それが私の幼年期の終わりだった。

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 あのかくれんぼの夜、悪魔と契約を交わした私は、そのあと何事もなかったかのように姉妹たちのもとに帰った。  家庭教師のディートリンデは、私を見つけるや否や駆け寄ってきて、かなり痛い平手打ちをくれた。そのあと私を抱きしめ、長いこと放してくれなかった。  ブリュンヒルデは私の無事が確認できて安心したのか、コンスタンツェのとなりで泣き出しそうな顔をしていた。コンスタンツェは私が平然としていることが不満なようだった。  私は影を失い、悪魔が私の影となったわけだが、それ以後とくべつなことは何も起こらなかった。とつぜん人の生き血を吸いたくなったりだとか、悪魔が頭の中で話しかけてくるとか、そんな昔話にでてくるような異常を経験することはなかった。私はそれまでどおりの生活を続けた。しばらくの間は。  異常とも呼べない些細なことは、たまに起こった。  大事にしていた陶器製の人形がどこかに行ってしまい、一日中探し続けたあげく疲れて眠ってしまったあとで、目が醒めたらその子が腕の中にあっただとか。  エリーゼの飼っていた猫が井戸におちてしまい、大人たちも集まってどうにか助けようとしたけれど手段がなく、結局あきらめて解散したという話を聞いた翌朝、なぜかその猫が私の部屋にいたりだとか。    ゴーメンガーストはいたるところで魔法が働いている。だから、その程度の不思議は日常茶飯事で、誰も原因を追求したりはしない。  アーデルハイトには守護天使がついているだとか、いや悪魔にちがいないとか、そんな詮索もない。  だが私は、私だけは、その背後に働く力に気づき、理解しようとしていた。     それは私が眠っている間に起こる。私が寝入るときに心に案じていたことが、朝になると解決する。いつ、どんな力が、どのように働いてそうなるのか、それは私にはわからないし、他の誰かに気づかれることもない。  不便なことといえば、神父と話すのが億劫なことぐらい。聖体拝領で舌の上に乗せられたパンを、こっそりあとで吐き出さなければならないことくらい。    これは便利だ。私は無邪気にそう思うようになった。あのかくれんぼの夜の恐ろしい記憶を、私は次第に忘れていった。私の影を奪い、私の新たな影となって、常に私につきまとい、私と同衾している存在が、悪魔以外の何者でもないことも、そうして私は気にしなくなっていくのである。    
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