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橋の上で
急に吹いた風が、手にしていた空のコーヒー缶を弾く。鉄製の陸橋に、転がるアルミの音が異様に大きく響いた。
しばらく無視をしていたが、煩さに耐えられなくなった俺は、仕方なく空き缶を追いかけた。何とか追い付き拾い上げると同時に、橋の下を本日最後の特急電車が走り抜ける。
「あぁ、行っちゃった」
気の抜けた、情けない声が思わず漏れた。
あの特急が通るタイミングで、俺はこの橋から飛び降りる予定だったのだ。
遠くへ消え行く電車を眺めながら、頭を掠めたのは迎えるつもりの無かった明日の生活。何も考えられず、ただ呆然と線路を眺めていると背後から女性の声がした。
「あの、これ落としましたよ」
振り返るとそこには細長い紙を握った、学生服姿の少女が立っていた。
「え……?」
紙の正体はレシートだった。さっきの缶コーヒーのものだろうか。
正直そんなものを渡されても。そう感じた俺の本音が顔に出ていたようだ。
「いらないもの、でしたかね」
少女がすまなそうに肩を竦める。
「あ、いや、そんなことは……ありがとう」
その姿に断るのが申し訳なくなり、俺は仕方なくレシートを受けとることにした。
「すみません。なんか縁起のいいレシートだったから、大事なものだと思って」
「縁起?」
レシートの内容を確認すると、支払いに使った電子マネーの残高が777円だった。
「こんなに残ってたんだ」
「そこですか……」
数字より、思った以上に所持金があったことを驚く俺に、少女は少し呆れていた。
「悪いね。おじさんは明日どう生きるかで必死なんだよ」
ここで死ぬつもりだったから、という言葉は飲み込んだ。
そんな俺の事情など知らない少女は、それだったらと嬉しそうに話し出した。
「そのレシート、クーポンついてますよ」
少女に言われ、改めて見てみると一番下に「当たり」と「商品引換券」の文字。コンビニのチキンが無料でもらえるようだ。
これと残りの所持金なら、1日くらいは過ごせるかもしれない。
「ああ、なんか食べたくなってきた。ここのチキン美味しいんですよ」
どんな味なのだろう。少女の顔は本当に食べているみたいに幸せそうだ。
そんな少女を見ていると、さっきまでの思い詰めていた気持ちが消えている自分に気がついた。
ただのレシートといい、食べてもないチキンといい、そもそも自分のことですらない。そんな些細なことに喜びを感じることのできる少女から、その幸せを分けてもらったような気分だった。
「それ、引き換え期間今日までですよ。急がないと」
「あ、ああ。そうなのか」
急かすような少女の声に、俺の身体が自然と階段の方へ向かう。2、3歩進み、ここに来た本当の理由をふと思い出す。
飛び降りるには、くだらない理由だったなと思った。だってこんな紙切れひとつで気持ちがひっくり返ってしまったのだから。
暗闇を引き立てていると思っていた陸橋のライトも、いまでは暖かく見守っているように見える。
「大丈夫ですか?」
立ち止まった俺に、少女の不安そうな声が降ってきた。俺を前向きにさせてくれた彼女を心配させるのは、なんだか悪い気がした。
「大丈夫。ありがとう」
自然と口をついた感謝の気持ちに、自分でも驚く。しかし少女はそれ以上の驚きと、戸惑いの入り交じった顔をしていた。
「お礼なら、さっき言ってくれましたよ」
彼女は拾ったレシートのお礼だと思っているようだ。引き換え期限まであと30分を切っていた。間に合うだろうか。売り切れてないだろうか。そんなことを考えながら俺は陸橋を下りるのだった。
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