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呑箱ダコ
THE SEVEN FLOWERS JAZZ ORCHESTRAの長いリハが終わった後は、西瓜カルテットの短いリハ。その後が、僕たち地球神楽だった。
リハーサルが終わり、お客が会場に入って思い思いに飲食しているのを横目に、トップバターの僕たちは各バンドの楽器置き場兼楽屋として使っている別室に移った。
あれ?春緒。
「どうしたの?トランペットのケース持って」
「あはは。会場の中で聴きたいって」
「は?」
「お父さんのお友達なんでしょ。文政の」
「え?」
「中村さんだって」
「ああ」
「ほら」
春緒がトランペットのケースを開けると、あれ?空じゃん。
「さっきまでいたのに。丸坊主の頭だけ」
「恥ずかしがって隠れた」
「多分ね」
「びっくりしなかったの?」
「あ。そっか。びっくりしないといけなかった」
「ははは」
「お父さんに聞いてたからね。中村さんは、変なところから頭だけ出てくる」
「なんて言って登場した?」
「こんにちは。あばれる君です」
「あははは。年齢層に合わせる細かい芸」
「でね。私のトランペットケースの中で聴きたいから会場に持って行ってくれないかって」
「なるほどね」
「そういうことで。あとでね」
「はい」
他の3人、茫然としている。そりゃそうだ。
僕はことのいきさつを説明した。
「すげえ話ですね。それ。後で会えるかなあ。中村門堂」
カウパーがやたら感心している。
「それって、文政の人?みんなの友達?会いたかった」
はっちゃんも僕たちが文政に行ってきた話はちゃんと信用しているのだ。
「一応侍だよ」
「へえ」
中村さんも聴いてくれてるんだから、がんばんないとだね。
「新曲もあるしねえ」
「あ。はっちゃん、またぶっつけ新曲」
「大丈夫だよ。みんな。信頼してるよ」
「はは」
「それにしても」
野火さんが改まった。
「それにしても、みんなばらばらになったね。バンドがあってよかった」
ああ。言われてみれば。
野火さんは、この春で呑箱局を辞めてしまった。
カウパーは昇進して、この4月に転勤になっていた。今は他の局で機動部の副班長をしている。
「それでもさ」
カウパーが左手の甲を差し出した。
「これ。これ」
ん?ああ。
カウパーが右手で指さしたのは、左手の甲の薬指の付け根にあるタコ。
通称、呑箱ダコ。
僕たちは仕事中、左手に呑箱物を持ったまま手の甲でハンドルを押さえるので、みんな一様にここにタコができているのだ。
「へえ。おもしれえ」
3人の呑箱ダコを見比べて、はっちゃんが感心している。
「みんなあるんだね」
「うん。なんか恥ずかしいな」
「ははは。穴兄弟みたい」
はっちゃん、穴兄弟って。
「そろそろ始めるってさ」
春緒が知らせにやって来た。
「それじゃいっちょ」
「おお!」
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