。東1-51-6の佐藤さん、知ってる?」 「あ。はいはい。もしかして、呑箱の裏から手紙入れた?」 「そう」 「知らなかったの?苦情になるの」 「うん。知らなかったって。班ミーティングで周知したのにね。多分、聞いてなかったんだよ、カウパー。だから作業してないで、ちゃんと聞いておけっていつも」 東1-51-6の佐藤さんの家。 壁に埋め込まれているタイプの呑箱。 僕たちは、呑箱に手紙を入れる際、大きくて入らないときは、呑箱の裏に回ってそこから入れることも多い。ところが、佐藤さんは、それがいたく気に入らないらしいのだ。 こないだは、家宅侵入だ、警察だ、と騒がれ、班長が伺って2時間、謝り続けたらしい。 「旦那?奥さん?」 「奥さん。あそこ、奥さんがうるさいんだ」 「でもさ。あの家、門扉があるわけでもないし、段差があるってんでもない」 「そうなんだよ。結局、タイルが貼ってある線の向こうとこっちって、区別するのね。線の向こうに入ると家宅侵入だって。子供の陣取りゲームじゃないんだから」 カウパーは、あっちの方で、なおも呑長に食らいついている。 呑長というのは、機動部を実質的に差配する役職。 因みに、機動部の一番上の役職は、最高呑長という。 「そうかと思うと、北3-5-5の高橋さん」 「え?何?知らない。何?南さん」 「あそこは、裏から入れないと文句が来ますよ」 「え?そうなの?」 「そ。朝倉君がね、表から入んないから、裏に回って。で、それでもちょっとはみ出ちゃうんで、不在通知切ったんです」 朝倉君というのは、この班の呑メイト。朝倉友蔵君。 僕たちの会社は、アルバイトのことを、通常、呑メイトと呼んでいるのだ。 俗称ではない。非正規社員の立派な正式名称、呑メイト。すげえセンス。 「へえ。で、苦情になった?」 「はい。朝倉君が再配達に行ったら、高橋さん、ねえ、なんで不在通知書いたの?連絡するのも面倒なのよ。呑箱に入るでしょ、このぐらい、って、嚢状をぐちゃぐちゃに折り曲げて、自分ちの呑箱に押し込んで」 「それをやっていいならやるよな、初めから。誰も再配達なんか行きたくないんだ」 「気を使って怒られるんだから」 「やってらんない」 呑箱の裏から手紙を入れるな、という家もあれば、嚢状を破壊してでも裏から入れろという家もある。 従わないと、どっちも苦情だ。 本来、そんないちいちの家の事情に対応できるわけがない。 僕たちは、謝ってばっかりだ。 僕だって、やってらんない。 「あ。僕はね。ホントに表から入れたんなら証拠を見せろって言われましたよ。家宅侵入申告の佐藤さんに」 その朝倉君が話に入ってきた。 朝倉君は、爽やかな長身の30歳代のベテラン呑メイト。 「え?なになに?」 「また裏から入れられました、何度言ったらわかるんですか。家宅侵入です、犯罪ですって、苦情の電話来て。でも僕、あそこうるさいの知ってるから、ちゃんと表から入れたんですよ」 「へえ。物はなに?」 「なんか、なんだあれ。豆みたいなもの。袋に入ってて。豆が袋の中でかたよって入ってるから、確かに厚くてそのままじゃ、呑箱に入らない」 「うん」 「で、こうね、ぺたーんと、ひらったくならしたんです。そうしたら、するっとうまく入った」 「さすが。で、何?佐藤さんの前でそれやったの?」 「はい。こうやって入れたんですよって。佐藤さん、嚢状の封開けないで、そのまま持ってたんで」 「そしたら?」 「そう、入るんだ、へえ、って一言。それで家に入っちゃった」 「ひでえ。ふざけんな」 「わざわざ呼ばれて、行ったわけだよね」 「はい。定時で帰れそうだったけど、残業になりました」 「俺たちのこと人と思ってないんじゃねえ?普通一言あるよな。謝らねえのか。ばばあ」 「あ。野火さん。ばばあなんていっちゃ」 「いや。そんなことないよ。南さん。ここがまさしく使う所」 「僕もそう思います。今、言わなきゃこの言葉の存在意義がない。言葉に失礼。くそばばあ」 「あ。くそ、までついた」 あれ。8時の始業ベル1分前だ。 班長の高井さんと副班長の安井君が、来てない。 遅刻?まさか揃って。 と、思ったら、二人、ばったばった走ってきた。 社員証を機械に、ぴ。 「あはは。あはは。間に合った。よかった!」 「班長、どうしたんですか?」 「キリンだよう。キリン」 僕よりちょっと年長のこの班長はいつもへらと笑っている。 事が、おおごとなのかなんなのかよくわからない。 「ああ」 「道塞いで、木の葉っぱ食べててさ。どかないんだよ。大渋滞。バイク進めない。あっはは」 「僕は、抜け道行きましたよ」 でかい副班長が横からにゅっと口を挟んだ。こっちは、僕より大分若い。 「安井君、桜の木?やっぱ」 「そう。ほら、今、さくらんぼが成ってるから、おいしいんですよ」 「ジェットシンですか?」 「はい。でも二頭いました。馬之助もいた」 「また。あの二頭」 「ははは。ま。キリンには悪気はありません」 「呑気でいいな。野良キリン」 「ははは」 「僕たちみたいに、苦情も言われないし」
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加