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夫婦って何?
夫婦二人っきりの生活だからこそ声に出して言えたのだろう『私やったら、とてもや無いけどあそこまでよう介助せんわ!』といった家内の言葉で私なりに何かを悟ることになった。
いま私がたちまち誰かに世話になれなければならないような病人でもない。だから家内がいったと思う『・・よう介助せんわ!』の言葉は、あくまでもドキュメンタリーを視聴した限りの感想を率直に表現しただけで、決して将来に亘って私の世話を拒否するなどの深い意味合いは無かったと私は判断したかった。
「ホンマやな・・ワシもいい加減タバコ止めんと、そないになるんかな?」
「そやで、タバコなんて百害あって一利なしって言うやんか⁉ 病院もそない言うてはるこっちゃしこの際止めたらわ⁉」
私は、これを機会に禁煙の努力を始めた。そう、この先私だったがための余計な負担を家内に与えたくなかったからだと思う。それと同時に即実行したことがある。
私は数年前から有る病院で頻尿の薬を処方して貰っている。その飲み薬は朝夕の食後に服用するものだ。
食事の支度は家内も食するということで甘んじていたとしても私の薬のお水、これは私個人だけが必要とするものである。よその旦那なら不要なことである。
と云う理屈を自分なりに発見したあの日から自分の薬の水は自分で用意するようにした。
「どないしたん? なんで薬の水だけ自分で入れるの?・・私じゃアカンの?」
「いや、考えるところがあってな・・」
そうなんだ。結婚することを当時の社会は『嫁を貰った』なんて表現するから勘違いしていただけで、『やった、貰った』とまさか猫や犬の子じゃあるまいし。ただ一つ屋根の下で一緒に暮らすようになっただけなのである。つまりお互いの人格や人権はこれまで通り平等に尊重するべきであって、入籍したからと云って彼女は誰のものでは無いと言うことに気が付いたのである。
だから、基本自分の事は自分でする。こんな事子供の頃に親や先生から教育されていた筈なのに、どうして気づかなかったのだろう。
そうなると、これまでの習慣で家内が無意識に薬のお水を入れてしまった時のリアクションが困ったのである。まさか目の前のコップの水をわざわざ入れ換えるなんて・・そんな失敬なことが出来るはずも無い。そこでつい出てしまった私の言葉がこれである。
「あっ、ありがとう・・」
「ん?・・・」
30年以上も過ごしてきた夫婦だからこそ、今更言えない『ありがとう』が声に出して言うことが出来たのである。
その後は、薬の水だけではない・・なにかをしてもらった時は自然と言葉に出せるようになった『ありがとう。』
勿論、タバコも禁煙出来ました!ありがとう。あの日あのドキュメントの話を訊かなかったら、いまごろは・・
ー完ー
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