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野良キリン
職場からバイクで一度帰ってシャワーを浴びて、今いつもの居酒屋の前。
早めに着いた。
呑メイトの朝倉君はもっと早く着いていた。
「そうそう。あの。南さん。僕、七草の生まれじゃないので、全然わかんないんですけど」
「うん。何?」
「実は、みんなあまりに当たり前にしてるんで、聞きそびれちゃってて」
「うん」
「あの。七草、なんで野良キリンがいるんですか?」
「なんでって。あ。そうか。普通いない」
「普通いません」
野良キリンの歴史は、太平洋戦争中に遡る。
この市の小中学校を卒業していれば、みんな学校で少しは習うんだけど、そっか、よそから来たら面食らう?いや、でもそれほどのことだろうか?
「七草市、戦中まで、小さな動物園があったんだよ。知ってた?」
「え?そうなんですか?」
「うん。あの。ほら。今はそこ、鈴菜中学になってる」
「へえ」
「でね、戦時下、こんなちっちゃな市がこんなことに予算を使うのはいかんって、軍部の指導で廃園になった」
「ああ。はい」
「で。タヌキや猿や蛇は、山に返した。馬、牛は軍に持っていかれた。豚やヤギは、食べられた」
「ええ。ちょっと切ない」
「うん。で。その時、動物園の人気者が二頭のキリンだったんだけど」
「あ。戦時猛獣処分」
「よく知ってるね。朝倉君。それ」
「猛獣は軒並み殺されたんですよね。象なんかも。前、絵本で読みました「かわいそうなぞう」」
「うん。そう。で、キリンは当然、戦時猛獣処分の対象だったんだけど」
「どうしたんですか?」
「こっそり、山に逃がした」
「おお」
「そのことを市の人たちは、みんな知ってる」
「おお」
「軍の上の人たちは誰も知らない」
「おお。七草市にいる、軍の人たちは?」
「そんなもの。黙ってるに決まってる」
「おお」
その後、全国の動物園で戦時猛獣処分により多くの動物が殺処分されたけれど、話を聞いた全国の園の職員たちは、まだ運べる大きさの子供のキリンを七草市に委ねたのだ。全ては秘密裏に。
「初めは、七草動物園の男爵と男爵夫人の二頭。そこに、何頭かのバナナ坊が加わった。みんなアミメキリン」
バナナ坊というのは、子供のキリンのこと。僕たちは、そう呼んでいる。
成獣になってふさわしい名前がみんなに何となく命名されるまで、子供はバナナ坊と呼ばれるのだ。
「へえ。すげえ話ですね。感動です」
「うん。ね。市のみんなで命を守った。僕たちは、みんなそのことを小さいころから習って知ってる。そして、キリンは実際、いつもそこにいる」
「はあ。七草市民、おそるべし」
「でしょ。ははは」
「で。今は、町の真ん中の旧図書館をねぐらに」
「うん」
動物園は廃園になったけれど、市は、キリンのため、キリン舎を開放してあった。
戦後もキリンたちはそこをねぐらにしていて、鈴菜中学校が新設された後も、校庭の隣にキリン舎は残っていたのだ。でも、それがある日、そんなに大きくない地震で崩壊してしまった。建物はかなり老朽化していたらしい。
「大変」
「うん。キリンってもともとアフリカの動物だから、当然寒さに弱い。その年は、結局、半数のキリンが冬を越せなかった」
「死んじゃった」
「うん。それでね。市民の嘆願があって市が動いて、新図書館ができるのを待って、今までの図書館をちょっと改造してキリン舎にした。吹き抜けがあるんでね。キリンにはちょうどいい」
「すぐ隣の市民ホールを配るときは、会えないかなって、ちょっと期待します」
「だよね。会えるとちょっとうれしい」
「いい町ですね」
「うん。そう思う。僕も」
朝倉君は、空を見上げた。
「えっと。今日、局の外を歩いてたのが、猪木」
「うん。猪木。今のリーダー。一番でっかい。喧嘩も強いし、賢い。若いキリンが悪さしてると飛んでくる」
「ははは。頼りになる。で。さおりんが奥さんですか」
「そうそう。別嬪」
「で、バナナ坊は、猪木とさおりんの子供ですね」
「そう。やっと生まれた。待ち焦がれた。キリンの赤ちゃんって、お腹の中に400日ぐらい入ってるからね。なんか、ほんとやきもき」
「無事生まれてよかった」
「うん。よかった」
「それから。あれ。ジェットシンと、馬之助。これは知ってる。僕でも、知ってます」
「有名」
「はい。有名」
「そっか。僕たち市民に迷惑かけるのが大抵あの二頭」
「こないだ道路塞いで、班長と副班長が遅刻しそうになりましたね」
僕は、こないだの二人の慌てた様子を思い出した。
「そうそう。たまに踏切の中にも入るよ」
「ああ。はいはい」
「市役所の人は、スペシャルトラブルAって呼んでるらしい。特殊災害Aね。キリンのアクシデント」
「なんでA?」
「頻度が一番高い。それで、ほら、スペシャルトラブルAでしょっちゅう止まるあの電車、うちの娘はA列車って呼んでる」
「ははは。A列車で行こう!ですね」
「止まるけどね」
「ははは。ちなみに、スペシャルトラブルBは?」
「テロ」
「スペシャルトラブルCは?」
「異星人襲来」
「まじすか」
「まじっす」
「ははは。えっと、全部で7頭ですよね。あと2頭。名前出てこない」
「ああ。馬場さんと美波里さんだよ。どっちも年寄り。馬場さんは、前のリーダー。いつも2頭仲良く、山の方を散歩してるみたい」
「そっか。だからあんまり姿見えない」
「うん。あ。野火さんと、カウパー来たね」
「喉、からからです。我慢してた。早くビール飲みたい」
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