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0. 体温
午前3時という時刻には、現実味がない。
汗ばんだ肌にはりつくシーツと、こもった空気、差し込む月明かりの白が、朦朧とした世界の中に浮かんだ実感を呼び戻す。
彼が静かに息をしながら、漸く聞こえるくらいの声で呟いた。
「……暑いね」
「窓、開けようか」
私は気怠い体を持ち上げ、ベッドから手を伸ばして窓の鍵を開ける。
力の入らない腕で重い窓を押し開けると、吹き込む生ぬるいビル風にカーテンがはためいた。
寝具の中に戻った私の体を、彼はそっと抱き寄せる。
大きく厚みのある手で、驚くほど優しい動きで、乱れた私の髪を梳く。
私は口を開く。
「私、あなたとは付き合えない」
彼の手の動きが止まる。
「どうして?」
咎めはせず、ただ尋ねてくる。
「……もうすぐ私、姿を消すから。誰にも会わない場所へ、行ってしまうつもりだから」
彼はそれ以上、私に触れようとはしなかった。
さっきまで共有していた体温がもう名残惜しくて、剥き出しの肌が心細くて、思わず自分から手を伸ばしそうになる。
彼の黒い瞳の上に、泣きそうな顔の自分が映っている。
どうしてそんな顔をしているのだろう。
彼に出会う前から、確かに決めていたことなのに。
此処に居続けることなんて、私にはもうずっと前から耐えられないのに。
午前3時。
家具の少ないワンルームで、灰色のカーテンがはためき続けていた。
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