猫と綺羅星

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**  キョロキョロと辺りを見渡す。人がいないことがわかると、ようやく太一は安心して演習室の扉を閉めた。 「別に見られたって問題ねえだろ」 「いや問題ありまくりだろ!」  並んでいる長机の上で横に寝そべり、片手を枕に優雅なポーズをとっている円加さん。古代ローマ人のような白い布をゆったりと巻きつけ、どこか神々しさを放っていた。胸元が大きくはだけ、不必要に色気を振りまいている。太一はいろんな意味でドキドキしていた。  一応部屋の利用申請はとったものの、もしヒマな大学生がうっかり入ってきてしまったら・・・どう言い訳をしても最悪なケースしか浮かばない。  太一は折りたたみ式のイーゼルを組み立てながら、祈るような気持ちでセッティングをしていた。 「体勢きついだろうから、30分に一回くらいで休憩入れるな」  円加さんが片手をひらひらと振る。  あの後、島さんたちから破格のバイト料を提示され、あっという間に広告の仕事を引き受けてしまった太一。  いざちゃんと円加さんを描くとなると、肩に変な力が入った。ぎこちない動きで画用紙に向き合う姿を、美しい二つの瞳が興味深げに観察している。 ・・・集中!  頬をばちんと張り、気持ちをリセットする。 「それじゃあ、よろしくお願いします」  鉛筆を握り、線を入れ始めると、すぐにモードが切り替わった。横たわる円加さんを見ながら構図を定め、少しずつ輪郭(りんかく)を入れていく。最初は円加さんと視線がぶつかるたびに緊張していたけれど、集中し始めてからは、何も気にならなくなった。画用紙の上の濃淡が深くなっていく。  目の前の実体を持った円加さんが、平面に写し取られていくみたいだった。  ちゃんと人物を描くのは初めてだった。これまでは描きたいと思う相手もいなかったけれど、円加さんは、なぜだか描いていてとても心が踊る。  これ以上ないほどに美しいものを、美しいと感じたままに表現することが楽しい。自分の中で再構成されていく円加さんを、なんとか現実のものに近づけようと夢中になった。  円加さんは、描き始める時はポツポツと太一に話しかけてきていたけれど、太一が”静かに”というように人差し指を口元に当てると、意外そうに目を見開いて、そのまま黙ってしまった。  のめり込んで描いていたものだから、講義が終わる合図のチャイムが聞こえてきた時は飛び上がるほど驚いた。 「あーあ。時間きちまったな」 「あ・・・れ?うそ」  スマホを見ると、どうやらタイマーをセットし忘れたらしい。描き始めてからきっかり90分が経っていた。 「うわっごめん!ちゃんと休憩入れるつもりだったのに」 「いいよ別に。面白いもん見れたし・・・あ、やべ」  ずっと同じポーズをキープしてくれていたから、体が(しび)れて固まってしまったらしい。起き上がろうとして、円加さんが顔を(ゆが)める。太一は(あわ)てて駆け寄った。 「大丈夫?この後空きコマだから、ゆっくりでいいよ」 「はは、真っ黒じゃん」  差し出した太一の手を見て、円加さんが笑った。太一の顔が青ざめる。 「ちょっと洗ってくるわ」 「いらねえ」  炭で汚れた手を、円加さんがためらいなく握った。そのまま首に両手を回される。背中を支えるようにして円加さんを起こしていくと、衣装まで黒く汚れてしまった。 「それ。次までに洗っておくから」 「気にすんな。それよりも・・・いいな、あんた」 「いいって何が?」 「描いてる時の顔だよ。今まで見た中で、一番マシなツラしてた」 「それって、今までがひどかっただけじゃない?シチェーション的に」  太一が(あき)れた声でいうと、円加さんがくしゃっと太一の頭を()でる。形のよい口元が(ほころ)んだ。 「そんなことねえよ。昴に(あえ)がされてた顔よりも数倍いい。すげえ興奮した」    太一の顔が真っ赤に染まる。 「それと比べんなよ!」  円加さんは涙を浮かべて笑っていた。  
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