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「このまえだってさー、出張のときのホテル代清算しにいったら『これは領収書がないと認められません』だって。ホテル側が渡すの忘れたから悪いんじゃん。わたしのせいじゃないのにー」
伊藤くんの話をしていたはずなのに白石さんの話にすり替えられている。狼男の伊藤くんは総務課で、雪女の白石さんは経理課だ。やはり最後の一言が余計だったらしい。
ホテルに電話して頼めば領収書発行してもらえるよ。
そういおうと思ったが、やめた。おそらくそういう問題ではないのだろう。
「経理課行くといっつも寒いしさー。仁科っちもそう思わない? どうして人間側が気遣わなきゃなんないんだろうねー」
ついにまったく関係のない話になった。ははっ、と乾いた笑いがもれる。
望月さんはきっと、白石さんがたとえ人間側だったとしても気に食わない。白石さんは、仕事ができて美人だから。
だけど、あくまで妖怪だからというていにしている。そのほうがてっとり早いし、白石さんにはどうすることもできないから。
「あーあ。今度の新卒は妖怪枠少ないといいなー」
望月さんの発言に、ひゅっと冷たい息をのむ。
右斜め前のテーブルにいたぬらりひょんの社員が、かわいそうなくらいに貧相な肩をびくつかせていた。
「はー」
湿った壁にため息が反響する。天井の水滴がおどろいて湯船に落っこちてきた。
浴槽から右脚を上げて、今日の自分に蹴りをいれる。
びしょびしょの足をみていたら、伊藤くんの毛の感触が思い出された。
伊藤くんとわたしは同期だ。およそ三年前の入社式。わたしは初めて伊藤くんに会った。
伊藤くんのスーツ姿はきまっていた。妖怪は種類によって体格が違うから、大きな紳士服専門店であっても取り扱いは少ない。だから、伊藤くんのスーツは特注品のはずで、それだけで何十万円とお金がかかっているのだから、彼のご両親は大変だったと思う。
わたしはその日、初めて狼男に会った。瞳は宝石のように美しく、つるりと湿り気のある鼻はかわいらしかった。
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