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「いや、そんな筈はない」と側近は即座に否定する。「仕方ないだと? もう一度言ってみろ。お前の脳髄を貪り尽くすぞ」
「いや、それは構わないけれど……だってそうでしょ? 元々の厳しい環境に加えて、魔王城の近くに村があるんだ。村人達が疲弊して、仕事の遅い僕を恨むことは当然だと思う」
「それはお前自身の気の持ちようだ。あの少女はどうなる」
「どうなるって……そりゃ、酷い目に遭うとしたら、僕の所為だよ。あんまり疲れていたから、つい、彼女の厚意に甘えてしまった。それで彼女が傷つくのだとしたら、責任は全部僕にあるから、人間に絶望する理由にはなりえない。いや寧ろ、彼女をそんな立場にしてしまったのだから、早急に君達を倒さなきゃ、ケジメがつかないよ。彼女に悪い」
最前のギラギラした様子とは違い、勇者の表情は酷く乾いていた。突然の豹変に、魔王と側近は顔を見合わせ、揃って目を丸くしている。
「おかしいでしょう?」と側近。
「なるほど」と魔王。
そんな二人を見かねてか、勇者が「これで終わりかっ!」とまた声を張り上げた。立ち振る舞いも戻って、瞳は熱意に燃えている。「気持ち悪い奴だなぁ」と側近が素直な感想を漏らした。
「非常に気持ちが悪い。奴の精神構造が知れませんよ」
対象の記憶を以って精神攻撃とするのだから、勿論、側近は勇者の記憶を読んでいる。とは言え、それはあくまで記憶。こびり付いた印象からある程度は勇者の考えもトレースできるが、その底にあるものはてんで分からない。側近が気味悪がるのも、そういうことだった。
「強がりだろうか」と魔王が素朴な疑問を漏らす。
「まぁ、そうかもしれません。だとすれば、少し……いえ、大分ガタがきてるようですね」
「うむ。少々心配だな」
きっと私達の所為ですけど、とは側近は言わない。元は同族たる人間を傷つけていることに対して、魔王がウダウダ悩むのに辟易しているからだ。それを誤魔化し誤魔化し生きている魔王の精神も、余程ガタがきているというものだった。
「よし、それではもう少し遡って話をしよう」
「斜陽の町でのことか!」
「いや、その四つ前。暗雲の町でのことだ。この頃はお前にも一人だけ仲間がいたな。故郷に恋人を残し、お前の旅に加わった、正義感の強い戦士だ。いい奴だったよ。正しい心と、正義を成すに足る力を持っていた。勇者に相応しいとしたら、本当はああいう男なんだろうな」
「そんなことは知っている! それがどうした!」
「だがそんな男だからこそ、彼はお前との旅に心底疲れていた。当時は気力だけで動いていたんだろう。そして町に魔物が攻めてきた時には、彼は誰よりも必死に戦った」
「あぁ、そうだ! 勇敢な男だったからな!」
「で、死んだ。お前が兵士を守りながら戦い、たかが飛竜に手こずっている間に、首領の魔術師と相討ちになった。凄惨な戦いだったようで、死体も残らなかった」
話がこの形で発展することは分かっていたろうに、ほんの一瞬、勇者が歯軋りをした。魔王も側近も、それには気がつかなかったが。
「そうさ! でもその死を乗り越えて、俺はここにいる!」
「ただ、事実は歪められた。兵士達の士気高揚のため、また、町民を安心させるため、首領の首を取ったのは一人の兵士の功績として伝えられた。お前の活躍も殆どなかったことになったが、それは大した問題ではない。兵士の格を高めるべく、戦士は魔術師に手も足も出せず殺されたことになった。葬式が執り行われ、その場ではお前以外の皆が泣き暮れたが、真実を知っている者はお前以外にいなかった」
やや芝居がかった語調ではあったが、勇者の心を揺さぶるには有効だろうと側近は思った。事実、勇者は剣を持っていない左の拳を握り締め、沈黙を守っている。
側近が魔王に目配せをして、続きを述べるように勧めた。この後、魔王が勧誘に入るのが、お決まりのパターンなのだ。
だが、魔王が何か言う前に、勇者が小声で何か呟いた。「変わらないよ」と言っているらしかった。「あちゃあ」と側近は漏らす。
「事実がどうとか、関係ないよ。重要なのはあいつが、いや、つまりあの戦士が死んだことで、それは確かに、防げた筈だったってこと。僕がもっと強ければ、兵士達に気を遣いながらだって十分に戦えたろうし。だとしたら、悪いのって僕でしょう?」
「いや、それはまぁそうかもしれないが……」と側近が呆れ顔で言う。想定の範囲内ではあったが、二度目の厄介な擁護フェイズには彼もぐったりきてしまった。
「そもそも僕達の役割は人類の希望であって、なればこそ如何様に利用されようとも、文句は言えないよ。戦士に聞いたって、そう言うと思うけど」
「では」と口を挟んだのは魔王だった。勇者が少し眉をひそめる。「戦士の死を報せられる恋人のことは考えたことがあるか? せめて真実を伝えてやりたいとは微塵も思わないと?」
「別に。彼女にとったって、影響を及ぼすのは揺るがない事実だけだろうし。もう戻らないという情報が開示されたなら、それで十分……いや、ちょっと合理的過ぎるかな。確かに彼女には悪いかも」
「多分そう」
横に魔王がいることも忘れて、側近が短く告げた。「分かってるじゃないか」と魔王も平易な感想を述べる。
そうして魔王達が台詞を失ったと見るや、勇者は再び語気を荒げて「こんなものか!」と変わり映えのない挑発をした。魔王がちらと側近を見ると、こちらは先より幾分か気まずそうに首を振った。こんなものではないらしい。
魔王は「面倒だなぁ」と、かつて人間だった時の口癖をこぼす。どうやら長くなりそうだと、二人にも徐々に分かり始めてきていた。
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