わたしの時間

1/1
前へ
/7ページ
次へ

わたしの時間

 ゆったりと流れる音楽に身を任せて、ココアを啜る。右から左にスライドしながらスマホで漫画を読む。お腹をぐううと鳴らした。  少しずつ漫画を読み進める。流行する理由が確かによく分かる。カッコいいキャラたちが汗水垂らして、戦う姿は、つい応援する力に熱が入る。  レンジがチーンと軽快な音を立てた。ほかほかと湯気を出すお弁当を取り出す後ろから聞こえた声。 「それ面白いよね」  置きっぱなしのスマホを覗き込んでいたのは、同僚の坂口さんだった。 「田丸さんは、誰がいちばん好き?」 「やっぱり、この子ですかねぇ。兄弟愛とか、思いやりが熱くて泣けますね」 「あー、わかる。俺はこの子かなぁ」  指さした先にはクール系のキャラ。いつもメガネをずりっと押し上げてる動作が印象的な子だ。いわゆる、ツンデレタイプ? 「リアルでもこういうのが好みですか?」 「まさか。リアルは思いやりがあるタイプが1番」 「ですよねぇ」  つい、漏れ出た言葉は含みのある言葉。坂口さんが、ニヤニヤとだらしない顔で続きを語る。 「なに? 悩み事?」 「いやーはは……」  誤魔化すように、曖昧に濁してからお弁当の鮭を口に運ぶ。ちょうどいい塩加減で、焼けていて美味しい。 「田丸さんは、いい奥さんになると思うよ」 「いい奥さんって、なんでしょう?」 「え、なに、結婚決まったの?」  「鎌かけてみたんだけど」と小声で呟いたのが聞こえたけど、そこはスルーしておこう。 「決まってないんですけど。それっぽいことを」 「あやふやだなぁ」 「本当にこの人で、良いのかなって」 「うわー贅沢な悩み」  そうかもしれない。でも、と言いかけた言葉を噛み砕いたご飯と一緒に飲み込んだ。 「よし、じっくり聞いてあげよう」  坂口さんが胸を張って、私の前の席に座る。ほらどうぞと言わんばかりに手を差し伸ばす。おにぎりをモグモグとしながら、私の方をチラチラと確認する。 「何ですか」 「続けてよ、何に悩んでるんですか?」 「優しいんですよ、好きなんですよ。でも、」 「でもー?」  お酒が入ってるような坂口さんのノリがちょっと苦手だ。それでも、話してしまうのは誰かに聞いて欲しいからかもしれない。 「でも、引っかかるところがやっぱり合って」 「たとえば?」 「勝手に1人で決めちゃうところとか、曖昧なところとか、気になっちゃって」 「難しいね、辞めちゃえば?」  他人事だと思って、あっさりと返される言葉に面食らう。もぐもぐとハンバーグを咀嚼すれば、美味しい。 「辞めないですけど」 「え、じゃあなに? 結婚すんの?」 「悩み中です。他人事だと思って、坂口さん結構言いますね」 「いやーほら、ね、ね」  よく分からない「ね、ね」という言葉を聞きながら、デザートのブドウを齧る。あ、これ、あの人が好きな甘さだ。 「聞いてます?」 「あ、何ですか?」 「いや、他の人を見てみるのも良いと思うんですよ」 「はい?」 「心機一転みたいな?」  葡萄の味だけで、あの人を思い出す。あの人に食べさせたいな、って思う。これが、私の心の本音だ。 「ないですね」  キッパリと言葉にすれば、坂口さんはパンにかじりつきながら目を丸くした。 「とりあえず、その不安を相手にぶつけてみれば良いんじゃないですか?」 「出来たら、こんな不安になってません」 「いやぁ、案ずるより産むが易しですよ」  あっさりと言われた言葉は、じんわりと心の奥に残っていた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加