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その日、遅刻の常習犯だった彼は珍しく時間よりも早く待ち合わせ場所に到着していた。
まるでこれで最後だと、彼も自分に言い聞かせているようだった。
最後の一日はあっという間に過ぎ、すぐに帰る時間になった。
「……なんかあった?」
街を歩いている時、珍しく車道側を歩く彼は心配そうな目で私を見て言った。
彼と視線が絡む。その瞳は私の全てを見透かすようにどこまでも澄み切っていて、まるでその瞳に吸い込まれてしまうような気がした。
「なんで?」
慌てて目をそらすと、彼は「うーん、なんとなく?」と優しい声で笑う。
もう本当に嫌になる。どうしてこんなに察しがいいのだろう?
だけど本当のことを言ったところで、彼にはどうすることも出来ないし、どうにかしようと自分の内定を蹴ったり、私に着いてくるよう勧めるたりするような彼は私の好きな彼ではないのだ。
「大丈夫、なんでもないよ」
「そっか、ならいいんだけど」
こんな幼い強がり、彼はきっと気づいているだろう。
気付かないふりをしてくれる彼の優しさが痛かった。
「……またね」
バス停に着いて私がバスに乗る直前、彼はいつも通りの言葉を口にした。
「……じゃあね」
私はいつもとは違う言葉を返す。
「……大丈夫だよ、またすぐ会える気がする」
彼はそう言って私の頭を撫でた。
「うん……」
ばか、泣いちゃうじゃん。
でも彼の前で泣くわけにはいかない。
「またね!」
私はそんな嘘を口にして、バスに乗り込む。彼は安心したように微笑んで手を振ると、駅の方へ歩いていった。
『そうなんだ、頑張ってね!』
『……なんとかなるよ』
『大丈夫、なんでもないよ』
私のついた嘘を反芻しながら、蝋人形のようにうなだれてバスに揺られる。
『俺らなら大丈夫だよ』
『またね』
『……またすぐ会える気がする』
彼のついた嘘を口の中で転がしながら、溢れそうになる涙を必死に堪える。
その時、バッグの中でスマホが振動した。
彼からのメッセージだった。
『今日はありがとう! すっごい楽しかったよ! また出かけようね! 春からは遠距離になっちゃうけど、俺の気持ちは変わらないよ。ずっと大好き!』
画面にはそんな文字が並んでいる。
『こちらこそありがとう! 私も楽しかった! 私たちならきっと大丈夫だよね! 私もずっと大好きだよ!』
そう返信して、スマホの画面を閉じる。
「ほんとにもう……嘘ばっかり」
堪えきれなくなった涙が、スマホを持つ手の甲に零れ落ちた。
[完]
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