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そこを通るたび、気になっていた。
背の高いガラスのビルが並ぶ中、その谷の底に一際低く、時代に忘れられたかのように建っている古いビル。
スパニッシュ様式の水平の屋上から空に向かって伸びているのは、数本の薔薇の枝。
薄紅や黄色のかわいらしい花をこぼれるように含んだ緑の枝は、時折風でゆらゆらとなびいた。
その日も彼女は、そのレトロビルの下を通った。
付き合って3年になる交際相手と一緒に。
「ほら、あれ見て。絶対あの屋上に薔薇園があると思うんだ」
彼女が指差すと、彼はスマホから顔を上げないまま、彼女の言葉を訂正した。
「薔薇園じゃなくて、あの端っこに何本か植わってるだけだろ」
「ううん、きっと屋上全部だよ。でね。アーチとか、お洒落なベンチがあるの」
「いーや。プランター。最悪、植木鉢」
彼は腱鞘炎にならないかと心配になるくらい、指を激しく動かしながら言った。
今日は会ってから、ずっとこうだ。
せっかくのデートだというのにゲームに夢中で、話しかけても、ぞんざいに返事をする。
その返事も、彼女につっかかるような否定の言葉ばかりだった。
付き合い始めた頃は、ずっと私のほうを見てくれたのに。
彼女は小さく溜め息をついて、屋上から伸びている薔薇を見上げる。
薔薇の薄紅が、とても淡くて優しかった。
そのとき、薔薇の枝の横に、顔がひょいと覗く。
白髪の女性だった。八十歳は超えているかもしれない。
老婦人は道路を見下ろし、彼女を見つけると微笑んだ。
ほっとするような笑顔だった。
老婦人は手招きをする。
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