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『あ。ごめんなさい、じろじろ見たりして』
あまりにもじろじろ見すぎてしまってそう詫びた。
口からはみ出した犬歯は鋭く尖っていて、思わず自分が八つ裂きにされた姿を想像する。
伊藤くんははにかむようにして笑った。
『伊藤ジロウです。狼男です。よろしく』
そう早口でいって、ボリューミーなしっぽを振りながら去っていく。耳がぴょこぴょこ動いているのもかわいかった。
あのころは、伊藤くんももっと笑っていた気がする。彼から笑顔が消えていったのはいつごろだったか。
気持ちと一緒にお風呂の底に沈んでいきそう。わたしは勢いよく湯船を出た。
髪を適当に乾かして、おつまみとビール片手にテレビの前に座る。DVDプレイヤーを起動すると、入れっぱなしのディスクが作動した。
『植物戦隊! ブーケマン!』
女の子需要も意識した戦隊ものが人気だと、SNSで話題になった。
この年齢になって戦隊ものなんてと当初は思っていたが、動画サイトのおすすめやSNSのトレンドに毎日あがってくるもんだから、みているうちに夢中になって、いまやローズレッドはわたしの推しである。
本来子ども向けなので、内容がシンプルなこともいまのわたしにはまった。
社会人は疲れる。メッセージ性の強い映画も深みのある小説も好きだけれど、疲弊した夜にはまわりくどいし胃に重い。
それにひきかえ戦隊ものは空っぽの状態でもじゅうぶんに楽しめる。わるいやつが現れて、仲間で力を合わせてやっつける。それだけだ。
シンプルかつ爽快で、ひょっとしたら社会人こそ戦隊ものを観たほうがいいのではないかと最近本気で思っている。
画面の中でローズレッドがかまえる。へーんしんっ。ベルトの中央がぱかっと開く。ベルトの中で眠っていたバラが膨らんで、しゃらしゃらと花弁が舞った。
入社してまもなく、こんなうわさを耳にした。
妖怪枠で採用された同期は、わたしたちより初任給が低いらしい。新人研修をしてくれた女郎ぐもの都さんは、三年先輩なはずなのにわたしとお給料が同じだという。
お給料をいくらもらっていようと、働くひとは働くしさぼるひとはさぼる。同期の中で、伊藤くんはほかの同期の倍働いていた。そのとなりで人間の同期があくびをしていたりする。それなのに上司はなにも注意しない。役職についているのは全員人間だ。
そんな社会人生活に嫌気が差したのかもしれない。気づけば伊藤くんは笑わなくなっていた。
ちゅどーんっ。わるいやつがブーケマンにやられて爆発する。
ブーケマンよ。この情けないわたしごとあの会社を爆破してくれないだろうか。
そんなことを妄想しながら、今日もぬるくなったビールを飲み干す。
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