18人が本棚に入れています
本棚に追加
ぴ
七草呑箱局機動部の朝。
僕の所属する機動部は、黄色いバイクを使って、呑箱物を各家庭に届ける仕事を担う。
班が全部で4つあって、僕たちは第3班。
朝8時の始業ベルが鳴る前に、社員証を呑長席前にある10センチ四方の白い四角い箱、「ぴ」にかざすと社員の出勤が登録される。
間に合わないと、遅刻だ。報告が本社まで一瞬で上がるらしい。
今朝は、班長の高井さんと副班長の安井さんが遅刻しそうになったけれど、1分前になんとか、ぴ、に間に合った。よかった。
と思ったら。
「ほらほら。ほら。道祖神さん。ぴ、まだだよ。ぴ。早くして。早く!早く!」
カウパーが、呑長に言われている。
他の班の職員とだべっていて、ぴ、するのを忘れていたらしい。
「あーやべやべやべやべ!」
ほら、もう「ぴ」の前のデジタル表示は、8:00になってる。
8:01になったら、遅刻だ。
ぴ。
「間に合ったあああ!!」
だから、いちいちうるさいっての、カウパー。
まあ、遅刻にならなくてよかった。
遅刻ということになると、例え1秒でも、多大な余計な仕事が増える。
遅刻したものは呑長と対話して、遅刻の原因を聞かれ、指導を受ける。
指導した呑長は、指導対話書という書類をパソコンで作成しなければならない。
遅刻した本人は本人で、手書きの反省文を作成する。
反省文を渡された呑長は、見直して、指導対話書と一緒に最高呑長に渡し、ハンコをもらい、それを本社に送る。
多分各々職員が要する時間を全部足すと、1時間以上になるはず。
1秒の遅刻でも、この沙汰。
無駄をなくそう、というスローガンの反面、無駄を作り出してるのはスローガンを作ってる人たちなのだ。本社の上の方にいて現場なんか知らない人たち。いやあえて、現場を見たがらない人たち。
それにしても、カウパーは、始業の大分前から、ずっとそこにいるのにね。
でっかい声出しながら。
それをみんな見てる、知ってる。聞いている。
みんな知ってるのに、お前だけ知らないふりしてる、「ぴ」。
お前さ。
「ぴ」よ。
もう少し、こっちに寄り添おうよ。同じ職場で働くものとして。
もうちょっと、人を思いやる心があってもよかろう。
魚心あれば水心、っていうでしょ。お互い様じゃん。
「ぴ」の調子が悪い時、早く修理に出しましょうよ、って呑長に言ってたのはカウパーだよ。
ほら、掃除の人も忘れず毎日雑巾で君を拭いてくれている。
だから。
見て見ぬふりはやめようよ。
君が僕と同じ班の職員だったら嫌われるよ、きっと。
「ぴ」よ。
「時計のないころはゆるかったろうね」
野火さんが話しかけてきた。
「ああ。江戸時代以前ですかね。明治にはもう時計、あっただろうし」
「うん。日の出日の入りを基準に、時間を大体で割ってたんだよね」
「太陽、あの辺だから、出勤するかって」
「そうそう。太陽、真上だね。飯にしよう、とか」
「懐かしいですね」
「ははは。南さん。いつ、生まれたのさ」
大政奉還は、野火さんや僕が生まれる百年位前のこと。
時間は随分経っているようで、そんなに経っていないのだ。
僕が小さかった頃は、慶応生まれのお年寄りがまだ生きていた。
それなのに、現代。
僕たちは、こんな小さな立方体、「ぴ」に「モダンタイムス」のごとく操られている。
面白くない。面白くないけど、仕方ない。
「ぶあっくしょい!だははははは!」
カウパーのくしゃみだ。
「キリンは、いいよね。「ぴ」もない」
野火さん、呟く。
「自由ですよね」
僕たちの市に生息する7頭の野良キリンのことだ。
「うちの子、キリンの世話がしたいんですって、将来」
「え?春緒ちゃん。そうなんだ」
「はい。高校は畜産科」
「あ。それで。そっか。いいな。頑張んないとだね」
「はは。頑張ってますよ。今は牛相手ですけど」
最初のコメントを投稿しよう!