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(明治25年。A県K郡旧○○村の老人から採話)
……昔、ここより更に山奥に、××村ありき。
隣に平易な文が並べてある。
……昔、ここからさらに山に入ったところに、××という村があった。
その村の、さらに山奥。鬼が一匹、小さな洞窟に棲んでいた。
鬼といっても、この鬼、悪さをしない鬼だった。
日々、山の植物、動物を捕えては食い、沢水を汲み、村へ下りることなどなく、平穏に暮らしていた。
ある日、いつものように山に分け入った鬼は、兎を捕えた帰り道で、足元に小さな花のつぼみがあるのを見つけた。膝の下あたりの背丈の、細い茎の上に、ひっそりと健気に乗っていた。
鬼は思った。「どんな花が咲くんだろう」
鬼はその植物をそうっと根っこごと掘り出すと、洞窟の入り口まで運び、植え替えた。自分の飲み水を少し減らして毎日水をやり、声をかけ、花が咲くのを心待ちにした。
つぼみもそれに応えるように、嬉しそうに、どんどん膨らんだ。
その頃、山のふもとの村では、その鬼を退治する話が持ち上がっていた。
鬼が何をしたわけではないが、鬼は、いるだけで悪なのだ。
村人たちは、てんでんに鉈や鎌や鍬を手に、ある日の早朝、鬼の寝込みを襲った。
鬼は、取り囲まれ、無残に、あっけなく殺された。
鬼が最後に目にしたのは、洞窟の入り口の、花のつぼみだった。どんな花が咲くか見たかった、と思いながら、鬼は死んだ。
つぼみは間もなく、可憐な紫色の小さな花となった。(了)
「可哀そうな話し」
学生のひとりが小さく言った。
教授は、その声ににっこりすると、学生たちにもう一枚のプリントを配布した。
「これはさらに、隣村の老人からの採話と言われています。後半があるんです。同じ出所の話しのはずですが、こうも違うのは面白いことです」
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