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わたしの時間
ゆったりと流れる音楽に身を任せて、ココアを啜る。右から左にスライドしながらスマホで漫画を読む。お腹をぐううと鳴らした。
少しずつ漫画を読み進める。流行する理由が確かによく分かる。カッコいいキャラたちが汗水垂らして、戦う姿は、つい応援する力に熱が入る。
レンジがチーンと軽快な音を立てた。ほかほかと湯気を出すお弁当を取り出す後ろから聞こえた声。
「それ面白いよね」
置きっぱなしのスマホを覗き込んでいたのは、同僚の坂口さんだった。
「田丸さんは、誰がいちばん好き?」
「やっぱり、この子ですかねぇ。兄弟愛とか、思いやりが熱くて泣けますね」
「あー、わかる。俺はこの子かなぁ」
指さした先にはクール系のキャラ。いつもメガネをずりっと押し上げてる動作が印象的な子だ。いわゆる、ツンデレタイプ?
「リアルでもこういうのが好みですか?」
「まさか。リアルは思いやりがあるタイプが1番」
「ですよねぇ」
つい、漏れ出た言葉は含みのある言葉。坂口さんが、ニヤニヤとだらしない顔で続きを語る。
「なに? 悩み事?」
「いやーはは……」
誤魔化すように、曖昧に濁してからお弁当の鮭を口に運ぶ。ちょうどいい塩加減で、焼けていて美味しい。
「田丸さんは、いい奥さんになると思うよ」
「いい奥さんって、なんでしょう?」
「え、なに、結婚決まったの?」
「鎌かけてみたんだけど」と小声で呟いたのが聞こえたけど、そこはスルーしておこう。
「決まってないんですけど。それっぽいことを」
「あやふやだなぁ」
「本当にこの人で、良いのかなって」
「うわー贅沢な悩み」
そうかもしれない。でも、と言いかけた言葉を噛み砕いたご飯と一緒に飲み込んだ。
「よし、じっくり聞いてあげよう」
坂口さんが胸を張って、私の前の席に座る。ほらどうぞと言わんばかりに手を差し伸ばす。おにぎりをモグモグとしながら、私の方をチラチラと確認する。
「何ですか」
「続けてよ、何に悩んでるんですか?」
「優しいんですよ、好きなんですよ。でも、」
「でもー?」
お酒が入ってるような坂口さんのノリがちょっと苦手だ。それでも、話してしまうのは誰かに聞いて欲しいからかもしれない。
「でも、引っかかるところがやっぱり合って」
「たとえば?」
「勝手に1人で決めちゃうところとか、曖昧なところとか、気になっちゃって」
「難しいね、辞めちゃえば?」
他人事だと思って、あっさりと返される言葉に面食らう。もぐもぐとハンバーグを咀嚼すれば、美味しい。
「辞めないですけど」
「え、じゃあなに? 結婚すんの?」
「悩み中です。他人事だと思って、坂口さん結構言いますね」
「いやーほら、ね、ね」
よく分からない「ね、ね」という言葉を聞きながら、デザートのブドウを齧る。あ、これ、あの人が好きな甘さだ。
「聞いてます?」
「あ、何ですか?」
「いや、他の人を見てみるのも良いと思うんですよ」
「はい?」
「心機一転みたいな?」
葡萄の味だけで、あの人を思い出す。あの人に食べさせたいな、って思う。これが、私の心の本音だ。
「ないですね」
キッパリと言葉にすれば、坂口さんはパンにかじりつきながら目を丸くした。
「とりあえず、その不安を相手にぶつけてみれば良いんじゃないですか?」
「出来たら、こんな不安になってません」
「いやぁ、案ずるより産むが易しですよ」
あっさりと言われた言葉は、じんわりと心の奥に残っていた。
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