肺気腫

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肺気腫

 私が店に戻ったのはお昼前だった。 「お帰りなさい・・もう病院終わりましたの?」 「あぁ、今日は中止だって言われた、そやから早かったやろ⁉」 「山本寛治さんがお電話下さいと・・それからこれ5丁目の田中さんが買ってくださったんですが夕方5時過ぎに届けて欲しいって。」 「寛治さんって2丁目の・・これが寛治さんの電話番号か?」 そしてこの日は少し早めの8時に店を閉めて自宅に帰った。先生は肺が真っ黒って言ってたが、私の心はきっと灰色になっていたと思う。 「お帰り・・案外早かったんやね。」 「うん・・」 「今日は心臓の検査、ヤルんやったよね・・結果どうやった?」 「検査せんかったんや。」 「えっ病院行けへんかったの?」 「行ったけどタバコ止めやな検査出来んて言われたんや。」 「心臓の検査て難しいんや⁉」 「ワシにはよう分からんけど・・何処の病院もみんな一緒のこと言いやがる。先生ら自分は吸うといて患者には『タバコ止めなさい』ってな!」 「煙草のことで思い出したけど、さっきまでテレビのドキュメント見てたけど肺気腫って怖いんやね⁉」 「何処へ行くにも酸素ボンベ携帯せなあかんねや・・うちのお客さんにもそんな人居てはるんやけど、部屋を移動するのもコマの付いた台車にボンベを乗っけてはったな。」  私は家電の小売業を商っているが商品によっては、お客様宅での設置工事も珍しくはない。 二時間も仕事をしていると、そのご家族の動きでおよその家庭事情が見えてくるものである。私の工事進行を眺めているご主人の鼻の孔には透明のチューブが挿入されていた。そのチューブを辿ると、ご主人の横に置かれている真っ黒なボンベに繋がっているのである。 「ご主人・・大丈夫ですか? なにかお辛そうですね?」 「肺気腫や・・これは酸素ボンベでな、一時も離されへん⁉・・それは大げさやけどな、まぁ鬱陶しいわな。」  このような程度の体験ではあるが肺気腫の状況はおよそ理解していたつもりでいた。 だが家内はこうも言った。 「私やったら、とてもや無いけどあそこまでよう介助せんわ! ホンマ一日中付きっ切りやで。まるで看護師みたいに世話してはったもんな・・」  私は幼いころから母子家庭の弟として育って来た。兄が結婚することで実家には私と母の二人暮らしとなったことがある。 母が体調を崩したといえばたった一人の家族である私が面倒を見るのがごく当たり前のことだった。 病院へ連れて行ったり、家事の手伝いをしたり・・勿論母の不安な気持ちの悩みを訊いてみたり、時には励ましたりしたものである。  だからなのか私が家内と結婚するときも母親と同居することが自然な成り行きであり私には二世帯同居に対しての不安など一ミリも無かったのだ。 結果、母に何かあればこれまでのように私だけでなく家内を始め、二人の子供までが面倒を見るようになっていた。誰が取り決めした訳でもないのに、それが我が家の風潮になっていた気がする。だがそれは私だけのエゴだったのかもしれない。  だが母が亡くなり、二人の子供たちも夫々の新天地で所帯を持ち始めた結果、気づけばいつの間にか私たち夫婦二人きりの生活になっていた。
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