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彼女は慌ててスマホを取り出す。
メッセージが入っていた。彼からだ。
<用事があるから先に帰る。暇だったら僕の部屋に来てもいいよ。>
今日のデートは随分前から約束していたというのに、彼は用事があったのだろうか。それとも、いきなり用事が出来たのか。
そして、彼女が合鍵を使って彼の部屋を訪れても、彼が今日中に帰ってくることはなく、彼女がそこでやることは決まっている。
散らかし放題の部屋を掃除し、たまった洗濯物を洗って干し、買い物に行く。
彼の好きそうな料理を作り、冷蔵庫を缶ビールで満たし、事務的に短いメッセージを置いて、そのまま帰る。
それがいつものパターン。それが『僕の部屋に来てもいいよ』というメッセージの意味だ。
こういうことが、これで一体何十回目になるのだろう。
「さ、どうぞ。そんなに強く握ったら、スマホさんが可哀想よ」
カホコさんは、奥に置いてある薔薇の模様のガーデンテーブルへと彼女を案内した。
テーブルの上には、ティーセットが一式。
白いお皿に乗せられているのは、周囲の薔薇にも負けないくらいの鮮やかな苺が密集したケーキだ。
彼女は勧められるままに、テーブルとお揃いの薔薇模様の椅子に腰かける。
「あなた、いつも悲しそうな顔をして歩いているから。それで、あの薔薇の枝を見上げているから。一度お話ししてみたかったの」
熱いお茶をカップに注ぎながら、カホコさんが言った。
それは淡い色をした、ミントとレモングラスのハーブティーだった。
「え? 悲しそうですか? そう見えます? 今日もラブラブなデート中ですよ」
彼女は明るめに返してみたが、たちまち虚しくなる。
デートは突然、消滅してしまった。
このお茶会が終わったら、彼の部屋に行かねばならない。
掃除をして、買い物に行って――。
彼女はハーブティーを飲み、甘酸っぱい苺を口に押し込む。
「自分にちゃんと、お水と栄養をあげなきゃ駄目よ」
カホコさんは、彼女の目の前に薔薇の花びらをかざした。
綺麗なルビーレッド。彼女の好きな色だ。
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