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並んで道を歩く。いつもなら彼が唐突に「可愛い」と髪をわしゃわしゃ撫でてきて、髪型が崩れた私が「もう」と怒って、だけど素直に「ごめん」と謝ってくる彼がおかしくて、笑いだしてしまった私につられて彼も笑って……そんなふうに会話と笑いが絶えないはずなのに。
今日は合わない歩調の靴音だけが、この空間を揺らしている。
感染症が流行りだしてからは遠出も出来なくなったから、歩くのは地元の駅前。これはいつも通り。
手が触れそうで触れない微妙な距離も、何故か私が車道側を歩いているのも、歩くスピードは何故か私が無理をして合わせているのもいつも通り。
ただ違うのは、隣を歩く彼を見上げても目が合わないこと。2人の視線が絡むことがないから、彼が「可愛い」と目を細めて笑うこともないし、髪を撫でることもない。
「……ねぇ」
なんだか重苦しい空気の中、先に口を開いたのは彼だった。
「なに?」
「……今日、遅れてごめんね」
そう言われて今日初めて彼と目が合った。
「……今!?」
思わず思ったままを口にしてしまう。
「ごめん……」
彼はバツが悪そうに目を逸らした。
「別に怒ってないし。いいよ」
いいよ、今ここにいてくれるだけで……。
出来ることならずっとこのまま、遠くへなんて行かないで……。
「ありがとう……可愛い」
彼はいつものように優しく笑うと、髪を撫でる。
だけど私の心はまだどこか曇っていた。
それどころか彼はあと何回、私の髪を撫でてくれるだろうかと思うと、なんだか泣きたくなってしまった。
いつものように「もう」と怒る気にもなれなくて、彼の腕に自分の腕を絡ませて彼を見上げる。
彼は一瞬驚いたようにもともと大きな目をさらに見開いたけれど、すぐに「どうしたの?」とその目を細めて笑った。
私が「嫌?」と聞くと彼は「ううん、むしろ嬉しい」と答える。
「じゃあこのままで」
彼との身長差が大きい分、目を合わせるのにお互いがお互いを見ようとしなければならなくなる。
私は泣きそうな顔を隠すため、あえて彼を見ないように前だけを見て歩いた。
その日はいつものように「またね」と言って別れた。
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