猫と綺羅星

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**  波乱ばかりの新歓合宿から二週間が過ぎた頃、太一は円加さんと一緒にBlack Veilを訪れていた。テーブル席には松木さんと島さんが、太一が描き上げたデッサンを静かに眺めている。  絵の途中経過はデータで送っていたものの、いざ対面で鑑賞されると信じられないくらいに緊張した。  松木さんが銀フレームの眼鏡を外し、眉間をぐりぐりとマッサージする。ふっと肩の力を抜き、太一と目があうと、にっこりと笑ってウインクした。 「いいじゃない。繊細なタッチで描きこまれているのに、円加ちゃんの迫力ある美貌がそのまま表現されてる」 「まさに男神(ヴィーナス)って感じだね」  島さんが、もっさりとした頭を振りながら、楽しげに鼻歌を歌っている。よかった、OKがもらえて。胸をなでおろすと、横に座っていた円加さんがクスリと笑って、太一のこめかみにキスをした。 「ほらな。心配すんなって言っただろ」  その男神(ヴィーナス)の甘い口づけに、太一の頬が真っ赤に染まる。松木さんと島さんが口をあんぐり開けて固まり、昴さんはひたすらニヤニヤとこちらを見ていた。 「この二人、付き合い始めたんだって」 「そ、んな・・・僕たちの男神(ヴィーナス)が・・・」  島さんはショックを受けた顔をする。松木さんが肩をポンと叩いた。    太一と円加さんが初めて体を繋いだ翌朝、体調が悪いからと二人で先に東京に戻った。駅までのタクシーを待っている間、見送りにきた渉に、太一の方から別れようと告げた。 「嫌だ。別れたくないって言っただろ」  渉が泣きながら太一に詰め寄る。 「渉はさ、女の子を好きになれるんだから、ちゃんと彼女を作りなよ」 「なんでそういう話になるんだよ!俺は太一の一番でいたいんだってば。絶対別れねえから」 「もう僕が限界なんだよ。それに、昨日僕を抱けなかったじゃないか」  渉が苛立ったように声を荒らげる。 「抱けなかったんじゃねえよ。抱き方がわからなかったんだ!!!」  驚いて、太一は少し言葉に詰まる。 「そんな、明らかに躊躇(ためら)ってたじゃん」 「あの後どうするか考えてたんだよ。ちょっと動きが止まったくらいで、勘違いしてんなよ!俺はあの時、ちゃんと太一を抱きたかったんだ」  円加さんが太一の腕を掴む。相変わらずの無表情だったけれど、瞳には不安そうな色が浮かんでいた。渉は目の前でボロボロと涙を溢している。肩が震えているのを見て、心がチクリと痛んだ。もしかしたら、渉は本心で言っているのかもしれない。だったら悪いことをした。  それでも、自分でもびっくりするくらい、別れることに未練はなかった。円加さんの手を上からそっと包み込む。 「渉、ごめんね。・・・もっと早くこうして話せていたらよかったのにね」  帰りのタクシーで、円加さんが口を開く。太一のスマホが手の中で振動し続けていた。渉がずっと電話をかけてきていたからだ。 「本当に別れてよかったのか。やり直せたかもしれないのに」 「うん。これでいいんだって」 「・・・俺に同情してんなら、必要ねえよ。正直に言ってみろ」 「じゃあ正直に言うけどさ。・・・円加さん、僕と付き合ってくれない」  円加さんは目をパチクリさせた。しばらく絶句したのち、呆れたように笑い出す。 「今言うのかよ」 「悪いかよ。で、返事は」 「いいけど、太一こそ本当にいいんだな?」 「しつこいな、もう」  円加さんの首に手をかけ、そのまま引き寄せる。チュッと軽いリップ音をたて、円加さんの唇を優しく吸った。 「TPOを考えねえのは、お前も同じだな」  可笑しそうに顔を(ほころ)ばせる姿を見て、今自分は最高に幸せだと思った。ちらりと前を伺うと、タクシーの運転手さんが、一言も口を挟まず運転に集中している。気まずいよね、ごめんなさい。でも、少しだけ許してほしい。  タクシーから降りてもずっと手を繋いだまま、他愛もない話で盛り上がりつつ、二人でのんびり東京へ帰った。    道中、太一が幸せを噛み締めている間も、ポケットに突っ込んだスマホはひっそりと鳴り続けていた。
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