僕を産んでくれてありがとうとは思わない

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 僕にはママがいない。  産まれたときからいなかったわけではなく、僕が生後二ヶ月くらいのときに病気で死んでしまったらしい。  こう説明すると僕を産んだせいで死んだように思われるかもしれないが、重病だったので最初からある程度余命が決まっていたのだという。決まっていたとはいっても、僕を産んだことで余命が短くなったのは確かなので、やっぱり僕のせいだともいえるけれど。  どこかの三文小説に登場する悲劇のヒロインのように、僕のせいでママが死んでしまった、という罪に苛まれて生きてきたわけではない。とりわけ罪を感じたことはなかった。産みたくなければ産まなきゃいいし、そもそも妊娠しなければいいだけの話だ。僕に責任は全くない。  この世に産み落とされてからのママの記憶はない。しかし胎内の記憶は微かだが残っていた。普通なら二歳までに胎内の記憶はなくなるらしいが、逆をいえば二歳までは記憶が残っていてもおかしくないということだ。  僕は小学生になった今でも記憶に残っている。忘れた記憶も多い気はするが、何を忘れたのかはもう覚えてはいなかった。人はこうやって知らず知らずのうちに記憶を失って生きている。失った記憶に新しい記憶を植え込む作業。  ママの胎内はふかふかの毛布にくるまれているように温かかった。目は開けても閉じても真っ暗なので、ほとんど目をつぶっていたように記憶する。  一番記憶にあるのはママの優しい声……ではなく、ヒステリックな叫び声だった。知らなかったが、妊娠中とは情緒不安定になりがちで、苛つくことも多いらしい。だからそのときは、何でいつも怒っているのだろうか、もしかして僕のママはどこかおかしいのではないのだろうか、とただただ不思議に思っていた。  「仕事で疲れているのかも」とか、「そういう性格なのかも」とか何かと理由をつけて、ママはただのヒステリックではない、ちゃんとした理由があるんだと、自分が納得できるように勝手に解釈していたような気もする。  
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