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「走れ!」
とだけ少年に投げかけ、左手で彼の腕を右手で足元のナイフを掴んだ。意外と細い華奢な腕だ。隅に蹴り飛ばした銃はもう拾う時間がなかった。
勢いよく床を蹴って入口の明るみにある人影に飛び込む。先手必勝だ。
柔らかい首元に刃を思いきり突き立てた。高反発の固い感触の後、低いうめき声が聞こえて仲間だった敵は地面に倒れ込んだ。ナイフはそのままにして辺りを見回す。
入口付近に数人の軍服姿が目に映ったが、グロテスクに飛び散る鮮血に一瞬怯えたような挙動が見られた。彼らもただの人間なのだ。
そのまま間を通り抜けて、遠くにあった緑色の林に向かってまっしぐらに駆けていった。
「おい、あの裏切り者を殺せ」と聞き慣れた上官の声が背後から聞こえても、一切スピードを落とさずに草原を踏みしめて走り続けた。
重く響く金属音とともに銃声が聞こえ始めた。数十人もの殺意が何度も僕達を襲い続ける。
少年の腕を強く引いて体を胸に抱きかかえる形をとった。これで被弾の可能性が低くなった。少し体を丸めて振り落とさないように気をつける。
走りづらさより両腕にかかる彼の体重の軽さにショックを受けた。戦争によって両親を失い、ろくな物を食べていなかったからだろう。慰めるように彼をもう一度抱き締めると、人間の生温かさが軍服を貫いて伝わってきた。
今、僕の頭の中には「死」という概念がすっかり消え去っていた。代わりに「この少年を助けたい」という思いだけが僕の足を前へと動かしていた。
体全体をアドレナリンが馬のように駆け巡り、僕の肩は呼吸を求めて何度も上下する。僕はただひたすら走る機械と化していた。
少年もまたひどく興奮しているみたいで二人の熱い吐息がぶつかりながら重なった。
少年の体温。四散する火薬の匂い。踏まれた草の泣き声。飛び交う怒号、そして二人の吐息。
この全てがスローモーションで踊りながら僕の脳内を這いずり回る。まるで一つの映画を観客として眺めているようだった。
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