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・・・円加さん、渉が見てたことに気づいてたんだ。
今から渉に怒られるのだろうか。それとも嫌われ、別れでも告げられるのだろうか。人を試すようなことをして自業自得だとは思うけれど、最悪のケースを想像すればするほど、太一の中に怒りがわいてくる。
・・・僕を責めるのか。自分だって、散々千紗や別の女と、好き放題していたくせに。
自然と、拳を強く握り込んだ。
「円加のことが、好きなのか」
長い付き合いなのに、初めて聞くような真剣な声だった。いつもの無邪気な笑みは消えていて、顔が硬く強張っている。頬がピクピクと震えていた。
「おま、何言って・・・」
「だとしても、嫌だ。別れたくない」
渉の顔は青ざめていた。驚きすぎて、太一は瞬きを忘れた。
「・・・渉?」
まるで、初めて喧嘩をしたあの日にタイムスリップしたような空気。
「教えてくれ。俺のことはもう嫌いになったのか?」
「落ち着けって。何でそうなるんだよ」
渉が苦しそうな顔をする。
「太一、円加といるときはすごいリラックスしているように見えたから。・・・俺は、ずっとお前に無理させてきたし」
心臓がドクンと強く脈打った。
ずっと避けてきたことに、まさかこのタイミングで向き合うことになるとは思わなかった。
「何でそう思ったの」
「・・・太一を置いて店を出ちまったこと、ずっと気になってて。この前、一人であの店に行ってみたんだ。そこであのオーナーさんと、話をした」
「オーナーって、昴さん?」
渉は頷く。どんなことを話したのか、具体的なことは何も言わなかったけれど、大体想像はついた。
「・・・僕は、自分と渉が根本的に違うってわかってたから、いいんだよ」
「でもこのままだとお前、円加を好きになるだろ。そんな気がする。・・・そんなの嫌だ。俺はずっと、太一の一番でいたいんだ」
身勝手なやつだと思った。心臓が痛い。痛すぎて、自分が今喜んでいるのか、苛立っているのか、よくわからなかった。
渉が太一に近寄り、そっと両手が回される。こんな風に抱きしめられたのも、これが初めてだった。頭が追いついていかない。どうなっているんだ。急に、こんな。
「今夜、飲み会を途中で抜けて、太一の部屋に行く。まだ俺のことを好きなら、拒まないでほしい」
「僕を抱く気なの」
「・・・ダメか?」
「やめとけよ。どうせお前にはできないから」
渉は少しだけ体を離し、太一の顔に手を添える。そのまま唇が重なった。時間が止まる。よく歯を見せて笑う渉は、太一よりも唇が大きく、触れ合うだけのシンプルなキスなのに、まるで食べられているみたいだった。
ゆっくりと唇が離れ、渉が照れたようにはにかむ。
「キスは、思っていたより、というか全然平気みたいだ。・・・どんなことでも、試してみなくちゃわからないな」
呼吸が乱れる。体が熱い。胸がズキズキと痛くて、泣きたい気分になった。
そのまま二人は、手を繋いで来た道を戻った。ゴール地点で待ち構えていたメンバーたちは、二人を視界に入れると大げさに騒ぎ倒した。千紗が、恨みのこもった瞳を太一に向ける。体がふわふわとしていて、今は何も気にならなかった。後ろの方で、円加さんが腕組みをしながら立っている。隣には、円加さんを指名した女子が恥ずかしそうに俯いていた。円加さんは目があうと、安心したような、それでいてどこか寂しそうな笑顔を見せた。心が握り潰されたかのように痛む。まともに笑顔を返せなかった。自分の内側がざわつく。
・・・僕は何をしているんだろう。
そんな思いを塗りつぶすように、太一は自分は今最高に幸せなんだと言い聞かせた。
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