94人が本棚に入れています
本棚に追加
**
学生会館の一階にある受付にて、空き教室の利用申請書を提出する。手続きを終わらせると、後ろで待っていた円加さんに声をかけた。
「んじゃ、いくか」
円加さんがあくびを嚙み殺しながら答えた。あれから3回くらい、こうして会ってデッサンを進めているけれど、描くのが遅いせいで仕上がりまではもう少しかかりそうだった。
「眠そう、円加さん。昨日もバイト?」
「バイトっつうか、インターンが入っていろいろと時間が足りねえの」
「インターン・・・?もう始めてんの?」
円加さんがコクリと頷く。
「松木んとこのアパレルでな」
まじかよ。意識高え。
太一は三年だけれど、まだ何もしていなかった。急に心臓がキュッと縮こまる。
「円加さんみたいな人は、すぐに就職先見つかるんだろうな」
「俺、就職しねえよ?」
さらりと言われる。
「まじ?」
「まじ。インターンは、松木に誘われたんだよ。まあ業界のこと知れるし、勉強みたいなもん」
「就職しないなら、何の勉強になるんだよ?」
思わず突っ込んでしまった。円加さんは気にした様子もなく、クールな顔で淡々と答える。
「起業の。自分のブランド持つつもりだから」
「・・・まじ?」
「まじ」
何だこのやり取りは、そう言って小突かれる。びっくりした。そんなことを考えていたなんて。
「ブランドって何の」
「あ?アンダーウェア(下着)に決まってんだろ」
「わあ。すげえ円加さんっぽいわ」
円加さんが片頬を吊り上げる。この凶悪な笑みは、嬉しい時の顔だとわかってきた。モデルのくせに、演技じゃなくてストレートに感情を表現する時は表情の作り方が下手すぎる。これは教えてあげた方がいいんだろうか。
「円加社長かあ。円加さんが履いて宣伝するだけで、飛ぶように売れそうな気がする」
「ったりめえだろ。でも、本当は俺デザインがしてえんだよな」
「まじで?!」
「うっせえ!いちいち驚くなよ!」
円加さんに頼み込んで、これまで自分で考えたというアイデアのストックを見せてもらった。スケッチブックをパラパラとめくっていくと、何やらまだらに塗りつぶされた楕円形のイラストや、どこが下着の部分かわからないページがちらほらと現れる。
耐えられなくなって、太一は吹き出した。口元を押さえているが、こみ上げてくる笑いが止まらない。
「円加さん。絵、下手すぎ。・・・ごめ、意外で、ちょっと、あはははは!」
「お前が見せろっつったんだろ!言われなくてもわかってんだよ!」
「は、ねえもしかして、だから転部してきたの?こっちの学部にくれば、美術のコースを専攻できるから」
円加さんは気まずそうに頷く。耳がうっすら赤くなっていた。まじかよ。面白すぎる。恨みのこもった目をして、円加さんが振り返った。あれ、からかいすぎたかな。
「こんなんだから、今はまだちゃんとイラストでイメージを伝えることができねえんだよ。お前はずるいぞ。描けるからって、マウント取ったと思うなよ」
捨て台詞まで面白すぎて、太一は再び笑ってしまう。
「思ってねえって。なら僕が代わりに描いてやろうか」
円加さんが舌を出す。
「いらねー。お前は俺の頭ん中、覗けねえだろ」
「まあそうだけどさ、こう、ジェスチャーとかで伝えてくれれば」
「あれ、太一?」
声のした方を向くと、渉がひとり、ホワイエに置かれたソファに座っていた。
最初のコメントを投稿しよう!