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「人を巻き込んで、ド修羅場繰り広げてんじゃねえよ」
「ごめん」
太一は俯いたまま答えた。冷え切った指先が、かすかに震えていた。
「なんでそんな泥沼になっても、諦めねえんだよ。そこまで執着する意味がわからない。そんなにいい男か?」
円加さんの声は刺々しかった。太一は力なく笑う。
「一度自分のものになると、簡単には手放せないんだ。別れたところで、気持ちが完全に消えるわけじゃないから」
「お前って、ドMなわけ?さっさと見限って次見つけた方が絶対いいだろ。理解できないね」
まったくその通りだよ。
千紗に粉々にされたプライドは、まだ元に戻らない。さっきから、心が痺れてしかたなかった。円加さんが舌打ちをして、くるりとドアに向き直る。
「帰るの?」
「バイトあるから」
・・・バイト。それって、この前みたいなモデルの仕事のことかな。
脳裏に、昴さんの顔が浮かぶ。どうしようもなく、甘やかしてほしい気分だった。
「昴さんもいる?」
どっちにしろ、こんな状態で飲みになんていけない。友人たちには悪いけれど、後で断りを入れようと思った。
「いっけど、ショーの打ち合わせがあるから、お前を可愛がる時間なんてないんじゃない」
「それでもいいよ。顔を見たら、ちょっとは気が紛れるかもしれないから」
「じゃあついて来いよ」
Black Veilへと向かう道すがら、円加さんと取り留めのない話をした。
「それにしても、ついこの間ショーに出たばかりじゃん。ああいうのって、そんなにしょっ中あるものなの?」
「あそこのブランドは、昴の店のスポンサーでさ。毎月新商品が出るし、その度にああやってお披露目すんの」
「ふうん」
太一は、ちらりと円加さんの体を盗み見た。
「・・・なんだよ。バレてんぞ」
「円加さんって、着痩せするタイプだよね。私服より先に裸を見ちゃったから、最初、雰囲気が違っててびっくりしたよ」
頭を小突かれる。
「変な言い方すんな。大事な部分は隠れてたろうが」
「まあ、ほんと最小限だったけど」
「似合ってたろ?なるべく綺麗に魅せるために、めちゃくちゃ体絞ってんの」
誇らしげな口調が、子どもみたいで微笑ましかった。
「モデルの仕事、好きなんだ」
「まあね。俺は世界で一番俺のことが好きだから、自分の存在が仕事になるってのは最高」
・・・清々しい。やっぱ、色々とすっげえわ。こいつ。
「でも、普通の服よりも下着のモデルが一番楽しいな」
「なんで?」
「下着姿が、一番映えるんだよ。俺が」
太一は思わず吹き出した。円加さんのショーでの姿を思い出す。不敵に笑って、堂々と立ち去る後ろ姿に、みんな熱狂していた。思いっきり楽しんでたのか。あれ。
「何笑ってんだ・・・?こっちは真面目に話してんだよ」
「や・・・、ごめ」
ちょっとだけ可愛いと思ってしまった。言うと怒りそうだから、黙っておく。
そうこうしているうちに、店の入り口に着いた。地下へ続く階段を降りると、営業中とは違って明るいフロアに、不思議な感じがした。
「あれ?カズくんがいる」
円加さんを招き入れた昴さんは、横にいる太一を見るとはしゃいだ声をあげた。
「ドロドロの修羅場かましてやり込められてたから、連れてきた。お前の顔が見たいって」
「ちょっと、別にやり込められてないから」
慌てて訂正すると、昴さんが優しく微笑む。
「そっか。大変だったね。ゆっくりしてって」
太一の頭を引き寄せ、後頭部にキスをした。昴さんは無理に突っ込んで聞くことはせず、その気遣いがありがたかった。
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