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「そう、覚えていたのねえ」
美沙子はシーツが半分だけかかったマットレスの上で1人呟いた。
前回理子が帰省した夏から約半年ほど経っているのにも関わらずチリひとつ無い部屋の中、美沙子は仰向けに倒れ込み目を瞑った。理子の成長をアルバムで追いながら光煌めいてた美沙子の頭の中は、一気に遡り段々と光を失っていった。
理子がこの手袋を公園で拾ってきたのは確かに美沙子の誕生日だった。
今からもう16年も遡ったあの日。
ようやく様々な花が北海道の大地を色付けてくれる6月。梅雨は来ないとはいえ、雨の日は増えてくる。美沙子は自分の誕生月とはいえ、湿気が多くカビが増えやすいこの季節が昔から大嫌いであった。
母親になって4年。誕生日といえば子供の誕生日となった。自分の誕生日は平日と何ら変わりがない。
この日もいつも通り理子の幼稚園のお迎えを済ませ、使い捨てカッパを脱がせ靴の泥を落として家にいれた。ビニール手袋をつけてお弁当箱を洗う。少しだけ誕生日を意識してしまったのか珍しくキャラ弁にしてみたが米粒1つなくなっている。無意識のうちに鼻歌を口ずさんでいた。
そのとき、上機嫌らしい美沙子のもとに、理子は何かを期待したようなキラキラした目で持ってきた。
「ままぁ、これ、つかって!ねーこれー!」
白い皮に砂や汚れで茶色いマーブル模様が描かれた手袋だ。水気を取ったのか、ところどころにポロポロとティッシュが張り付いている。
美沙子は差し出された手から2歩逃げた。
美沙子は触れるはずが無かった。
潔癖症の美沙子には、その手袋を触れるはずがなかったのだ。
しかし洗い物でビニール手袋を付けている最中だったからなのか、睡眠不足で頭が働いていなかったのか、はたまた誕生日でやはり浮かれていたのだろうか。
美沙子は1歩だけもう一度歩み寄り、
それを受け取っていた。
美沙子は極度の潔癖症ではない。だが小学生の頃から図書館の本は苦手で借りることは無かった。共有の手洗い場やトイレも、絶対ではないがなるべく使いたくはなかった。
歳をとるにつれて段々と生き方を学んでいった。誰がどのように使ったのか分からないことが苦手であると気づき、消毒液を小瓶に入れ持ち運ぶことで安心して何でも使えるようになった。段々と消毒液を使う頻度を減らし、少しずつ潔癖症を軽くしていった。
理子が産まれてから、初めての育児で必死だったのか、あまり覚えてはいないがそこまで酷い症状は出ていなかった。
いや、どうせ気にしても掃除する時間をとることはできない、気にしてはいけないと心に蓋をしていたのかもしれない。
しかし自分を騙し続けることは出来なかった。
何かきっかけがあった訳では無い。プツンとなにかが切れたある日、美沙子は、理子を触ることが出来なくなっていた。
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