猫と綺羅星

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 思考が停止する。黄色い歓声に混じって、あちこちでシャッターの切られる音。戸惑う太一に、円加さんは呆れた声で(ささや)いた。 「ばあか。こんなもん適当に流しときゃいいんだよ」  いや、そうなんだけど。それはわかっているけど。・・・ならハグとかで良くない?  動揺を止められない太一。円加さんは何処吹く風といった表情。いやいやいや。ちょっと待って。なんで僕の方が振り回されそうになってんの。 「おーい、皆!受付済ませたから荷物運んじゃってー!」  バスの入り口から渉の声がした。相変わらずの無邪気な声。千紗がちらりと太一の方を振り向いた。はっと我に返って、血の気が引いていく。  あいつ・・・!  千紗が天真爛漫といった笑顔でスマホ片手に渉に近寄る。 「ねえ渉ー!見てこれ」 「何?ていうか千紗、部屋割り配っ・・・」 「この二人、可愛くない?」    渉は一瞬、無表情で固まった。が、すぐにいつもの笑顔を見せ、 「おいおい太一、浮気かよ」 「違っ!それは皆が(あお)ったからで」 「ははは!わかってるよ、冗談だって」  快活に響く笑い声で、太一と渉の間に(ただよ)う微妙な空気が(おお)われていくようだった。バスにいる誰もが、このぎこちなさに気がついていない。唯一円加さんだけが、 「何このうすら寒い感じ」  と小声で(つぶや)いただけだった。続々と学生たちがバスを降りる中で、突然円加さんに手をぎゅっと握られる。びっくりして、思わず円加さんの顔を凝視した。 「なあ、太一」  円加さんは前を向いたまま、いつもの凜とした声で言った。 「こういうの全然俺らしくないんだけどさ、ちょっとお節介焼いてみたくなった」 「お節介?」  話の方向が見えず、太一は固まったまま続きを待った。 「お前らまどろっこしいんだよ。ちゃんと互いに向き合わねえでグダグダと。悪いけど、引っ()き回させてもらうわ」 「へ?・・・それってどういう」 「俺を恨むなよ、太一」  円加さんが一層強く手を握り込んだ。嫌な予感がして身を引こうとすると、円加さんは窓に手をついて、逃げ場のない太一を更に追い込む。  この後、何が起こるか予想はできた。できていたのに、美しい瞳にまっすぐ射すくめられ、金縛りにあったように視線が逸らせない。声も出せない。ただ黙って、スローモーションのように近づいていくる彫刻のように美しい男を、じっと眺めているしかできなかった。円加さんの瞳がうっすらと細められ、長く繊細なまつ毛が瞳に影を落とす。 「まど、かさ・・・」  長い指が、太一の首に絡みつく。狙いすましたようなその動作に、冷静さが奪われていく。  視界も、触れられた肌の感触も、思考も、全てが円加さんでいっぱいになった。意識の全てを支配されたところで、ゆっくりと唇を(ふさ)がれる。呼吸の仕方を忘れそうになった。  円加さんの薄い唇が、引き結ばれた太一の唇全体を舐めるように包んだ。一瞬のことだった。すぐに拘束(こうこく)()かれ、唇は離れる。 「・・・何なの、本当に」 「渉を(あお)ってみようと思って。お前だって、今の関係を続けたいわけじゃないんだろ?あいつに嫉妬させて、もっと太一を意識させんだよ」    太一の心臓が跳ねる。円加さんの瞳は力強くて、光を放っているみたいだった。 「・・・嫉妬、しなかったらどうすんの?僕のダメージが増えて終わるだけじゃん」 「その時は、俺があんたを(なぐさ)めてやるよ。昴なんかよりも、もっと、ずっと全力で甘やかしてやる」 「・・・なんでそこで昴さんが出てくるんだよ。(なぐさ)めるって、変な意味にとっちゃうだろ」  円加さんは黙って、自信たっぷりに微笑んだだけだった。  ・・・おい否定しろよ。ますます変に意識しちゃうじゃん。 「頼むから、僕を振り回すなよ」  (かす)れた声で絞り出すように言うと、円加さんが吹き出す。その時、どこからか視線を感じた。ふと窓の外に目を向けると、すぐそばで渉が同期たちと談笑しているのが見えた。  ・・・見られていた?まさかな。  重い腰をあげ、円加さんと二人でバスを降りる。合宿はまだ始まったばかりなのに、すでに太一の心は色々な感情でパンクしそうになっていた。
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