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懐中電灯で照らしながら、ぼくは闇の中へ一歩踏み出す。正確には真っ暗闇ではなかった。
奥のほうで非常灯がぼうっと緑色の光を放ち、ぼんやりとだけれど受付全体の輪郭が把握できる。不気味な静寂がモルグの中を満たしているだけ。
「モルグって言葉はフランス語が由来らしいな。で、その昔パリではそれが人気の観光名所だったんだと」
どうでもいいうんちくを垂れ流すのは後ろからついてくるダレンだ。
「ただ生きてるだけじゃ見向きもしないくせに、ショッキングな死に方をすりゃ、行列に並んでまでその姿を見たがったそうだ。悪趣味だよな。ま、そう言う俺も大概だが」
「……人間ってみんながそう思うほど良いもんじゃないのかもね」
「かもな。俺も周りの反応は気に食わんが、スナッチャーについて色々と噂を調べるぐらいだ」
ダレンは申し訳なさそうに肩をすくめて、
「人ってのは、安全な場所で後ろめたいものを見るのが好きなんだよ」
ぼくたちは受付を抜けて細長い廊下を進んでいく。一番奥で輝く非常灯が妙に明るく感じた。
「それで、俺なりに犯人について推理してみた」
「ネットの噂をもとにしてか。頼りないホームズだね」
「まあ、聞いてくれよ、ワトスン君ーー犯人の目撃情報が未だにないのは、見つからないじゃなくて見つけられないからだ。つまり、スナッチャーは地上にはいない。下水道を使って街の地下を移動してるんだよ」
「ふーん」
スナッチャーにぼくは興味がなかったので、どや顔のダレンを無視して歩き続ける。
気がつくと、廊下の左右に二つの部屋があった。懐中電灯で周囲を照す。解剖室のようだった。
そこで、ダレンとは別れた。廊下はまだ先に続いている。
「じゃ、俺は奥を探すわ。サツに気づかれる前に終わらせたいだろ」
最後の会話になるとは知らずに。
ああ、とぼくは頷いて一つ目の部屋の中を調べた。真っ暗な部屋の真ん中には二つの解剖台があって、その周囲には様々な医療用の器具が置かれてある。
そして、シャロンの遺体を見つけた。
頭部を切断された身元不明な少女の遺体。
解剖台の一つに全裸のままで乗せられたままだったのだ。ぼくは慌てて駆け寄る。
見間違いじゃない。
左の乳房にある小さなほくろも、華奢な肩も、ふっくらとした太ももも、キュッとしたくびれも、全てシャロンのものだ。顔がなくてもわかる。
なぜ、という言葉が脳裏に浮かぶ。
なぜ、シャロンは殺さなければいけなかったのか。なぜ、スナッチャーは殺す必要があったのか。
なぜ、なぜ、なぜ。
急激に現実感を失っていき、スナッチャーのことしか考えられなくなった。目の前の光景をすぐには受け入れない。
ダレンの悲鳴が聞こえたのはその数分後のことだ。
「う、うわぁぁっ」
ぼくはその声で我を取り戻し、抜け殻みたいにとぼとぼした歩みで声が聞こえた方へ向かう。
着いた時にはすでに遅かった。
ダレンは殺されていた。ぼくの存在に気づいた動く死体たちが、今度はぼくを襲おうとゆっくりした動きで歩み寄り、あるいは這い寄ってきている。
あまりにも現実離れした光景に咄嗟の判断が出来ない。自暴自棄になっていたぼくは、このまま死んでいいとさえ思っていた。
けれど、次の瞬間には死人たちの首が二つ転がっている。
死体を保管する冷凍庫が並ぶ部屋の真ん中で、いつの間にか、黒い影が立っていたのだ。
それは、病的なほど白かったあの老紳士だった。
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